ベーシックフィガー

 綺麗な便箋を二つに折って封筒に戻す。装飾はないが、つるりとした手触りの高級紙で作られた封筒だ。流石、商会は羽振りがいい。

 ざり、と奥歯で乾燥苺を潰す。甘酸っぱさが広がって、口の中が幸せだ。ローズが用意した紅茶の香りが苺によく合っている。早速褒め言葉を投げたいところだが、彼女はすでにホールを退室していた。

 残念に思いながら、次の乾燥苺をつまんで口に放り込む。礼法の授業の最中だったが、怒られることはなかった。当の先生が見ていないからだ。

 小さなホールにグランドピアノの音が響く。教会のオルガンと同様の鍵盤が並んでいるのに、その音は全く違った。分厚く空間を振動させるようなオルガンに比べ、ピアノはもっと軽快で表情が豊かだ。

「——はい、止めましょうか。前よりも強弱が滑らかになりましたね、フリッツ」

 グランドピアノを演奏している幼い容姿の少年の隣に、見るからに優しく清廉な空気を纏った青年が立っている。ロニーがフリッツの演奏を指導しているのだった。

「ありがとうございます。ロニーのお陰で段々楽しさが分かってきました!」

「それはなによりです。手首が硬くなっている場所がありますから、気をつけましょうか。特に八小節目の——」

 ただでさえ不出来な生徒を持つのにフリッツまで生徒に加えるだなんて、本当に聖人のような人だ。イブはじっとロニーを見つめた。どこか微笑ましく、いつまでも飽きない情景だ。故郷の子供たちに勉強を教えた日々が懐かしく思い出される。

「——さて、イブの授業も再開しましょうか」

「……何だか最近気合いが入りすぎてないか?」

 とっくに嫌気が差しているイブが渋々立ち上がると、くすくすと笑われた。

「我慢してください。ブルーパーティまであと一ヶ月もないんですから」

「ブルーパーティねぇ……」

 ローズの説明を思い出す。

 ロイヤルカラーを名に冠するブルーパーティは、王立キルティング校で春の花が庭に咲き乱れる頃行われる。しかし学校行事ではない。主催はクラブロイヤルで、普段は立入禁止のクラブロイヤルの寮に生徒を招待する唯一の機会である。いつものことながら豪華絢爛なパーティらしい。

 そしてイブにとってはクラブロイヤルの一員として初めての公務となる。

「招待するのは特進科の生徒だけなんだろう? 普通科の私が付け焼き刃で頑張ってもなぁ」

「おや弱気ですね。大丈夫、筋は良いですから」

 微笑まれても足は重い。励ましの言葉が欲しいわけではなかった。そうですよ、と遠くからフリッツが便乗した。

「イブならきっとできます! みるみる上達してるじゃないですか」

 きらきらと輝く目が愛らしい。飛び級でキルティング校に留学しているフリッツは、可愛らしい少年の丸みを残しているのに、イブにはできないことを容易にやってのける生粋のお貴族様だ。お世辞が見え透いていて、乾いた笑いが溢れた。

 フリッツはピアノの上のメトロノームを準備して、規則的な音をホールに響かせる。何度も聞いたこの無機質な音が夢に出る日も近い。

「本番はほら、隅の方で何とか誤魔化すから」

「いけませんよ、イブ。教えたでしょう」

 ロニーはイブの正面に回ると、手のひらを差し出した。こうされたら、にっこりと笑って手を重ねなければならない。

「……よろこんで」

 グランドピアノはイブのためにスローテンポのワルツを奏でる。ブルーパーティはクラブロイヤルによる豪華絢爛な——舞踏会である。



 ブルーパーティは学校が主催するイベントではない上に、招待状も特進科の生徒にしか配られない。だが、生徒が盛り上がるには十分だった。普通科の生徒にも参加する方法が存在しているからだ。

 すなわち、招待された特進科の生徒のパートナーになればいい。しかも表面上は非公式のイベントであるためデビュタントの経験も不問だ。お陰様で最近の学園はよく言えば活気があり——悪く言えばギラついている。貴族との接点を狙う普通科の生徒や、普通科の生徒と恋をした特進科の生徒など、冷静からは程遠い彼らの熱気がブルーパーティへの期待を証明していた。

 普通科の生徒の心情なら理解できる。野心がなくても、クラブロイヤルの専用のサロンや寮は生徒たちの憧れの的だ。そういう風に演出されている。警備の都合も分かるが、もう少し普通科にチャンスがあってもいいのでは、と思う。せっかく盛り上がっているのだし、あと、舞踏会に庶民が増えてくれたらイブのダンスもマシに見える。

「……ふー」

 考えても仕方がないので、イブは足を動かした。昨日教わったステップがもう記憶から消えようとしている。足を動かす順番だけでなく、角度やリズムも重要だ。しかもステップごとに対応する男性のリードまで覚えなければ意味がない。ジェイデンやルーベンは男性がリードするから大丈夫、と言っていたけれどそんなわけはないのだ。初心者が美しく踊れるのは童話の中だけである。

 昼休みの中庭で一人ステップを踏む。右、左、右、揃える。ロニーに教わったステップを一つ一つ思い出して、ローファーで踊った。ローズを付き合わせるのも申し訳なくて、リラと外で食べるのだと嘘をついた。ダンスは食事や挨拶のマナーとは比べ物にならないほど難しい。このままでは到底ブルーパーティに間に合うとは思えず、放課後のロニーの授業までに復習したいところだ——。

「——もう少しゆっくり重心を移動したほうがいいですよ」

「!」

 知らない声にイブは驚きながら振り返った。中には他にも生徒がいたが、声が届く範囲にいたとは気づかなかった。

 小柄な女学生が真剣な表情でイブのステップを見ている。分厚い丸眼鏡をかけて、二つに束ねた髪は綺麗にまとまっている。頬が丸みを帯びて中等科にも見える外見だが、高等科らしい落ち着いた雰囲気がある。

「ダンスは習いたて……ですよね? ステップは合っているのに、不安そうに足を動かしているので勿体ないです」

「……なるほど」

 言われた通りにゆっくり体重を動かしてみると、自分がぎくしゃくと動いていたのがよく分かる。おお、と思わず声が出た。これは簡単で分かりやすいアドバイスだ。

「ありがとう。君は……」

「一年のアリス=ポプリンです」

「助かったよアリス。私はイブ=ベルベット」

「! あなたが……」

 アリスは息を呑んだ。瞬時に目線がイブの首元を探る。クラブロイヤルを示す徽章はジャケットの襟に付けており、そのジャケットは脱いでベンチに掛けてある。平静を保つアリスからは、社交経験を積んだ貴族の余裕を感じる。

「クラブロイヤルの方に差し出がましい真似をして失礼しました。先日の教皇来訪の際には体調を崩して欠席していたもので」

「あ、いや」

 アリスは美しい一礼を見せた。礼法の授業を受けたからこそわかる。この洗練された所作は絶対に高位の貴族だ。おそらく特進科の生徒だろう。

「苦戦してたんだ。分かりやすくて助かったよ」

「いつも義弟がお世話になっていますから」

「……おとうと」

「……ルーベン=フライスの兄が私の婚約者です」

 おそらく貴族にとっては常識であろう事実を、分からないイブに教えてくれる。大変気の利く女性だ。

 婚約者、だなんてイブには耳慣れない言葉だが、言われてみればそうだった。この学校の貴族たちは有力な相手と婚約して結婚するのが当たり前なのである。家と家との契約である以上、学生のうちから婚約者がいてもおかしくない。クラブロイヤルも、もちろん例外ではない。

 ははぁ、と感心していたら、アリスは少し考え込むようにして、きらりと丸眼鏡を煌めかせた。

「イブ様、練習場所は銀の徽章のどなたかに相談した方がいいですよ。エドワード殿下は練習場所も満足に用意できないと非難されますから」

「えっ、なんだそれ」

 イブは目を丸くする。ローズやロニーから頻繁に「クラブロイヤルとしての自覚をもった行動を」と言われるのは、もしかしてこういうことなのだろうか。

 仕方がないので練習は終わりにする。ローズの仕事を増やすのは悪いが、次からは素直に頼もうと胸に留める。ただでさえ意図していないクラブロイヤルという肩書きが、どんどん面倒で重いものになっている。

「よく分かったよ。ありがとう、アリス」

「いえ……」

 イブはベンチに座って軽食用のバスケットを膝に乗せた。残りの時間で昼食を詰め込まなければならない。

「……?」

 だが、会話を終えたアリスが、まだ目の前に立っている。何やらそわそわと指を動かして、物言いたげだ。なかなか話し始めないのでサンドイッチに噛り付くと、アリスは意を決したように口を開いた。

「あの、イブ様は普通科二年のアラン様をご存知ですか? 実は昼休みには中庭にいることがあると聞いて来たんです」

「ああ、同じクラスだな」

 ロニーの目がないのでもぐもぐと口を動かしながら答える。今日はたまごサンドだ。ふわふわの卵がソースと絡んで美味しい。流石はローズの手配だと感心しつつ、アランの事を思い出す。

 確か保有していた山が金鉱山だったか何かで急激に勢力を伸ばしている新興貴族だったはずだ。特進科の生徒に匹敵する財力を持ちながらも、爵位は子爵に留まり普通科に通っている。クラブロイヤルの面々に比べて素朴な外見や仕草はとても安心するし、周りの生徒をよく気遣っている印象がある。成金をネタに笑いをとっているような明るく爽やかな男子学生だったはず。

 同じ部活でもなさそうだし、特進科のアリスが話したい相手には見えない。

 ——と、ここでイブは閃いた。この脈絡のない会話の進め方には覚えがある。踊るイブに声をかけたところから始まり、もしかしたらその言葉のすべては。

「オチカヅキになりたいのか?」

「ええ」

 アリスが頷いたので、イブはぐっと体温が上がるのを感じた。クラブロイヤルになってからイブに声をかける生徒が増えたが、大半は男子生徒だった。女生徒の、しかも後輩の、さらには小柄で凛々しいアリスが相手なら大歓迎だ。イブだってアリスとオチカヅキになりたい——。

 たまごサンドの次の一口も忘れて、アリスの言葉を待つ。

 アリスの眼鏡に柔らかく光が揺れている。その眼鏡越しにまっすぐな目がイブを見つめている。

「どうか、ご紹介いただけないでしょうか。——アラン様を」

「……分かってたよ」

 イブは落胆を隠すようにたまごサンドを齧った。そのおいしさに少し励まされる。

 少なくとも可愛いアリスに頼みごとをされたのは間違いないのだ。ここで頑張らなくてどうする。

「いいよ、声をかけてみよう」

「本当ですか⁈」

 ぱっ、と花が咲いたのかと思った。それくらいアリスの安堵したような笑顔が輝いてみえた。咳ばらいを一つして真面目な顔に戻るのも愛らしい。

「感謝いたします。お礼はリリー様に相談してお贈りしますので」

「いいよ別に。アランには何か用なのか?」

「その、用、と言いますか……。お恥ずかしい話、ブルーパーティのパートナーを探しているんです」

「……パートナー?」

 イブは口元にたまごをつけたまま聞き返した。

 この先の苦しみを知らないまま。



 どっぷり夜に包まれたクラブロイヤルの専用寮で、遊戯室の扉を押し開ける。薄暗い空間にはすでに金のヒナギクの徽章を持つクラブロイヤルの面々が揃っていた。とはいえ夕食も終えたこの時間はそれぞれが部屋着に着替え、徽章も身に着けていない。リラックスした姿は、穏やかというよりはどこか大人の雰囲気で、絵になるような絢爛さも兼ね備えている。

 ブルーパーティに向けた打ち合わせを終えて一息ついたところらしく、つかつかと侵入するイブを面白がるようにエドワードが笑った。

 もともとダンスの練習のために免除された打ち合わせだった。だが、騙された気分だ。ブルーパーティはパートナー同伴で参加する必要があるらしい。聞いていない。

「エドワード、話がある。ブルーパーティなんだけど……」

 イブは言葉を止めた。エドワードが微笑みながら口元に人差し指を立てたのだ。何度目にしても絵画に描かれる天使のような美しい顔である。天使はロニーに目配せして指を組んだ。

 椅子で寛いでいたロニーがグラスをサイドテーブルに置いてイブに向き直る。

「イブ。そろそろ交渉や会話の進め方を覚えていきましょう。話がある、では謁見になってしまいます。いきなり真正面からはぶつけないものですよ。然るべき根回しが重要です」

「……、……どうしろって?」

 面倒臭い、という表情を隠しもせずにイブは尋ねる。ロニー相手でなければ不満を垂れていたところだ。

「食事や庭の散歩のように、名目上は他のものにお誘いするんです。その中で本題を切り出すようにすると、交渉を進めたことが気付かれにくくなりますから」

「気付かれても別に——……」

 話している途中で、ロニーが残念そうな目をしたことに気付く。イブはこの分野においてあまりやる気がない生徒だが、ロニーを悲しませたくはない。もしかしてエドワードはそれも読んでいたのではないかと疑いつつ、ぐっと飲み込む。要は練習させたいわけだ。エドワードとイブはキルティング校に在籍する残り一年半だけの関係だが、その期間は完璧にクラブロイヤルに相応しい人間でいてほしいらしい。

「ビリヤードでもしないか、エドワード」

「いいよ」

 エドワードは楽しそうに笑った。

 遊戯室にはビリヤード台がある。エドワードが立ち上がっただけで、紫のリボンをつけたビオラがキューを用意する。イブにはリリーが手渡した。リリーとあまり話したことはないが、編み込んだ金髪に白いリボンが良く似合っている。大人びた女性で、包み込むような穏やかな優しさを感じる。しかもキューを受け取る瞬間にいい香りがした。きりっと表情を整えて「ありがとう、綺麗だね」と伝えると、くすくすと笑い一礼を返してくれる。最高だ。

 リリーに格好いい姿を見せるためにも背筋を伸ばし、イブはエドワードに向かい合った。

「君の接待をしたほうがいいの? エドワード」

「……必要ないかな」

 微笑むエドワードの横から、親の仇のように従者のカイが睨んでくる。全く、やってられない。エドワードを楽しませるべきかと誠意を見せたらこれだ。

「ふうん、そうなんだ。じゃ、ルールを教えてくれ」

「……」

 一瞬、時間が止まったかのように感じる。フリッツは最近あまり見せなくなった不審な顔でこちらを見ているし、ルーベンに至っては口元を押さえて笑いを堪えている。

「いいよ。今回はエイトボールにしようか」

「エドワード殿下、そんな——……」

 思わず声をあげたカイをエドワードは微笑みで黙らせた。テーブルの中央に用意したボールを説明用に再びローズが並べなおし、それを使ってエドワードが説明していく。

 手球と的球について。キューの持ち方と基本の構え方。自分のグループボールを七球ポケットインしたら、八番を狙うこと。大変シンプルで分かりやすい。エドワードが楽しそうなので、クラブロイヤルのメンバーもすぐにリラックスして空気が緩む。

「ハンデは五球でいいね」

「……うん?」

 試合が始まると同時にエドワードはイブのボールを五球取り除いてローズに渡した。

 ゲームの開始とともに、すぐ理解することになる。蓋を開けてみるとエドワードはルーベンやジェイデンよりも遥かにビリヤードが上手かったのである。

 エドワードが次々とポケットにボールを落としていく横で、イブの手球はボールの横を掠めるだけだ。おかしい。

「ははぁ、コツがあると見た。エドワード、そうだろう」

 ぱちん、とイブが指を鳴らす。

「教えてください、じゃないかな。ほら、三回回って頭を下げて」

「よし。——……教えてください!」

 何の躊躇もなくやり遂げると、エドワードは肩を揺らして笑った。たまに見せる、あまり天使らしくない笑い方だ。

「構えてみて——そう、角度は悪くない。力みすぎだね」

「気合を入れているんだ、……っおっと」

 ルーベンのように華麗にキューを構えたはずのイブの膝が崩れる。エドワードのキューで突かれたのだった。実力行使で教えるのはどうにかならないのかと思いつつ再度構えたキューには、エドワードの手が添えられた。手首や体の角度を容赦なく修正される。

 そうして突いた手球は見事にイブのボールを捉え、初めてのポケットインが叶う。

 ひゅう、っと口笛を鳴らして体を起こすと、鼻先が触れそうな距離にエドワードの頬があることに気が付いた。ポケットインすることが分かっていたかのように悠然としている。

 ふっふっふ、とイブは不敵に笑った。

「勝たせてもらうよ」

「強気だね」

 敵に塩を送ったくせにエドワードは余裕だ。そうやって微笑んでいればいいのだ。今に首の根を掴んでやる。

 手のひらを握り、開く。掴んだ感覚がある。

 イブが得意気に次の場所に構えると、エドワードは机の側に移動しハーブティーを手に取っていた。ローズが用意したのだろうか。ゲームを始めてから大分経ったはずなのに湯気が見える。流石だ。

 イブは手球に視線を集中させる。——いける。

「……イブ様」

「!」

 耳元で囁かれて、狙いがズレた。手球は虚しくも壁に向かって転がっていく。声の主に文句をつけたいところだが、相手がローズだったのでイブはやれやれ顔で振り向いた。

 すかさずローズが耳打ちする。

「本題をお忘れでは」

「?」

「……つまり、その……」

 困惑させてしまった。

 何のことだったか思い出す前に、エドワードが口を開いた。リラックスした雰囲気であっても、彼の声は天からのそれのようによく通る。

「——普通科も盛り上がっているみたいだね」

 にこ、と愛想よく微笑むエドワードを見てようやく察する。真面目にビリヤードを楽しんでいる場合ではなかった。

 ブルーパーティ、問題はそれだ。

「そうだね、普通科もブルーパーティの話題で持ちきりだよ。招待されてないっていうのに……なあ普通科もちょっとくらい参加できないのか? 庭だけ開放するとかさ」

「……へぇ」

 敷地の開放は王家でも行われている。階級を持たない国民向けのイベントだ。軽い気持ちで口走った内容だったが、エドワードは真正面から視線を返す。

「それで——僕に何の得があるの?」

「何だよ、君は全部欲しいんじゃないのか? 最近は庶民の台頭が凄まじいそうじゃないか」

「彼らは公式な場で交流はできるような身分じゃない」

「だから私が提案してるんだろ」

 馬鹿な庶民の我儘に付き合わされるという体なら進めやすいのではないかと思っただけだ。

 まあいいけど、とイブは頭を切り替える。本題はパートナーについてである。

「ところでエドワード、パートナーを誘う必要があるなんて聞いてないよ。そんな貴族の知り合いはいないんだけど、普通科でもいいか?」

「……相応しい人間じゃないと認められないな」

「相応しいなら普通科でいいってことだな。よし」

 といっても伝手があるわけではない。そもそも気の置けない友人なんて片手で足りるどころか、男子生徒に至ってはゼロ人である。

 ふ、と誰かが笑った。顔を上げると、各々寛ぐクラブロイヤルの中でもルーベンの口元が緩んでいる。

「? なんだよ」

「イブちゃんが思ってる以上に政治的意図が絡むってことだよ。誰を選んだのか、どの順番で声をかけたのか、ってね。俺らでさえ相手は慎重に選ぶ」

「へえ、そうなんだ」

「ふっ……く、んんっ」

 ルーベンはわざとらしく咳払いをした。そんなことをしても笑っているのは誤魔化せない。おい、とジェイデンに小突かれても肩が震えている。白けた目でイブは口を閉じる。前々から感じていたがこの男とは会話をするだけ無駄かもしれない。

 そうだね、とエドワードがカップを机に戻した。休憩は終わりらしい。

「庭についてはイブに任せる。リリーを付けよう」

「……うん?」

 会話をする気がないのだろうか。イブは眉をひそめた。

 ——気のせいでなければ、空気が変わった。カイやフリッツがショックを受けた顔をしているのはいつものことだが、ルーベンやジェイデンまで表情が止まる。その目の奥が鋭く光り、値踏みするように様子を窺っている。クラブロイヤルではしばしばこういうことが起こる。イブの知らないうちに高度なやり取りがなされているっぽい、と気付いてはいるものの知らないものはどうしようもない。

「かしこまりましたわ。ご期待に応えてみせます」

 指名されたリリーは戸惑うことなく頭を下げている。何をどうすればいいのかさっぱりわからないが、イブも合わせて頭を下げてみた。

「うん、任せた。じゃあ、続きをしようか」

 エドワードは微笑み、イブに口を開かせない。言われるままビリヤードの続きを始めることになる。何か重要な事が決まった雰囲気だ、と疑問に思ったが流された。

 ビリヤードは見事に惨敗だった。

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