口裂け女のたわごと
四宮あか
第1話 口裂け女とソーシャルディスタンス
新型コロナウィルスの流行は人々の常識を変えた。
ほぼすべての人が口元をマスクで隠し始めたのだ。
通り過ぎる人はマスク、マスク、マスク。
小さいお子さんも、小さなマスク。
ぱっと見つけてないのは、赤ちゃんくらい。
今やマスクをつけることは、当たり前!
逆にマスクをつけてない人が目立つようになり、つけている人は景色に溶け込むようになってしまった……
そんな現象に誰よりも戸惑っているのが、この私。
「私、きれい?」でおなじみの。
――――口裂け女なのである。
腰元まである長い髪に白いワンピース。
顔の半分はマスクで隠されており、きれいな目元とは対象に、マスクの下に覆われた口はギリマスクに隠れる位置まで裂けているのだ。
口裂け女とは、1976年の春から日本中で流布され社会問題にまで発展した都市伝説の一つである。
整形に失敗した女が、失敗して大きく裂けてしまった口元をマスクで隠し。
夕暮れ~夜にかけて、人々を呼び止め。
「私きれい?」と質問し、「きれい」と答えると。
「――――これでも?」と整形に失敗して裂けた口元をみせ、人々を恐怖のどん底に突き落とすというメジャーな都市伝説の女である。
それが、今ではこうである。
「お、大人一枚!」
「一般の方は3000円になります」
もうね。角川武蔵野ミュージアムにも堂々と正面突破できるようになってしまっている。
一昔前だと、マスクつけて出歩いているだけで、顔を隠す=やましいことがあるに違いない→この人、不審者です!?が……
今やミュージアムに正面突破で入ってお楽しみできちゃうこの始末!
なぜ、こんなミュージアムにやってきたのかというと。
もうね、口裂け女として仕事にならないからである。
事の始まりは、マスクが一般的になってしばらくしてのこと。
いつものように夕暮れ時、ビビりそうな子供をコロナ過の中、マスクの蒸れと戦いながら探すこと約2時間。
早速ターゲットを見つけた私は、後ろから声をかけたの。
「ねぇ」
子供は振り返ることなく、まっすぐ進んでいったわ。
もう、これだから今の時代は嫌なのよ!
人に呼び止められてもガン無視。
まぁ、これは時代柄もう10年以上前からそうなのだけど……
子どもの安全のために知らない人に話しかけられても無視しましょうってやつ。
でも、そこであきらめてたら、こちとら仕事にならないじゃん。
私は怪異なのに走った。
声をかけたにも関わらず、足を止めるどころかチラリともみなかった子供のところにね。
コロナ過で子供がウロチョロするのめっちゃ減ったもん。
ここを逃したら、もう今日の獲物は出会えそうになかったし。
「負けるもんですか!」と白いワンピースの裾をひらひらと揺らしながら。
そして、坊やの前に立ちふさがって名セリフを言おうとしたときのことよ。
「ねぇ、坊や。私きれ……「ソーシャルディスターーンス」
「えっ? えっ? 何!?」
明らかにポマードじゃなかった。
え? と思いつつ1歩男の子に近づくと、男の子は一歩後ろに下がり声高らかに言うのだ。
「ソーシャルディスターーンス!」
強い言葉の威力が私の身体を縛った。
全く意味の分からない言葉なのに、それは多くの人が使っている言葉のようで、私の動きを止める十分な効果があった。
これ以上近づくことができない、強い強い言葉だった。
固まる私の横をさっと通り抜け、坊やは言った。
「今はソーシャルディスタンスなんだよ」と。
口裂け女を追い払う呪文と言えば「ポマード」である。
怪異は人々が信じるからこそ生まれ、多くの人々が信じれば、それが怪異の弱点となる。
かくいう私は、整形に失敗してうまれたというテイ。
整形に失敗したときの執刀医がヘアジェルとしてポマードをつけていたため、「ポマード」と聞くと、自分をこんな目に合わせた医師のことを思い出してしまうというルールのもと。
この魔法の呪文が唱えられれば、私はその子を見逃すというのがお約束だったのだけれど。
ソーシャルディスタンスという新たな呪文に固まっている間に、子供はどこかに行った。
久方ぶりに拾ったスマホをコンビニのwifiにつなげて、「ソーシャルディスタンスとは何か?」と検索した私は絶望した。
ソーシャルディスタンス。
人と人が安全に過ごすために、とるべき距離。
そう、もう無視されるどころか、一定距離を保たなければいけない時代になったのだ。
暗闇からマスクをした女が飛び出ても、誰もビビらない。
話しかければ当然、知らない人には話しかけてはいけないから無視をされ。
決め台詞をそれでもと思えば、ソーシャルディスタンスの一言でつぶされるそんな時代になった。
マスクをする人がここまで一般的になってしまった今。
役割を終えた私はいつ消えるかわからない。
顔の傷は都市伝説ゆえに治らないのはしかたないとしても、こんな風にマスク姿でうろついても、警察を呼ばれない今。
これは、神が私に与えたたもうた最後の安らかな時間に違いない! と。
あれやこれやと挑戦し、今やもうね観光スポットもこの通りっていうね……
このご時世ゆえに、あちこちの飲食店も悲鳴をあげ、観光地も観光客の減少に嘆いている昨今。
私が、私から怯えて逃げた人々の財布から若干ちょろまかすること。50年と少し。私の財力が火を噴くときが来たのである。
マスクをつけていても、誰の目にも止まらない時代。
そんな時代が来るだなんて思ってもみなかった。
さぁ、消える前に存分に今の人生……都市伝説生を楽しんでやるんだから!
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