第189話:イリスとサイフォス

「ルーク、ルークってば、どこに行くのよ?」


「ちょっとね……師匠の姿が見えないんだ」


 追いかけるアルマを後ろにルークは森の中を進んでいた。


 ルークの目には森の中に続くイリスの足跡が映っている。


 そして足跡はイリスのものだけではなかった。


 その横に並ぶように続いているのは……サイフォスの足跡だ。


(なんだろう、何か嫌な予感がする。2人は何をするつもりなんだ?)


 嫌な予感に急き立てられるようにルークは足を進めていた。



 森は海岸の前で途切れ、そこから先は岩石が点在する浜辺になっている。


 そしてその浜辺にイリスはいた。


 イリスの目の前、数メートル先に剣を手にしたサイフォスが立っている。


「サイフォスさん!」


「おお、ルークか。すまんのう、ちょっとお主の師匠を借りとるぞ」


 切羽詰まったルークとは対照的にサイフォスは相変わらず飄々としている。


「借りるって……一体何を……」


「止めておけ」


 2人を止めようと足を踏み出そうとしたルークの肩が引き止められた。


「ゲイル……殿下?」


 そこにいたのは森の中に去っていったはずのゲイルだった。


「ああなった爺は誰にも止めらん。下手に手を出すと怪我だけじゃ済まんぞ」


 改めて2人を見たルークはその言葉の意味を悟った。


 表情こそ変わらないものの、何人をも寄せ付けない殺気が2人を取り囲んでいる。


「ったくあの爺、俺に説教しておきながら自分こそ無謀なことをしてるじゃねえか」


 呆れたようなゲイルの口調はどこか愉快そうだった。



 イリスが面白そうにサイフォスに話しかける。


「あんたも物好きだねえ。負けると分かってるのに向かってくるなんてさ」


「すまんのう、じゃがこれも老い先短い老いぼれの我儘だと思うて許してはくれまいか」


 世間話でもするような口調でサイフォスが剣を構える。


 口調は穏やかだがその全身から放たれる殺気はルークもたじろぐほどだ。


「精力なぞとっくに枯れたと思っとったんじゃがな。主のような強者を目にするとどうにも血気はやってしまうんじゃよ」


「枯れ木みたいなくせに油っこい爺だね。まあいいよ、かかってきな。軽く揉んでやるからさ」


「ししょ……」


「わかってるって」


 ルークの言葉をイリスが押しとどめる。


「ちょっと遊んでやるだけさ。すぐに済むから待ってなって」


「…………」




「あの2人どうしちゃったの?なんだか凄い殺気だけど……止めなくてもいいの?」


 追いついてきたアルマにルークは首を横に振った。


 イリスがああなってしまったらもはや地球上に止められるものは存在しないだろう。


 今や2人の間に張りつめる緊張は肉眼でもわかりそうなほどに高まっている。


 その場にいる誰もが言葉はおろか身動きすらせずに見守っていた。




 ひときわ大きな波が岩場にぶつかって盛大な波しぶきが立った時、その緊張が不意に消えた。



 その瞬間、2人の位置が入れ替わっていた。


 決して集中が途切れたわけでも瞬きをしたわけでもない、それでも2人の動きは視認できなかった。


 それどころかルークの《解析》をもってしても2人の動きを追うことはできなかった。




「……お相手、感謝する」


 サイフォスが静かに告げる。


「あんたも人間にしちゃなかなかやるね」


 イリスの言葉にサイフォスが微かにほほ笑む。


 そしてそのままゆっくりと砂浜に崩れ落ちていった。


「サイフォスさん!」


「安心しな、殺しちゃいないよ」


 慌てて駆け寄るルークにイリスが答える。


「ま、人間ならこんなもんだろうね。しかし依り代とは言えあたしにここまで傷を負わせるなんて大したもんだよ」


 そう言って持ち上げたイリスの左腕は肘の先から奇麗に切り落とされていた。


「凄い……」


 イリスの腕を見てルークは驚かずにいられなかった。


 神獣ですらイリスの体に傷をつけることが出来なかったというのに、魔族でもない人間がこれだけの力を身に付けることが出来るなんて……


 ルークは人間の持つ可能性を改めて見せつけられた気がした。



「その爺さんに伝えておくんだね。あたしに手傷を負わせたことは子々孫々まで誇っていいとね」


「師匠……?……その体は!」


 その言葉に違和感を感じて振り返ったルークが驚きの声を上げた。


 イリスの顔に細かな亀裂が走っていたのだ。


 その亀裂は少しずつ大きくなり、見ている間にも全身を覆わんとしていた。


「どうやら時間切れみたいだね」


 イリスが口を開くたびに亀裂からパラパラと破片がこぼれていく。


 まるで時経た土壁が風化していくようすを早送りで見ているようだ。


「そ、その体は一体……」


「神獣との戦いでだいぶ無茶をさせちまったからね。所詮は依り代だから長く持つわけなかったんだけど、そこの爺さんの一撃がとどめになっちまったみたいだね」


 依り代はその形を維持するために常に魔力を放出し続けなくてはいけない。


 イリスが作った依り代だから耐久度は凡百のものとは桁違いのはずだが、それでも魔神の魂が持つ膨大な魔力に耐えることはできなかったようだ。


 カシャン、という音と共にイリスの左腕が落ちて砕けた。


「!」


 アルマが思わず顔を背ける。


「そんな顔するんじゃないよ。別にあたしが死ぬわけじゃないんだから」


 崩れながらイリスがほほ笑む。


「ルーク、久しぶりの下界は楽しかったよ。それじゃ、また山で待ってるからね。後のことは任せたよ」


 その言葉と同時に遂に体全体が崩れ落ちた。


 繊細な陶器のように粉々になった体が風に吹き散らされていく。


 その後にはイリスの瞳のように真っ赤な魔石が1つ、残されていた。


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