23話「デンジャラス・ゲーム」ー後編
*
辰実が提示した条件はいくつかあったが、山崎はその条件を全て了承した。
「…あの男は、依頼を受けてくれましたね」
「黒沢は薄情な男じゃないんですよ。自分が拾った女1人おいて逃げ出す奴じゃあなくてね。」
話し合いは終わり、会議室は山崎と饗庭を残した空間になる。
「ところで山崎さん、篠部の件が"炙り出し"ってのはどういう事ですか?」
「言葉の通りですよ。君も知っているように、この会社にはグラビアアイドルが頑張って得たモノを、あたかも自分が得たモノのように振る舞う連中が一定数いる。ああいう手合いをまとめて潰すには、あの子がいなくなった穴を埋めようとする連中から当たっていくのが良くてね。」
(こりゃあ、黒沢の奴が不快になる訳だ)
山崎の発言は、怜子に対する"配慮"が全くと言っていい程欠けていた。
「"思いやりが無い"とかも思われるかもしれないんですが、なにぶん私もここの会社に生活費を稼ぎに来ていますんで、害悪な連中に会社の価値を落とされると非常に困るんですよ。」
「分かります。…俺もヘッドハンティングですし、しがみつかなければなので。」
「おお、饗庭君もですか」
山崎の驚く演技が、わざとらしく見える。辰実が輪をかけて不快だったのも、この様子が原因でもあるだろう。
「では、早瀬さんと一緒で"草の者"?」
「何かそう言われてるみたいですがね」
「ああ、アレは私と、同時にヘッドハンティングされてきた社員が中心となって作ったコミュニティの通称なんだ。…厳密に言えばコミュニティというよりは、ヘッドハンティングされた連中が"わわわ"で生きていくためにやるべき事をピックアップしたぐらいなんだけどね。」
饗庭は"草の者"の一員であるが、その実態を掴みかねていた。実際のところどういったコミュニティなのかもよく分かっていない。
「我々のすべき事が何か、饗庭君には分かるかな?」
「分からんですね。何をするんですか?」
「この会社には"膿"が溜まっている。…それは元からいる社員と、そいつらに気に入られた連中が私腹を肥やすための集団となっている。いわば"伏魔殿"だ。」
「横山を中心に」
「いいや、更に上がいるだろう。」
横山がその音頭を取っているとは、饗庭にも考えづらかった。早瀬の評価は置いといて、実際の所接してみて"何か大きい事を成せる"ような男には見えない。
山崎が言っている事は、おそらく的を得ているのだろう。
「…その為にも君に、1つ頼みたい。」
饗庭は、首を横に振らず盾に振った。頼みを了承したと言っていい。
「黒沢辰実に、何か動きがあったら逐一私に報告してくれ。」
「俺にスパイを頼もうってんなら、他を当たった方が良いかと。」
「そういう間柄だったのか」
「今の時点でどうするか、考えてないんで」
*
「監察に呼ばれでもしましたか、饗庭さん?」
辰実の話が終わって10数分後、ようやく解放された饗庭だがまたまた捕まる。何を考えているか分からない山崎も厄介ではあったが、今声をかけてきた古浦も目的はあれど過程の踏み方が分からない分神経を使う。
「そんなとこだ。…黒沢には会ってねぇのか?」
「来てらしたんですか。」
「ついさっきまで監察に呼ばれて一緒に話を聞いていたんだがな」
(黒沢さんが…、怜子ちゃんの事だろう。あまり気分が良い状況では無いか。)
「黒沢さんは、どんな様子でしたか?」
「起源は悪ぃな。監察ってよりは"わわわ"自体にキレてる。」
「東京から帰って来て、いきなり怜子ちゃんのスキャンダルですし。」
「更に篠部のスキャンダルを嘘だって証明できなければアイツも一緒に奈落行きだ。」
「…そんな事を、僕に言って良かったんですか?」
古浦が暗躍している目的は全て、"怜子"のためだと言っていい。人気はあったが、更に躍進するためには何か足りなかった彼女に"彼女が一皮むけるために物語が必要である"と言っていたのは彼である。そのために、"契約解除"という道を彼も甘んじて受け入れていた。
「俺の独り言だと思ってくれ。…それにお前さんも今、黒沢がいなけりゃ目的は果たせねぇだろうが。」
「耳の痛い独り言ですね。」
「ああ、こう見えて相手の痛い所を確実に突くのが俺のやり方だからな。」
現状、横山の下について働いている古浦に怜子のスキャンダルを嘘だと証明できる手立ては無い。…東京に行く前に怜子をピックアップした記事を書いた過去はあれど、それは"わわわ"が主体になった企画の話で(あまり怜子の事で騒ぎ立てれば却って自分たちが怪しまれる傾向にある)あったために可能であった。
騒ぎになってしまった現在、自分が動けば上に潰されて何もできなくなる数手先が見えている。動く事ができるにしても、辰実が反撃の目途を立ててからだろう。
「嫌な話が、期限付きで"わわわ"が黒沢に事態の解明を依頼した。」
*
数十分前。
「…その条件は、了解しました。ですが黒沢さん、それにはこちらも条件を。」
条件を呑んだにせよ、大勢が少人数を相手に条件を"はいどうぞ"と全部受け入れていては沽券に関わってくる。山崎の提示する条件は、あくまで立場の優劣を辰実に刷り込む儀式のように饗庭には思えた。
「何でしょう?」
「次の8月28日。その日までに解明できなければという条件を付けさせて頂きます。」
(あの子の誕生日か…。上手くいけばハッピーエンド、でなければ後味の悪い思い出を作ってしまう。)
"分かりました"と低く辰実は返事をし、その場は山崎の"ではお願いします"という言葉で終わった。
*
「怜子ちゃんの誕生日ですか…」
「全く嫌な演出をしやがる」
自販機のある休憩スペース。外は灰色に染まって、打ち付けるように雨が降っていた。天気予報では小雨と言っていたにも関わらず。
「これも僕の独り言です」
「仕方ねぇ、聞いてやるよ」
遠慮なく、古浦は持っていた煙草に火を点けた。
「今回のスキャンダルで、企画部でも横山を中心とする"伏魔殿"が出来上がったと"横山は"思っています。…そんな彼が考えているのは保身よりも、自分が今まで散々にあやかってきた今のグラビアの人気構図を入れ替える事です。どうやらそれを"人気は俺達だけで作るモノ"だと過信しているようですね。」
火のついた煙草を吸って、古浦は煙を吐き出す。
「怜子ちゃんのスキャンダルが裏返らなければ、伏魔殿の完成です。…僕もなりふり構ってられませんね。」
「何だ、横山の犬では無かったのか?」
「からかわないで下さい。あの男が上に来てから仕事が面白くないんですよ。」
"だろうな"と饗庭は笑った。
「あの男には基本的に、揉み手で寄ってくる無能しか集まりませんからね。それに白いモノでも"わわわ"が黒なら"読者"も黒って言う謎の方程式が頭にある。」
「数学的に証明できんのかよ、ソレ?」
「大学教授にでも持っていってみますか?」
目的が果たせないと分かれば、古浦もなりふり構っていられない。横山、ひいては"わわわ"に弓を引く事だと分かっていながら、信念が逃げを許さなかった。…冗談が言える限りは、饗庭も心配はしない。
古浦は、存外に熱い男である。
「そう言えば、横山は"人気構図"を入れ替えるって言ったな。」
「それに関しては間違いないのですが、その絡繰を教えろと言われても推測でしか答えられません。」
「面白そうだから推測の方を教えろよ。コーヒーぐらいは奢ってやるぜ。」
「言い出しにくいのですが、僕はアイスココアが好きなんですよ。」
"可愛いとこあんじゃねぇか"と笑いながら、饗庭は自販機の律儀な場所に小銭をねじ込んでアイスココアの缶を落とす。取り出し口に落とし込まれたそれを拾い上げ、古浦に投げ渡した。
「美味い」
「糖分が足りてなかったとは恐れ入ったぜ」
「汚いロン毛のオッサンの相手をするなら幾らあっても足りません」
古浦は渡されたアイスココアを満足そうに飲む。少し飲んだ所で、話は本題に入る。
「今の"わわわ"のグラビアが、どういった人気構図になっているかご存知でしょう。」
「それぐらいは俺にも分かるぜ。」
「30代前半というベテランの位置にあって、今も不動の人気を誇る"黒沢愛結"に少し空白を開ける状態で次点、そのまま次点とせめぎ合っている。」
「今、横山が推そうって噂の"指宿"はせめぎ合いの渦中にはいねぇだろ?」
「ええ、まあ。ですが、それを人気に押し上げようとしている。…基本的には地道な努力が必要ですが、先の方程式が横山の権力では通用してしまう。」
「そうやって金を回収し、できなくなればお終いってか。」
「そうなるでしょう。…もっとも、怜子ちゃんの"パワハラ"に関わったとされる3人はそうなる前にお終いでしたが。」
「アイツが企画部のプロデューサーである以上、今の人気グラビアにあやかって私腹を肥やす事ができる。だったら構図を変える必要なんて無ぇだろうよ?」
「…それでは"完璧な"錬金術ができませんので。」
短くなった煙草の先を、古浦は灰皿に押し付け火を消した。
「今の人気グラビアは、横山が手をかける前に自分の地位を確立しました。…一定の発言権を許してしまえば、場合によっては横山がそれにあやかる事ができない。」
「なら全部、最初から自分が手をかけて、自分らで勝手に人気を作って押し上げれば良いって事か。"わわわ"を読む読者数は常に一定いる、グラビアに引っ張ってくる子もある程度は見た目が良いのは揃う。」
「ええ、その原則が崩れなければ、構図を変えるだけで横山の伏魔殿と錬金術は成り立ちます。」
「つまらねぇな。」
「仰る通りです。」
"かと言って俺は易々と黒沢の味方はしねぇ、お前みたいにな。"と饗庭は付け加える。今しがた微糖の缶コーヒーを空にし、ゴミ箱に投げ入れた。
「…言っても今は俺達は"待つ"しかできねえ。楽しい話だがここまでにしようや。」
「"待つ"?何をですか?」
「そりゃあお前さん、"わわわ"にいる俺達は動けねえだろう。」
「それは、中での話でしょう。"外で"なら何をしても自由です。」
「おいおい、何を考えてるんだ?」
興味を惹かれた饗庭に、古浦は"お楽しみに"と笑って答えるだけであった。
(伏魔殿は、そう上手くいかなさそうだぞ?)
*
「大事ではありますね…」
"若松物産"。県東の海に構えられた魚市場である。広報係長の味元(みもと)は、髪の毛が添える程度に生えた、皺の刻まれた煮卵のような顔をしている中年の男。代謝が良いようで、また汗で滲んだ額をハンカチで拭いている。
7月の暑さがこたえるのか、首元にタオルを巻いていた。
「正直こうもスキャンダルとして大々的に広められるとは思っていませんでした。"若松物産"の皆様にもご迷惑をおかけしています。」
実際に怜子と接してみて魅力を感じた味元は、彼女を"若松物産"のイメージガールに起用した。他にも怜子は若松商店街のイメージガールにも起用されているが、今回のスキャンダルで両方が打撃を受ける事は間違いない。
「役員からも、怜子ちゃんの事について色々と言われてはいますが、"事実関係の真偽を調査します"と、何とか時間を稼いでいますよ。」
「…こちらとしては、これ以上迷惑をかける訳にはいきません。彼女を降板させて下さい。」
事実の確認には時間がかかる。その間に味元に余計な負担をかける訳にはいかなかった。今回の騒動をどうにかするにせよ、関われば誰もが打撃を受けるくらいの大事になっているからこその辰実の判断であった。
「降板は考えていません」
辰実は眉をしかめた。辰実はビジネスライクでドライに考えた結果で味元に"頷いて欲しい"と思っていたが、味元は辰実が"そう言うと確信していた"。この考えの差が良く見える。
「…ところで黒沢さんの父は、どのような方ですか?」
辰実の父は、食品会社の広報課で働いている。自分が家を出た時までは主任であったが、それが急に娘2人になった途端に出世し、課長までなっていた。
「愛想の悪い俺と違って、父は明朗な男です。」
「ほうほう。…しかし根っこの部分は親子で似ているのでしょう。」
「ええ。同じ事を妹に言われました。」
ほほほ、と笑いながら味元はまたハンカチで額の汗を拭った。
「私の父ですが、私と見た目も中身もよく似ていると言われます。…趣味とかは違うのですがね、父は特に時代劇が好きで、小さい時は一緒によく観ておりました。」
「時代劇…、ですか。」
小さい頃の話を、味元は感慨深そうに語る。味元のような男がもう1人いると考えると、生物学の滑稽さを嫌でも感じてしまうが、この時ばかりは味元の話に意味がありそうな分、余計な事を考えられない。
「よく覚えているのが、敵の城に主人公の侍が1人討ち入りする場面でしてね。…悲しい事にこの侍は敵に囲まれて討たれてしまうんです。」
話の合間で呼吸。その間には冷房の音が濃く聞こえた。
「小さい時の私は、"1人で戦わなければ討たれなかったのに"と思いましたよ。…だから今の黒沢さんもそうです、1人だけで刀を持って戦おうとする侍を私はここで放っておく事が出来ません。」
「味元さん…」
携帯電話が振動する。"空気の読めない奴だ"と思ったが、画面を観ると水掫からであった。"どうぞ"と味元に促されたため、ぶっきらぼうに通話ボタンを押す。
「はい、黒沢です。」
『水掫よ。さっき"わわわ"を読んだけど、相当ピンチみたいね?』
「良い状況で無いのは確かですよ。」
『取り繕わなくていいのよ?…返事の感じからしてあまり長く話が出来そうでは無いから、用件だけ伝えておくわ。』
「ありがとうございます。」
『何かあればすぐ頼りなさい。場合によっては助け船を出す、信頼しなさい。』
それだけ言って、電話は切れた。
「…すいません、若干聞こえてしまいましたが私も今お電話されていた内容と同じ意見です。」
「………」
「あの子は何もしていないんでしょう?…なら"若松物産"も堂々としていれば良いのですよ。」
滑稽な侍であったが、辰実にとって非常に有難い男であった。
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