思い出


 今朝は気持ちの良い目覚めを迎えられた。

 新曲は予想以上の反響であった。あの曲は夏休み中に作ったものだ。

 なんか想いが溢れてきたんだよな。今まで辛かった事を全部受け入れて前に進む。

 そういう想いを曲に、歌詞に託したんだ。


 親父はまだ寝ている。昨日は酔っ払って帰ってきて、家でもボブとタクヤと飲んでいた……。ボブは俺に甘えながらダンスとゲームの話をしてくる、いやお前可愛いけど男だろ!? タクヤは演技について持論を語りまくる。……いや、俺、あんまり興味ねえよ。


 なんにせよ、親父は身体に気をつけろよな。もう年なんだからさ。

 俺は親父のために簡単な雑炊を作って、メモを残して登校することにした。






 いつもよりも早い登校時間。

 まだ蒸し暑いけど天気が良いから清々しい。

 なんかここんところ色々な事が落ち着いたから心が重たくない。

 ……落ち着いてねえだろ、くそ。


「……俺、あいつらの事……知ってんのかな。多分知り合いだったんだろうな」


 昨日のあまみやさんの涙がふいに頭によぎった。

 綺麗だったな。……だけど俺はなんにも覚えてねえや。

 事故の影響なんだろう。でも、なんだって顔もわからねえんだ?



 ――限界だったんだ。


 頭の中でその言葉が思い浮かぶ。

 その瞬間、俺は白昼夢を見ているような知らない記憶が襲いかかってきた。






『お、俺、子供の頃から日向の事が大好きで……。でもな、俺って悪い噂あんだろ? だから何度も諦めようと思って……、この気持ちだけは伝えたかった』


『バカ、あんたが嫌われているのは今さらでしょ? ……やっと、言ってくれたね。私も……武蔵の事、大好きだよ。へへ、なんか恥ずかしいな』


 女の子が泣き笑っていた。俺の心は喜びと……これから起こるであろう誤解される事に対しての恐怖を感じていた。


 それでも女の子の顔を見ていたらどうにかなると思った。



 子供の頃からずっと一緒に過ごした女の子。

 小学校も中学校も高校も一緒だ。思春期の男女のすれ違いで話さなくなった時期もあるけど、それでもずっと仲が良かったほうであった。


 淡い恋心が段々と本物へと変わる。――俺はガキの頃から誤解され続け、周りから嫌われていた。女の子は俺に説教をするときもある。


『もう変なことしないでよ。……流石にこれだけ続くと何が本当かわかんないよ』

『もちろん私は信じたいけど……』

『友達があんたと話すなって言ってきて――』

『誤解、誤解って……、流石に多すぎでしょ? ……あっ、そういえば最近、後輩の女の子と仲が良いんだって? それに隣のクラスの綺麗な娘とも……むぅ』

『……痴漢したの? あの娘泣いていたよ……。ねえ嘘でしょ? ……う、ん、信じるよ。でも……なんで嫌な気持ちが……』


 こんな俺の事を好きになってくれて、周りからの反対を蹴散らして俺と付き合ってくれた女の子。一生大切にしようと胸に誓った。嬉しすぎてその日の夜は眠れなかった。


 だけど――


『う、嘘告白って最低、身体が目当てだったなんて……、わ、私……、もう無理だよ。あんたの事がわからない。なんで? なんでそんな事したの!? 私は……もう限界……』


 幸せの絶頂から一気に落とされた。

 何がどうなって俺が嘘告白したのかはわからない。だけど、女の子は俺のせいで泣いている。俺は心の奥で慟哭をあげた――

 悲しさと惨めさと申し訳なさで。


 俺は誰とも仲良くなってはいけなかったんだ。彼女を作るなんて夢物語だったんだ。

 誤解されるような事はしたくなかった。極力注意深く人生を生きていた。


 ――俺の人生は毎日が戦いだったな……。


 女の子と笑顔で話す男の子。

 女の子に近づく男を見ると胸が張り裂けそうになる。

 女の子が笑っていると苦しくなる。


 そして、車に轢かれて宙に舞いながら俺が最後に見たのものは――俺の名前の叫んでいる女の子であった。






 頭痛が痛い。間違った文の使い方だけど、痛すぎてどうでもいい。

 痛い、痛い、痛い――

 頭が破裂しそうだ。今のは俺の記憶か? なんだってあんな悲しい記憶が……。

 あれが誤解され続けた男の結末だと?


 頭の映像が自分の記憶だと認識できない。だんだんと抜け落ちそうになる映像を――

 俺は歯を食いしばって覚えるようにした。


 身体が拒絶反応を起こす。今朝食べた雑炊を吐きそうであった。

 鼓動が速くてやばい。身体が熱くてやばい。あの時の苦しみが圧縮されて俺の心を蝕んでくる。


 ――もう思い出すな。限界だったんだ。



 その言葉に……俺は――


「……ふざけんなよ。俺は、よく知らねえ女の子に『待ってろよ』って言っちまったんだよ。……思い出も誤解も全部ひっくるめて俺だろ……」


 親父の息子だから我慢できる。親父が一番苦しい時に俺は見ている事しかできなかった。

 俺は世界で一番かっこいい親父の息子なんだよ。

 ――だから、カッコつけさせろや。



 俺は脂汗を流しながらも、学校に向かおうと歩き始めたその時――


「く、九頭龍君!?」


 肩が抜けると思ったほどの強い力で手を引かれて、何かに抱きしめられた――

 大きくて力強くて柔らかい……、良い匂いがする。


「だ、駄目だよ! あ、赤信号なのに……、車がビュンビュン走ってるのに……。ね、ねえ大丈夫?」


 抱きしめられながら周りを見ると、確かに大通りの交差点の前に俺はいた。

 ……やば、俺、小池さんがいなかったら。


「わ、わりい、ありがとう……。ちょっとぼうっとしていたわ」

「だ、駄目だよ……、わ、私すごくびっくりしちゃって……」


 小池さんはそう言いながら抱きしめる力を強くする。

 すごく苦しいけどそれが心地よかった。


 気がつくと頭痛が収まっていた。心が落ち着いていた。


「あ、あわわ、わ、私、また抱きしめちゃって……、す、すぐに離れるね!? ――く、九頭竜君?」


 俺は自分の手を小池さんの背中にまわして、自分から抱きしめた。

 こうすると……、全部が浄化される気分だ。

 俺は目を瞑って小池さんに身を委ねる。

 小池さんは俺の背中をさすってくれている。まるで子供をあやすような仕草。


 そして、小池さんは囁くように……知らない歌を歌い始めた――

 音程が少し外れている。少し変わった歌詞が面白かった。まるで自分の事を歌っているようであった。

 転調が激しすぎて次が気になってしまう。

 俺の身体の震えが止まらない。


 小池さんの優しくて綺麗な歌声が、心に染み渡った――

 外れた音程が懐かしさを感じられた。


 嗚咽が抑えられない。親父の息子だから俺は泣いちゃ駄目なんだ。

 理不尽にも、誤解にも負けずに、ずっと泣かなかったんだ。


 な、の、に……。

 俺は溢れ出す涙が止められなかった――

 普通に生きたかった。みんなと遊びたかった。ずっと好きだった女の子を傷つけたくなかった。大切な後輩も、友達も、仲良く笑って過ごしたかった――




「えへへ、ママ直伝の子守唄なんだよ。心が落ち着くでしょ? ……九頭龍君……、大丈夫、きっと優しい九頭龍君なら、みんなと仲良く過ごせるよ――」





 そう言って、小池さんは俺の背中を軽く叩く。

 この娘は能力者か? 人の心が読めるのか?


 俺はガキの頃ぶりに、人前で泣き崩れてしまいそうになった。

 崩れそうになる俺を小池さんは強く抱きしめて支えてくれた――

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