ゾーンの習得

 どのみち、コピーするにしても、見なければ覚えられず、ふたりしてタニアがゾーンを張るのを見学することになったのだが。


「……何回見ても、さっぱりわからない」

「この場を侵食するイメージだっていうのは、見てて掴めたけれど。でも侵食していって、それが世界に広がるって感覚が掴めない」

「そこの子飼い、もう少し考えなさいな。そちらの子飼いは、いい線言っていますわね」


 敵対していたときにタニアは、ルヴィリエの一件やらデネボラと肉弾戦を繰り広げている光景やらで、おそろしいとかおっかないとかのイメージが付きまとっていたが。

 ゾーンの訓練には意外なほどに親身になって面倒を見てくれていた。


(これは単純に【黄金の夜明け団】を本気で潰したいからなのか、この人が元々そういう性分なのかがわからない……)


 いい人なのか悪い人なのかはさっぱりわからないが、高慢な人ではあるのだろうと、考えをまとめながらタニアが何度もゾーンを展開したり、ゾーンを解いたりするのを眺めていた。


「そもそも、そちらの子飼いは一度【戦車】のゾーンをコピーできたでしょうが。どうしてわたくしのゾーンは展開できませんの」

「いやいやいやいや……カウス先輩のゾーンとタニア先輩のゾーンって、そもそも違うじゃないですか」


 そうぶんぶんとアレスが手を振って抗議する。スピカは「そういえば」とカウスのゾーンを思い浮かべた。

 カウスはあくまでゾーンの中を、革命組織の溜まり場として使用していた。避難場所や相談場所としてしか使っていなかったシェラタンの【塔】の展開するゾーンもまた、似たような性能だろう。それに対して五貴人はほぼ全員ゾーンに攻撃性を持っている。

【星】のゾーンたるタニアのゾーンは、ゾーン行使者以外の速度を遅延させ、ゾーン行使者の速度を上げるという、厄介極まりないもの。ただ自分にとって都合のいい空間を展開させるという【戦車】や【塔】のゾーンとは訳が違うのだ。

 それにタニアは「そうですわね」と自身のアルカナカードを治めたカードフォルダーを取り出した。


「【星】は瞬発力のアルカナですもの。その速度をものにできない限りは、ゾーンに展開は不可能でしょうね。わかりました。少々荒療治ですが、訓練方法を変えましょう」

「へあ?」


 唐突にタニアは自身のカードフォルダーを掲げると、ゾーンを展開する。

 しかしそれは、先程みたいに展開するのをアレスとスピカに見せるというものではない。自身のゾーンの中に、ふたりを閉じ込めるという具合だった。

 そして、突然アレスとスピカは、自身の体から重力がなくなることに気付く。


「あ、あの……タニア先輩?」

「ここはわたくしのゾーンでしてよ。ゾーンの中に取り込んだあなた方を、わたくしのイメージで侵食しました。今からあなた方には、【星】の速度を体感してもらいます」

「それ!?」

「安心なさい。せいぜい乗り物酔いする程度ですわ。制御はわたくしが行いますから。そのイメージを掴んで、ゾーンを展開できるようになりなさいっっ!!」

「ギャアアアアアアアアアアア…………!!」


 途端にふたり揃って、空の星になった錯覚を覚えた。


(これ、もしタニア先輩が手元狂ったら、地面に落ちてぺっしゃんこになる奴では!?)


 速い、速い、速い。

 ふたり揃ってゾーン内を無理矢理飛ばされ、くるくる回されているのである。ここでぶつかったらどうしようとか、そもそも景色がすごい勢いで変わり過ぎて怖いとか、体が全くいうことを利かないとか、恐怖というものがいくつも頭を瞬いていく。


「……ああ、そういうことか」


 パニックに陥っているスピカに対して、アレスは感情が凪いでちっとも揺らがない。


「な、なにが!?」

「タニア先輩、自分たちに体感速度を覚えろって言ったんだよ」

「それのなにがわかっていうの!?」

「……タニア先輩は、俺たちに体感しろと言っているだけで、攻撃してないんだよ。わかるか?」

「ええっと……?」

「俺たちが今体感しているのは、あくまで幻覚。そのイメージを叩き込んで、ゾーンを展開しろってそう言ってるんだよ」


 これ全部が幻覚。今髪の根元が痛いと思うほどにスピードを上げて飛んでいる感覚、足が地面から離れた不安定さ、すごい勢いで景色が変わっていく恐怖……。

 ふと頭に閃いたのは、ルーナの【月】のゾーンだった。あれはひとりひとりの記憶に潜む恐怖を拾い出して、それをゾーンの力で拡張し、人の精神を壊すものだった。

 タニアが今ふたりに行っているのはあくまで訓練用だが、やっていることはだいたいルーナと同じだということに。

 ゾーン行使者のイメージを無理矢理押しつけ、恐怖を植え込む。それこそがゾーンの真骨頂……タニアやルーナ、ソールやヨハネが行っていた傍若無人なゾーンは、皆同じ理屈だったのだ。


「それだったら……できそうな気がする」

「あとは……この体感しているものを固定するってイメージができれば……魔力のことは一旦考えるのやめても、なんとかなりそうか」

「うん……!」


 やがて、パチンという音と共に、ゾーンは解けた。そしてふたりは体感したと擦り込まれたふたりは、なんとかそれは幻それは幻と自分自身に言いつけて、ふらふらとしそうな体を正す。たしかに体は無事で、勢いよく飛んだはずなのに、乗り物酔いみたいな感覚も、平衡感覚の麻痺も起こらなかった。


「まあ、イメージは掴めたようですわね。感心致しますわ」

「そりゃどうも……怖い先輩たちといちいち対峙していた甲斐がありますよー」

「まあ、どなたかしらね、その典雅ではない先輩というのは」


 アレスの皮肉をさらりと流し、ふたりを見つめる。


「エリクシールを飲んだら、さっさとゾーンの展開をなさい。さんざん見せたのですから、これくらいできるようになってもらわなければ困ります」

「ひぃ……わかりましたよ」

「【愚者】はきっちりコピーした上で【運命の輪】に能力を移しなさい。【運命の輪】はその能力をもって、ゾーンを展開なさい」

「はいっ!」


 ふたりともエリクシールを飲んでから、自身のアルカナカードに触れる。アレクはタニアの【星】の能力をイメージすると、自身のアルカナカードにその力を注ぐ。途端に、魔力がすごい勢いで吸い取られるのに気付く。


「くっうぅうう……!!」

「アレス!」

「そのままコピーなさい」


 アレスの悲鳴にも、タニアは厳しい。


「魔力は思い込みであり、気合いですわ。悪態ついている暇があったら、その声ごと転写なさいな」

「なあんで……この間から会う先輩、会う先輩は皆脳筋なんすかぁ……」

「無駄口叩かない」

「ひぃ……」


 さんざん悪態をついてから、どうにかスピカのカードフォルダーに自身のカードフォルダーが触れる。

 スピカもまた、どうにかその力を持ってゾーンを展開しようとするが。

 以前に【運命の輪】の能力を行使したときと同じく、すごい勢いで魔力が抜け落ちていくのに気付く。


「うっ……ううっ……」

「気合い、気合いですわ。気合いがあったらゾーンくらいいくらでも」

「わか……って、ます……てばぁ……」


 力が勢いよく抜けていくが、アイオーンと対峙したときほどではない。あのときはアレスから魔力を借り受けたが、今はそれができないが。

 アレスは真剣な顔でスピカに「頑張れ頑張れ」と応援してくれている。

 彼が傍にいる。何度もひどい目にあったが、共に戦ってきた。そして今も一緒に訓練を受けている……あのときほど命の危機は感じない。なら、大丈夫だ。


「う……わああぁぁぁあああ…………!!」


 スピカが必死で、ゾーンを展開させた。

 そのままスピカはペタンと座り込むが。そのときに異様に体が軽いことに気付いた。


「あ、あれ? わっ!」


 歩くスピードが速くなった気がする。体が軽いと思ったら、動きがおぼつかない。それはまるで……。


「さっきタニア先輩にぶんぶん振り回されたときの感覚だ……あの、アレス? 私、ちゃんとできた?」

「……できてんじゃねえの?」

「アレス?」

「だぁぁぁぁ! 重くってぜんっぜん動けねえんだわ! 早くゾーン解けっての! タニア先輩、これで合格っすよね!?」

「ええ。そうですわね。これでひとまずは」


 そう言った途端、スピカの力が抜け、ゾーンもそのままパチンと解けてしまった。彼女は持って行かれた魔力と一緒にへばり込んでしまった。


「まあまあ、ですわね」

「ありがとうございます……でも」

「なんですの?」

「……前に【運命の輪】の力を行使したときより、こう……魔力が抜け落ちる感覚が少なかったからなんとかなったというか……」

「そうですわね。魔力は一度ガス欠になるまで使い切ってから、増えるものですから」

「そ、そうだったんですか?」

「学園の授業では、辺境伯領みたいに命の危険があるほどの魔力増力の授業は行いませんわ。ですが、次の戦いはテロリストとの戦いですもの。革命組織なんてちっとも目じゃない、数百年単位の犯罪者たちが相手ですわ。命をギリギリまで削るほどの魔力行使を必要しますから……あなた方はわたくしたちを倒した以上は、それに耐える義務がありますわ」


 そうキリリとした顔でタニアは言う。

 どうも彼女は、典雅という言葉をよく使う割には、相当に辺境伯としての義務感に満ちた生き方をしているらしい。


「魔力をせいぜい全部使い切ってみなさいな。その都度魔力は増えますから。さすがにわたくしも義務は課しましても、死なれたら困りますからエリクシールは与えます。頑張りなさいな」

「あ、ありがとうございます!」


 こうして、今日は本当に何度も何度も魔力切れで死にかける危機を、エリクシールでやり過ごして終えたのだが。

 魔力の枯渇は抑えられても、体力というものはそう簡単に増えるものではない。ふたりともようやっと五貴人居住区を出られたときには、ヘロヘロになってしまっていた。


「鬼、悪魔……」

「本当に、なんなんだよ……まあ、でも」

「なあに?」

「聖夜祭、一日全部をあいつらと戦う訳でもないだろうしさ。十分でいい。ヤドリギの下に行ける時間があったらいいよな」

「……そうだね」


 体はボロボロだし、今日は食堂でご飯を食べたら早く寝たい。しかし、聖夜祭に一分でも自分たちの時間を得るには、戦わないといけない相手がいる。

 その相手と戦うためにも、今日を必死で生きるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る