第140話:オステン島へ

「気持ちいい~!」


 舳先へさきから水平線を見ながらアルマが弾けるような笑顔で笑っている。


 船は水しぶきをあげながら滑るように海面を進んでいく。


 ルークとアルマはキールと共にオステン島に向かっている最中だ。


「見て!ルーク!イルカだよ!私イルカを見るのって初めて!」


「うぅ……」


 はしゃぐアルマとは裏腹にルークは青い顔で甲板に転がっていた。


「大丈夫?」


「だ……大丈……」


 かすれるような声で答えるルークは言葉も終わらぬうちに口を押さえた。


 船べりに駆けだすと海に顔を突き出して盛大に胃の中のものを海中にぶちまける。


「本当に大丈夫なの?」


「だ……大丈夫じゃないかも……」


 船べりに背中を預けながら答えるルークだったがその顔は既に青を通り越して土気色になっている。


「そんなに辛いなら無理していくことなかったんじゃ?」


「そ……そうもいかないんだよ」


「フローラ様の件?」


 ルークが弱々しく頷く。


 昨晩フローラから頼まれていることをアルマに打ち明けたのだ。


「ルークが決めたのならもう言わないけど、無理はしないでよ?」


 アルマはルークの隣に腰かけるとその背中を優しくさすった。


「でも2人でそんな話をしてたなんて。なんで私には言ってくれなかったのかしら」


「た、たぶんフローラ様はアルマには普通の休暇を楽しんでほしかったんじゃないかな。僕もできれば自分で観察できる範囲で留めておきたかったんだけど」


 最初は適当に治安や有力者たちの王族に対する態度を確認するだけでいいと思っていた。


 しかし南方領土はルークが想像している以上に問題を抱えているらしく、アルマの協力を仰がざるを得ないと判断したのだ。


「そうなの?」


 アルマがルーク肩に頭を乗せる。


「私はルークと一緒ならなんだってするんだから、何かあったらいつでも言ってほしいな」


「もちろんだよ……僕だって……うぷっ」


 アルマに話しかけたルークの顔が再び青くなる。


「あら~、ずいぶんとやられちゃってるねえ」


 そこへキールがやってきた。


 揺れる甲板の上だというのにまるで地面を歩いているかのように軽やかな足取りだ。


「な、なんなんだろう……これは……船に乗った途端に気分が……うぅ……」


 再び船べりから頭を突き出すルーク。


「それは船酔いだよ。船に慣れてないとなりやすいんだ」


「船酔い?これが……」


 話には聞いたことがあるがこれほど酷いものだとは思わなかった。


 身体の奥がどうしようもなく重く、熱はないのに頭もぼんやりして上手く考えることができない。


 まるで安酒を無理やり飲まされた翌朝のような気分だった。


「こんなに酷いものだなんて想像もしてなかった……」


 ぜえぜえと荒い息をつきながら天を仰ぐ。


「体質とか体調も影響するからね~なんともない人はなんともないんだけど」


 キールが笑いながらルークに水筒を手渡した。


「どうする?船酔い用の治癒魔法をかけてあげようか?そのくらいならあたしにもできるけど」


「……いや、今は遠慮しておくよ」


 水を喉に流し込みながらルークが答える。


「これも経験だからね。こういう機会でもないと体験できないことだし」


「ふーん、ま、いいけどさ。わざわざ船酔いになるなんてルークって結構変わってんのね」


「ハハ……」


 ルークは力なく笑うと再び甲板に横になってうめき声をあげはじめた。


「水平線とかなるべく遠くを見た方が良いよ。その方が早く慣れるから」


「ちゅ、忠告ありがとう……」


 ルークはよろよろと身を起こすと船べりに身を預け、水平線へと目を向けた。


 水平線の彼方に小さな島影が見えた。


 あれがオステン島なのだろうか。


「うう……まだまだ遠い……」


 絶望のうめき声をあげた時、水平線の向こうから黒い影が近づいてくるのが見えた。


「……何かがこちらに向かってくるような……」




「キール!誰かがこっちに来るぞ!」


 甲板にそそり立つ物見やぐらの上から監視役の船員が怒鳴り声をあげる。


「なんだって!……クソ、あれはリヴァスラの旗だよ!全員戦闘態勢につきな!」


 懐から望遠鏡を取り出したキールが厳しい顔と共に叫ぶ。。


 やにわに船の中が緊張状態に包まれた。


「おい、武器を持ってこい!グズグスすんじゃねえ!」


「クソ!俺の鎧はどこいったんだ!」


「帆を張れ!全部だ!」


 船員たちは船倉から武器防具を引っ張り出して慌ただしく武装を始めている。


「あれは……敵なのか?」


「あいつらはリヴァスラ氏族、同じ村に住んでる一族なんだけどあたしらとは折り合いが悪いんだ」


 キールはルークの問いに厳しい顔で答えると船首で総舵輪を操る船員に振り返った。


「どうだい!まけそうかい!?」


「駄目だ!向かい潮なうえに風向きまで悪いと来てやがる!どっちに逃げても追いつかれちまう!!」


「畜生……」


 ギリリ……とキールが歯ぎしりをする。


 その時、遥か彼方の黒い影から閃光が走り、数秒後にルークたちの乗っている船のすぐそばで水柱が上がった。


 横腹に横波を喰らった船が大きく揺れる。


「まさか……あいつら魔導士まで乗せてんのかよ!?」


「どうする、キール。こっちには魔法を防ぐ手立てがねえぜ?」


 リヴァスラ氏族の船から放たれた魔法を見て船員たちの間に動揺が走っている。


「クソ……」


 キールは悔しそうに呻いたが遠方から攻撃されては手の出しようもなく、ただ黙って見守るしかなかった。


 リヴァスラ氏族の船から放たれる攻撃魔法は断続的にルークたちを襲い、その着弾点は徐々に船へと迫りつつある。


 今やリヴァスラ氏族の船はお互いの顔が分かる距離まで近づいていた。


 髭面の男がにやけながらこちらを見ているのがわかる。


 その横には魔導士と思しき男が詠唱を唱えていた。



「畜生……こっちも魔法が使えさえすれば……」


 キールが無念そうに呟く。


「か……彼らは……何をするつもりなんだろう」


 魔法攻撃で増加された船の揺れに息も絶え絶えになりながらルークが尋ねる。


「あの髭面の名前はドーキン、海賊まがいのことをしてる島一番の嫌われ者だよ。おそらくあたしらを攫って族長に身代金を要求するつもりなんだ」



「おーい、キール!そこにいるのはわかってるんだぜ!」


 向こうの船からだみ声が響いてきた。


 髭面のドーキンが口に手を当てて叫んでいる。


「お前らじゃ敵わねえのはわかってんだろ!大人しく投降するんなら身の安全は保障してやる。さっさと武装解除して出てくるんだな!」


 向こうの甲板には船員が一列に並んでいた。


 乗り移るための梯子をこれみよがしに見せつけている。



 キールが剣を握りしめた。


「冗談じゃない。あんな奴に辱めを受けるくらいなら戦って死んでやる」


「つ……つまり、あの船を止めればいいんだね」


 よろよろと立ち上がったルークをキールが慌てて止めようとする。


「ちょっと、危ないって!いつ魔法が飛んでくるかわからないんだよ!」



 向こうの甲板にいる魔導士の両手の間に光が生まれた。


「まずいぞ!あれは火炎弾ファイアボールだ!」


 やぐらの船員が叫ぶ。


火炎弾ファイアボール


 その直後にルークの放った魔法がドーキンの船に直撃した。


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