05、紅星アバロン

 しばらくすると、今度は夫のアソワールが泣きはらしたような顔でやって来た。沈黙を貫くアリュードに何度か話し掛けようとためらい、やがてこう言った。


「あなたには感謝申し上げます」


 その言葉に違和感を覚えたアリュードは眉をゆがめ、首をもたげたまま顔を上げられずにいた。


「あと、もう少し」


 彼はかすれた声で言った。


「数分、早く来ていれば、あなたの妻を助けることができたかもしれない」


「あなたは私とエルマーニョ、エシルバを救ってくださいました」


 アソワールは小刻みに震えるアリュードの大きな背中に手を置いた。しばらくして、アリュードはおもむろに胸ポケットから一枚の小切手を取り出した。


「私はあなた方を安全な場所まで送り届けます。政府の介入が及ばない所です」


 アソワールは小切手をまじまじと見つめた。目が飛び出すほどの金額に、振出人名義はグリニア|ソーソと書かれてある。それに、驚くべきは小切手の受取人がエシルバと記されていたことだ。



「この小切手はあなた方にとって必要になるはずです」


 アソワールは渡された小切手を跳ね返そうとしたが、アリュードはがんとして受け入れなかった。


「これは頂けません。他に、もっと必要としている人たちがいます」


「エシルバのために、受け取ってください」


 アリュードは、その文言が彼をひるませると分かっていた。


「ということは、あの方はエシルバが私たちのところに預けられていると知っていたというのですか?」


 すると、アリュードは自分の唇に人差し指を立てた。


「今の彼にとって大樹堂は針のむしろ同然。父が反逆者として知れ渡った今、彼を誰が守ってくれるというのでしょう? 強力な盾となってくれるシハンも使節団から辞任を余儀なくされました。今は遠くへ逃げるべきです。

 あなた方の判断は正しかった。あそこへ長居してはいけないのです。ガーマアスパルさん、これから話すことはこの先必ず避けて通れないことですから、よく覚えておいてください」


 アリュードはより慎重に言葉を選び、こう続けた。


「エシルバ|スーは政府が秘密にしている国家機密の重要参考人なのです。右手に奇妙なあざをもって生まれたことをあなたもご存じでしょう? あれは、単なるあざではなく星からの使命を預かったことを示しているのです」


 アソワールはあまりに突飛押もない話にぼう然とした。


「国家機密ですって?」


「25年後、確実にこの星は滅ぶ運命にあります」


 アソワールの眉間に拒絶的なしわができ、深く濃い影を生み出した。


「ご冗談を」


 アソワールは正気を取り戻して真面目な顔になった。「うそ、ですよね」


「政府がこのことを秘密にしていられるのも時間の問題です」


 アソワールは顔を両手で覆い、あまりのショックに喉から変な声が漏れた。


「巨大隕石と言った方が分かりやすいでしょう。政府はそれを紅星アバロンと名付けました。古代ブユ人が大昔に予言した内容の中に登場する隕石の名前から取られたものです。彼らの予言はとても正確で、巨大な隕石が衝突する日時が正確に記されていたのです」


「あの子と一体なんの関係があるとおっしゃるんですか?」


「関係もなにも、あの子はアバロンを阻止できる唯一の存在なのです。星に選ばれた……」


「はっきりおっしゃってください」アソワールは苦し紛れに言った。「隕石の話が本当だとしましょう。あの子は赤ん坊ですよ。あと25年! あの子が10歳になったころには15年……エシルバがどうやってそんな、われわれ人間の力ではどうにもならないものを阻止するというのですか?」


「アバロンを阻止するためには、巨大な扉を開かなければなりません」


「巨大な扉?」


 アソワールはその言葉を知っていた。彼だけではない、子どものころには一度でも聞いたことがある古い伝説の中に登場するものだ。


「三大界に存在する三つの鍵を集めたとき、巨大な扉が現れる。その扉を開けた時、世界は滅ぶ……そうですよ、伝説によれば、扉を開けば世界が終わるはずだ」


「扉には開き方があるのです。正しい開き方をすればアバロンを阻止することができる。彼のあざはいずれくっきりとした”鍵”の文様に変わるでしょう。星に選ばれた証として。彼を自由にしてあげられるのはそれまでです。鍵の文様がはっきりと現れた時、エシルバはシクワ=ロゲンのシブーとして政府に協力しなくてはならないのです」


「協力?」


「そう、それには様々な試験的実験も含まれるでしょう」


 頭がパンパンになったアソワールは顔を真っ赤にさせ、彼の方に両手を置いて迫っていた。見れば見るほど、その顔に張り付いた役人の名残がアソワールの癇癪に触った。


「あの子は”物”じゃない。世界が滅ぼうが、一人の男の子を好き勝手利用していいとあなたはお思いですか?」


「あなたは勘違いしておられる。その逆ですよ。エシルバは政府にとって大切に扱わなければならない存在だ。客人のようにもてなされるでしょう。それでも、鍵の文様が濃く現れる前に、少しでもエシルバには普通の生活を送ってほしい。

 私たちのエゴであるとは分かっています。私が今あなた方を手助けしたとしても数年後には裏切る形になってしまうということも」


 アリュードはなすすべがないと言いたげな口調で言った。どうにかこうにか事情を理解したアソワールはうなだれるアリュードの背中をそっとさすった。


「私も随分と困惑してしまいましてね、あなたを融通の利かない役人と重ねて怒りが湧いてしまったことは反省しなければいけない。でも違う。あなたには血の通った心がある。――ひどく誠実な方だ」


 やがてこう続けた。


「分かりました、とにかくエシルバのことは私に任せてください。それから、もし謝ろうとお考えならば、あなたが許しをこう必要などどこにもありませんよ。包み隠さず本当のことを打ち明けてくれた」

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