第5章 ブユの石板

26、師弟選考委員会からの通達

 それから1カ月後、使節団全メンバーが大樹堂25階にある小集会場前の待機室に集められた。集まった団員たちのソワソワした顔を見るに、重大な発表があるに違いないとエシルバは予感していた。


「なにを話しているんだろう」

 エシルバが待ち遠しくカヒィに聞くも、彼は待機室に用意されたお菓子の袋を破くのに夢中でちっとも聞こえていないようだった。リフがあめ玉を大量にポケットにしまい込んでいる時、なにやら嫌らしい目をしたルシカがやってきた。


「師と弟子の選考だ。そんなことも知らないのか? 俺たちからしたら教育者が割り当てられるってわけさ。お菓子に夢中の子どもには分からないか、ごめんごめん」


 リフ、カヒィの顔ときたら今にもルシカに襲い掛かりそうな猛禽類みたいだ。エシルバは2人の首根っこをつかんで引き戻したが、相変わらずルシカは人の心を逆なでするのが好きらしい、ジュビオレノークの所に戻ってからもクスクスこちらを見て笑っていた。


 実を言うと、ルシカがこんなふうに絡んでくるのは一度や二度のことではなかった。リフに言わせると、彼はジュビオレノーク第二の腰巾着である。他には口だけ番長だなんて皮肉めいたおあつらえ向きのニックネームがあるのだが、今のところ3人の間でしか流用されていない。


 10時になり、小集会場の扉が開いた。シィーダー、エレクン、ナジーンと会議を終えた面々が出てくる中オウネイが現れてピタリと足を止めた。

「知っての通り、使節団には伝統的な師弟制度があります。師弟関係を結ぶことで、より高い教育と仕事の両立を図ることができるのです。そして、このたび師弟選考委員会による割り振りが決定しました。割り振られた師と弟子は、今後パートナーとして仕事や実技を共にこなしてもらいます」


 待機していたメンバーはかたずをのんで見守る中、オウネイは待機室の巨大なボードに情報を映し出した。「師弟選考委員会による選考結果」というタイトルのすぐ隣には師と弟子の名前がずらりと続いており、エシルバたちはわれ先にとボード前にすっ飛んでいった。


「やっぱり! 俺はルゼナンだ」

 第一声を上げたのはリフだった。エシルバも列を目で追いながら自分の名前を探した。


「ジグと一緒だ」

「やったな!」

 リフは肩に手を回してきて賛辞を言い、次にまだにらめっこするカヒィにのしかかった。


「僕はダントだ、フォォ!」


 3人して当たりの良さにはしゃいでいたら、妙にイラつく拍手をしながらルシカが近づいてきた。エシルバは心の中でうんざりしていたが、他の2人は一切隠すということをしなかった。つまり、顔にふてぶてしさがありありと浮かんでいたのだ。


「エシルバ、君のチームじゃなくて良かったよ」

「どういう意味?」

 エシルバは聞いた。


「いまさら使節団に戻ってきて弟子を持つなんて、よく委員会も許可したよ。10年弱のスランプ中なにをしていたんだか知らないけどさ、あのジグって男」

「おい」リフが怒りのこもった声で言った。「お前になにが分かるんだよ! 偉そうに」


「事実を言っただけだ」


「ジグは誰よりも努力してきた。それが事実だ」

「今のパナン=シハンは誰だ? ナジーンだ!」

「ジグはまたパナン=シハンに戻る」

 リフはにくたらしい目でルシカに言い返した。


「僕は君と一緒のチームでなくてよかった」

 エシルバは心の底からうれしそうに言ってやった。


「ありえない」ルシカはくるりと背を向けて歩きだした。「ジグは戻らない! 二度とな」

「お前なんて一生ジュビオの腰巾着だろ!」

 リフは罵倒し、挙句の果てには舌を出して目をむきだした。


 エシルバは最初リフがジュビオレノークに友人として紹介されていたのを思い出し、親同士が仲良くても実情は違うものなのだと感じた。今は見事に分断しているし、今後和解できるとも思えなかった。エシルバは蛙里の学校で気が付けば派閥のリーダーになっていた日のことを思い出して今に重ねた。考えれば考えるほど、みんなで仲良くなんて難しいことが身に染みて分かる。ルシカが苦手だからだ。あんなわざわざ悪口を吹っかけてくる救いようのないやつと、どう仲良くしろって? 無理とは言わないが環境問題よりも難しいだろう。


「さぁ」オウネイが言った。「今から師弟間での簡易ミーティングを行います」

 部屋の一角に集まったジグたちのチームは、お互い椅子に座って向き合った。


「あなたに教えてもらえるなんて光栄です」

 同じチームのウルベータはキラキラした笑顔を向けながら、開口一番にそう話した。彼はウリーンの兄だけあって目鼻立ちがそっくりの青年だった。


「こちらこそ」ジグは爽やかに答えた。「2人とも、使節団に入った感想はどうだい?」

「素晴らしい所です」

「最高だよ」

 エシルバは迷いなく答えた。


「良かった。まぁ、最初の1年は大した仕事が回ってこないだろうけど、そこは心配しなくても大丈夫さ。使節団の仕事は大きく分けて二つある。内務と外務だ。1年目は残念だけど外務がないから主に大樹堂内での仕事や訓練が中心になる」


 ジグは丁寧に仕事の話をしてくれた。ミーティングが終わったところで一度解散することになったのだが、エシルバは去り際のジグに呼び掛けて立ち話をした。テラスからの景色を眺めながらジグは懐しむように言った。


「君の師となる日が来るなんて想像もしていなかった」

「もしかして、委員会に頼んでくれたの? 僕を弟子にするようにって」

「僕にはそんな権限ないさ」

「ジグが子どもの頃はどんなだったの?」

 なんの脈絡もない話だったが、エシルバはふとそんなことを尋ねた。


「遊ぶことしか考えていなかった」クスリと笑った。

「信じられないよ」

 エシルバは背の高いジグを見上げながら言った。


「お父さんの子どもの頃はどうだったんだろう」

「君のお父さんはこの街で生まれ、苦労しながらシブーになった。君よりもっと幼い時にシクワ=ロゲンへやって来て、そこで頭角を現した。彼には光と闇の部分がそれぞれ存在しているけど、僕は彼の多くをこの目で、そばで見てきた」

「こんなことを言ったら嫌な気持ちにさせてしまうけど……」

「言ってごらん」


 ジグは促した。

「もし、お父さんが本当は誰も殺していなかったとしたら?」


 簡単な質問ではないと思いつつも、エシルバは彼なりの答えが知りたかった。

「僕にも分からないんだ。陣頭指揮を執った人間はゴドランだとされているけど、彼が人を殺したのかははっきりと分からない」


 エシルバは黙って聞いていた。


「いいかい?」ジグは真剣にエシルバの目をのぞいた。「君のお父さんは確かに道を踏み誤った。でも、理由は明らかにされていない。ゴドランは――僕にとって良き師だった」

「ちょっと待って……ジグがお父さんの弟子だって?」

「そう」


 その言葉の中にはいくつもの後悔が散りばめられているように思えた。


「だから僕はずっと考え続けてきた。彼をガンフォジリーにさせてしまうほどの脅威があったとしたら、それは一体なんだったのかと」

「でも、最後まで立ち向かってくれたんでしょう? 大切な仲間だった人のために立ち向かうのって、勇気のいることだよ」


「優しい子だね」

 ジグは曇りのない笑顔を見せた。


「ねぇ、ジグ。本当のことを聞かせてほしいんだけど」

 彼の顔は次になにを言うのかじっと待っている様子だった。


「パナン=シハンに戻れないの?」

「驚いたな、君からそんなことを聞かれるなんて」

「きっとみんな――たくさんの人が、ジグがパナン=シハンに戻ることを期待していると思うんだ」

「そんなふうに言ってくれるのはとてもうれしいよ、ありがとう。確かに目標の一つではあった、若い頃はね。でも今は違う。そのために僕はここへ戻ってきたわけじゃないんだ」


 ジグの答えはエシルバが期待するものではなかった。きっとリフが聞けばがっかりするだろうし、彼をよく思う人であれば「もったいない」と思うだろう。だけど、ジグの言う通り若い頃と今とでは目標も様変わりした。だから、ルシカが称号で優劣をつけたがっている姿勢は、実はとんでもなく愚かなことなのかもしれないとすら思えた。


 午後の講習会も予定通り終わり、そろそろトロベム屋敷に戻ろうというときだった。屯所内でどこか見覚えのあるハンサムな男と、随分落ち着いた長身の男が談笑しているのを偶然見掛けた。

「やっぱり君はジグが師で大正解だったのさ! ほら、ジュビオたちなんて息も詰まるシィーダーだぜ、シィーダー。いや、俺だってね……」

 リフは熱弁しながらふと視線の先に映った男たちを見て「げっ!」と思わず声を出した。エシルバとカヒィはリフにぶつかって急ブレーキした。


「父さん? どうしてここに」


 へ? と思ってよく見てみると、ハンサムな男はリフの父親だった。そう言えば彼の父親は俳優だった。シュバルダローで子役の頃から今に至るまで絶大な人気を誇るアマクのスター、オヌフェ|イルヴィッチ! まるで銀幕の世界から飛び出してきたみたいだ。


「順調に役人生活を送っているのか気になって立ち寄ったんだ」

 オヌフェは目じりにしわを寄せて笑った。


「仕事は?」

「ハハハ、私と久々に会った言葉が仕事の心配とは」オヌフェは愉快に笑った。

「だって父さん、今月は南キャンバロフォーンに行くって言っていたじゃないか。それに、どうしてこんな所にいるんだよ。誰もこんな所に親なんて連れてこないよ」


「そう言うなよ。時間ならつくろうと思えばいくらでもつくれる、お前のためならな」そう言ってニッコリ白い歯を見せた。


「元気そうでなによりですな」

 オヌフェの隣にいる渋い声の男が言った。

「君がエシルバか」オヌフェは明るい声で言った。「息子が世話になっているよ」

「とんでもありません」

 エシルバは良い子ぶって答え、カヒィも自己紹介してペコリと頭を下げた。


「私はリフの父親、オヌフェ|イルヴィッチ。こちらはシクワ=ロゲン近衛師団の副団長を務めているノルクス|ロゲンだ。彼は大樹堂で働いている身だからね、もしかしたら今後も頻繁に会うかもしれない」

「ジュビオのお父さんだよ」リフが耳打ちした。


「よろしくお願いします」エシルバはドキリとして言った。


「君がエシルバ|スーか。お話はかねがね聞いているよ。私の息子も、君たちによく世話になっているよ。あの子は少々けんかっぱやいところがあってね、私もよく手を焼いている。もしかしたら迷惑を掛けるかもしれないが、そのときはいつでも私に言いなさい、いいね?」


 リフとカヒィは顔を見合わせてから「そんなことないですよ」と言った。笑顔から真顔に変わる速さにエシルバは笑いをこらえるのに必死だった。


「まぁまぁ、みなさんとても才能に恵まれた子どもだ。まさに、これからの使節団に必要な人材と言えるでしょうな」

「あなたのお子さんも皆優秀ではありませんか」

 オヌフェとノルクスは仲良さそうに「ハハハハ」と笑った。


「さみしくなったらいつでも家に来いよ」

 そう言ってオヌフェは恥ずかしがる息子の頭をワシャワシャなでた。

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