第96話:クラヴィの反撃

「どうなっておるのだ!」


 部屋の中にクラヴィの怒号が響き渡る。


「儂が満を持して送り込んだ《蒼穹の盃》が全く売れとらんではないか!」


「も、申し訳ありません!」


 床で這いつくばっているのは酒類商組合長のヴェルナー・ゲルマーだ。


 青い顔をしながらヴェルナーは自分の身に降りかかった不幸を呪っていた。


 クラヴィの肝入りで組合は新商品蒼穹の盃を大々的に宣伝していた。


 参加の酒屋にも圧をかけ、原価割れするくらいまで卸値を下げさせるという力業も使った。


 それでも全く売れなかったのだ。


 《蒼穹の盃》はお世辞にも美味い酒とは言えない。


 原料もとことんまで粗悪なものを使っているし製造だって安い仕事しか引き受けない三流蒸留所に委託している。


 お金をかけたのはラベルと、《蒼穹の鷹》公認という宣伝にだけだ。


 しかしそれ故に安く売っても利益がヴェルナーやクラヴィに入る仕組みになっている。

 だがそれも売れればの話だ。


 発売当初こそ話題になったもののその後売り上げは急速に落ちていき、1カ月経った今では日に数本しか注文がこないという惨憺たる結果になっている。


 このままでは投資した分が回収できるどころの話ではないとクラヴィが激怒するのも無理はなかった。


 そういうわけで呼び出されたヴェルナーが脂汗を流しながら事情を説明しているのだった。


「傘下の商人に檄を飛ばし、卸値も限界まで下げさせているのですがなかなか動かぬようで……どうも巷にとんでもなく美味いと評判の酒が出回っているらしく、そのせいで売れ行きが芳しくないようなのです」


「なんだとおっ!そんなもの儂は知らんぞ!」


「そ、それが組合を通さずに流通している酒、いわゆる自由酒らしいのです。交易都市国家であるメリカポリスは商人の利益を守るために自由酒の販売も認めております。そのかわり税金は高くなるのですがそれでもいいと酒場やレストランがこぞって買い求めているようなのです。既に半年待ちの人気だとか」


「どこのどいつだ!そんな小癪な真似をしているのは!」


「は、その酒を扱っているのはナイトレイ商会という組合に所属していない商人です。ただ、部下に調べさせたところどうやらファルクスが支援をしているようです」


「ファルクスだとおっ?」


 その名を聞いた途端クラヴィの額に血管が浮き上がる。


 ファルクスの名前はクラヴィにとって禁句だった。


 奴にはどれほどの煮え湯を飲まされてきたことか。


 数年前に商人として息の根を止めてやったと思っていたが、性懲りもなくまた息を吹き返してきたらしい。


「あの死にぞこないめ……まだこの儂に歯向かおうと負うのか」


 殺意のこもった眼でヴェルナーを睨みつけながらギリギリと歯を食いしばる。


「い、いかがいたしますか?組合の規定違反かなにかで営業停止させましょうか?」


「馬鹿者!そんなことをしてなんになる!ファルクスを止めたところで自由酒の販売を止められるものか!悪知恵だけは働く奴のことだ、いつでも尻尾を切れるように木っ端商人を使っているのだろう」


「で、ではどうしたら?」


「ファルクスのことは放っておけ、1人では粗相もできぬ老いぼれだ。それよりもそのナイトレイ商会とやらのことは調べておるのだろうな。どこの馬の骨が儂の財布に手を出そうなどと考えているのだ」


「は、はい、出自は不明ですが数年ほど前からメルカポリスにやってきて商売をしているようです。現在はセントアロガスからやってきた冒険者と行動を共にしており、件の酒は森にあるクリート村から仕入れているようです」


「セントアロガス?」


 傍らで壁に背を預けて聞いていたランカーが眉を持ち上げた。


「おい、その冒険者の名前はルークというのではないだろうな」


「え?さ、さあ、そこまでは調べがついていないようです。ただ男1人に女2人という組み合わせで獣人の娘もついているとか」


「間違いない、奴だな」


「なんだ、知っているのか」


 眉をひそめるランカーにクラヴィが興味深そうに聞いてきた。


「いえ、ちょっと知っているという程度ですよ」


 こいつは一月前に会いに来た連中の名前も覚えてないのかと心の中で呆れながらもランカーは軽く流した。


 しかしまさかこんなところで奴の名前を聞くことになるとは。


 奴が街に残っているのなら思い知らせてやるちょうどいい機会かもしれない。


 なにせ地の利と人の利はこちらにあるのだから。


 密やかに笑みを漏らすランカーをヴェルナーが不思議そうに見つめている。


「そ、それでそのナイトレイ商会の方はいかがいたしますか?組合に所属していない以上我々には手の出しようが……」


「ふん、貴様に期待はしておらん」


 クラヴィは這いつくばるヴェルナーをじろりと睨みつけた。


 こいつは所詮指示を待つしかできぬ奴だ、任せても抜本的な解決をすることはできないだろう。


 となるとやはり儂が直接指揮を執るしかないか……


「それはこちらでなんとかする。それよりも貴様は《蒼穹の盃》を売る算段でもしておれ」


「ははあっ!」


 どこかほっとした声でヴェルナーは去っていった。



「ふん、他人の顔色しか伺えぬ奴め、あんな奴が組合長をしているから儂の儲けが減っていくのだ。今回の件が片付いたら奴は格下げだな」


 クラヴィは苛々したように部屋を歩き回った。


「問題は単純なことだ。そのナイトレイ商会とやらが酒を売れなくなればいい、それだけなのだ。商人のくせにそんなことも気付かぬから三流なのだ」


 そこまで言うとクラヴィはランカーに意味ありげな視線を送った。


 意図を悟ったランカーが肩をすくめてみせる。


「我々の出番、ということですか」


「メルカポリスの冒険者は商人のためにある、という言葉もある。今回もそれを実証してもらおうか」


「わかりましたよ。ただし追加料金は払ってもらいますよ」


 ゆらりと身を起こすとランカーはドアに向かった。


「わかっていると思うが儂は当然としてお主らの仕業だとも気付かれないようにするのだぞ。目的は《蒼穹の盃》を売ることなのだ、それを見誤ってはいかんぞ」


「了解です。昔の知り合いにうってつけの奴らがいるのでそいつらに任せますよ」


 部屋を出て行くランカーの顔には凶悪な笑みが張り付いていた。


 部屋の外で控えていたピットがものも言わずにその後をついていった。


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