18話「シンデレラ・ファイト」ー中編


 *


会議本番。


まずは意気揚々と出た(また"へいボス"とか言ってたので"ボスはやめてくれ"と辰実にたしなめられている)マイケルが愛結に向けてのプレゼンを始める。シンプルな中にも、ワンポイントでブランド感を出している点を強調し彼は説明をしていた。


愛結が目をキラキラさせながら、その様子を眺めていたが辰実が気になったのはそこでは無い。


様子を伺う古浦と、もう1人の視線。


会議の最初に、"Lucifer"側から簡単に紹介された目の細くて背の高い男であるが、それが"辰実の挙動を伺っている"ように感じた。観察するというよりも、"見定められている"と言った方が正しい。


皆が緊張している中、いつも気楽に構えている辰実がこの時ばかりは緊張感をもって会議に臨んでいたのを熊谷は目にした。"会議の規模の話じゃない"と分かったのは単に彼自身の勘による所がある。



「良いデザイン案ですね、これは」


まず手を叩いて評価したのは、藤原であった。


「アリガトウゴザイマース」

「華美になり過ぎる事もなく、シンプルに削ぎ落とす。…それでもって1つ、"何かを目立たせる"、非常によく構成されたデザインです。これは早くサンプルが見たいですね。」


マイケルが提案したのは2つ。"ヘアゴム"と"ピアス"をデザインしていたのは、シンプルに1つ手を加えた形を活かす手段として"この2つ"に絞り"さりげなく"ブランド感を出させるため。あれこれと見せびらかすように品数を増やしても、却って"ブランド"の価値を落としてしまう。


販売をするのは"Lucifer"である。藤原はその点も気にしていた事だろう。


「1つ自分をキリっとして見せたいとか、そういう時につけてみたいですね。…どちらかと言えば仕事用でしょうか?そう言われてこれがもらえたら嬉しいです!」


愛結のコメントも上々。話が終わって座ったマイケルに"だそうだよボス、ギフトにお勧めですヨ"と茶化された。おかげで緊張が少しほぐれた訳である。



次は栗栖の番、梓に向けてのプレゼンが始まった。


「何、箱ですかな?」

「アクセサリーの箱詰めですね」


髪留め、ヘアゴム、ピアスにブレスレット、ネックレスにバレッタ、簪の7点。これが玉手箱のような漆塗りを基調とした箱に入っているのだ。プレゼンボードには、箱の蓋と箱の中身が細かく描かれている。


黒と金を基調とした線に、蜂の羽と花をイメージさせるデザイン。花のような羽根のような形に、鈍く金色に光る線と青く光る線が幾重にも引かれている。金色と青色を織り交ぜた淡い光が、えんじ色の布の上でアクセントになっていた。


(この手描きが一番時間をかけたんだ、栗栖よしっかりやるんだぞ?)


先の愛結(30代前半)に向けたデザイン案では、数の少なさで勝負をした。対して梓(20代後半)に向けては数で勝負をする。何もアクセサリーの用途は"身に着ける"だけではない、"保管"すなわち"飾っておく"という所もあるのだ。…普段から全く装飾を意識しない辰実と栗栖が何故この事を思いついたかと言われれば、前に愛結へのプレゼントでネックレスを買った時に"保管の仕方"について宝飾店の店員から説明を受けた事に起因する。


つまり"飾る(=使わない時)"という概念を逆手に取って考えたデザインだという事だ。


その辺りを丁寧に説明する栗栖。問題は梓に"ピンポイント"で当てたデザインが他にもウケるかどうかだろう。



「中々に"和風"を意識されたと思いますが、所々に和風から外れた技を感じますね。」


"これは、もうセットで売るイメージですかな?"と藤原に質問され、"ええ、その方が良いと思っています"と辰実は回答する。


(勝負するなら"売り方"だ)

(売り方ですか?それがデザインと関係が?)

(…栗栖は、"ユーザーエクスペリエンスデザイン"について聞いた事はあるか?)

(聞いた事はあります)


簡単に言えば"経験のデザイン"である。名前が表す通り、"ユーザー(=顧客)の体験"を考えるデザイン手法ではある。厳密に言えば"売り手"、"買い手"両方の課題に即したデザイン手法であるのだが、その時に辰実が話をしていたのは"買う"側の経験であった。


購入、そして部屋に飾るまでの過程。ただ"モノを作る"だけではなく"何をするか"までイメージする事で商品のさらなるセールスポイントとなるのだ。


(馬場ちゃんが、栗栖の考えたアクセサリーを買う。その後にどうやって身に着けるか、保管するか考えよう。)


それを一緒に考えた結果が、"箱に7点を詰め売る"という方法。結果として"梓に合うデザイン"を考えていたが"顧客にどのように扱ってもらいたいか?"を考える結果となったのは嬉しい誤算。


…それも、藤原と梓を突破しない事には叶わない。



「使わない時は家に置いて、ハレの日には身に着けていく。…また帰ってきて保管してたら、その時の思い出も一緒に保管してるみたいで良いですね。」


"なるほど"と藤原は感嘆していた。


(よし良いぞ、愛結と馬場ちゃんは難なく突破だ)


辰実の中では、"20代後半"と、"30代前半"のデザイン案については"ほぼほぼ通るだろう"と見切りをつけていた。多少のブラッシュアップはあるが、ベースになるデザイン案は決定したも同然。あの反応であれば大まかな形は崩す事は無いだろう。


この数十分で、"アヌビスアーツ"は大きく前進した感覚を味わったのは辰実だけでは無い。担当者の栗栖とマイケルもそうであった。


…が、油断はできない。本番はここから。


この会議は"アヌビスアーツ"の飛躍のための場でもあり、"グラビアに戻りたい"と言った怜子が失ったものを取り戻すための"足掛かり"となる場でもある。


関門、月島亜美菜。


"次は20代前半"となる事が分かっていて、もう不機嫌そうな顔をしていた。あの様子であれば"何としても案を通さない"ために仕掛けてくるだろう。"怜子に向けて作ったのではないか?"と一瞬でも思えば、"怜子が気に入らない"と思って確実に仕掛けてくる。


(あの様子だと、月島は篠部が元々モデルだった事を知っているかもしれない)

(…だったら、僕らの提案だとマズいんじゃ?)

(駄々っ子が駄々をこねたぐらいで覆されるデザイン案じゃないだろう、トビ)


"やってきた事は絶対に嘘をつかん"と、辰実は熊谷の背中を叩く。


「ここまで"ブランド感"や"ギフト"としての側面を出させて頂きましたが、"20代前半"の方では"引き立てる"という点から考えさせて頂きました。」


彼女たちは、アクセサリーを"飾っておく"ための存在ではない。彼女たちを引き立てるために"アクセサリー"は存在するという事を、割と忘れがちではないのかという疑問。デザインとは"問題解決"のための手段の1つ、話を始めるのであれば問題提起を行い"解決策"として案が存在する事を示すのはプレゼンテーションにおける常套手段であった。


デザインの学生であった熊谷は、その"基本"を忠実に実行する。


(女子大生とか、よく商店街歩いてるだろう?トビも思う事はないか?)

(言わんとする事は分かります)


熊谷の説明が始まる。基本に忠実に、分かりやすい説明をする熊谷の言葉は聞かなくても"素晴らしい案だ"と分かっていた辰実が観ているのは月島の反応であった。


直に"彼女の性格"と"デザイン案の性格"の違いに気づく。



(20代前半となると、結構良さそうなのに手を出しがちな時期なんだよな。…それでもって"Lucifer"が何故モデルを篠部ちゃんにしていたかを考えよう。月島は何があっても"あの子を攻撃しにかかる"かもしれないが、来るなら来いって話だ。"Lucifer"と"わわわ"、どちらにしか刺さらないって話なら大元の"Lucifer"に刺さるようにした方が良い。)

("Lucifer"に、ですか。)

(そうだな)

(…でしたら、月島を凌がないとですね。)

(できるか、トビ?)

(何とかします)


(ああ、頼む。それとついでに、骨の折れる注文をしてもいいか?)

(それは、やらなきゃいけない注文なんでしょう?)


ぶっきらぼうに話を続ける辰実に、熊谷はほんの少し冷や汗を額に浮かべて答えていた。今回の企画の"鍵を握る"プレゼンに緊張していたのだろう。


(そうだな)

(聞きますよ、要件)

(月島のメンタルを折らないように、上手くやってくれ。彼女の存在は今この時点で厄介かもしれんが後々大事になってくる。)

(…分かりました。)



場所は広い"わわわ"の大会議室、窓の向こうには息が詰まるぐらい高い位置の空が見える。


薄い空気を灰が埋め尽くされるまで吸い込んで、脳髄を静寂で満たす。熊谷の説明は殆ど藤原に向けてのものであるが、誰が聞いてもデザインの"コンセプト"を十分にクリアしたものであった。



「アクセサリーは女性を"引き立てる"もの。言い換えれば"なりたい自分"にまで"ステータス"を引き上げるものでしょう。…しかし、"憧れて身につけたくなる"と言っても、場所を選ぶものでは"身につけたくなる"モノであっても意味がありません。だからこその、"前に出過ぎない"であっても"見ればポイントとして光る"デザインであるべきだと思い提案させて頂きます。」


言葉尻を追いかけなくても、熊谷の話の様子を聞いていれば、"素晴らしい提案"だと辰実には分かった。シンプルにまで洗練されたデザインの"削ぎ落す"という技術はまさに"その道のプロ"が成し得るもの。


だからこそ、藤原は眼鏡の奥の細い目を更に細め頷いていた。


銀色のティアドロップとも、宵闇に輝く星とも言えるその形状は"彼女達"を引き立てるには十分なくらい。世の中のスタイリッシュな女性、言い換えれば"尖り切った"彼女達。…否、尖るではなく"研ぎ澄まされた"先に大衆が感じる"憧れ"を表現していた。


そして、灰まみれの星をもう一度輝かせたいという悲願でもある。



「人の成長とは、"何かを加えていく"ではなく、"研ぎ澄ます"という事ですかな。先程から素晴らしい作品を見せて頂いておりますが、これも素晴らしいですね黒沢さん。」


月島の様子を観察していた辰実は名前を呼ばれ、驚きそうになったのを押し殺し"ありがとうございます"と答える。


「女の子の儚い願いにも似た、何処か"お守り"のようなエッセンスも感じます。…特に力を入れられたのでは?」

「仰る通りです。個人的には最も難しい課題でした。」


「成程。…して、月島さんからは何かありますか?」


月島の様子が"妙"であった。辰実は"あれこれと難癖をつけてくるだろう"と予想していたが怖いくらいに静かすぎる。以前に"アヌビスアーツ"に対して向けていた不機嫌さが削ぎ落されて、元来持っているだろう真剣な眼差しで"怜子の願い"を形にしたアクセサリーのデザイン案を見据えている。



「素晴らしいデザインだと思います。…ですが何か"引っ掛かる"んですよ。」

「引っ掛かる?」


穏やかに藤原は真意を問うが、社内全域に流れる"12時"の合図がその質問を遮った。



「詰め込み過ぎましたかな?ここで一度休憩を入れましょう。」



藤原の一言で、ぞろぞろと周りが動き出す。背伸びをしている者、立ち上がってそそくさと室外に行こうとしている者。深く息を吐いている熊谷の隣で、辰実は昨晩に若干寝違えたかもしれない首を左手で揉んでいた。


「飯、どこ行きます?」

「…そうだな。"わわわ"の社員食堂も気にはなるが、折角本町に来たんだし駅前のビル辺りで何か食べるのも良い。栗栖、どこか良い所あるか?」

「駅ビルに、美味い鶏肉の店が。」

「鶏肉かー、縁起が悪いな。」


会議を勝負と考えている。そこに"チキン"とくればあまりいい話ではない。


「おっと、失礼しました。焼き魚系の定食が美味い店なら、駅前の百貨店に。」

「美味しい店じゃないか、そこに行こう。」


辰実が立ちあがると、他の"アヌビスアーツ"の4人も立ち上がる。12時を回り、2時間の休憩をもらったからには、少し歩いて店に行く余裕はある。


…が、辰実だけにはそんな余裕も無かった。厳密に言えば、"別の機会になった"と言った方が正しい。


「黒沢さん、少し食事しながら話でもどうですかな?」


藤原に呼ばれる。傍には森と、初見になる鋭い目つきの男がいた。本日から会議に混ざっていたが、"Lucifer"の社員であるとは聞いていない。会議中に辰実の事を"観ていた"だけに謎の重さを感じる。


眉をしかめて、熊谷を見る辰実。"お構いなく行ってきて下さい"と熊谷は答えた。


「喜んで」



 *


"わわわ"の社員食堂は、来客用にも開かれている。ほくほく顔でエレベーター内のボタンの"B1"を押すとゆっくり箱が下降を始め、ものの数十秒で軽快な音とともにドアが開く。


藤原、森、辰実、浮田の4人が思い思いに券売機へお札や小銭を投げ入れ、それぞれの注文をする。


盆に乗ったきつねそばと、菜の花のお浸しや筍の煮物の小鉢もくっついている。隣に立っていた浮田はきつねうどんと小鉢2つを盆の上に乗せていた。似たようなものを注文していたと分かった時に、辰実はこの男の顔を初めてよく見る事ができた。


自分にも負けず劣らずの、険しい顔をしている。


その男が誰なのか、そもそも"Lucifer"の社員なのかも分かってはいない。…愛想の悪い男どうしが、横に座ると藤原と森が正面に座る。藤原は焼き魚の定食を、森は生姜焼きの定食を注文していたようで、メインディッシュの焼き魚や生姜焼き以外にも、白ご飯とみそ汁がついていた。



「…そう言えば、2人は初対面か」


辰実と浮田が顔を見合わせて、分かり切った"初対面です"を演出する。


「紹介しておきましょう、"青鬼プロダクション"の浮田君だ。」


もう一度、辰実と浮田は顔を見合わせる。


「"アヌビスアーツ"店長の黒沢です。」

「"青鬼プロダクション"の浮田です。」


浮田の細い目の奥からは、底が見えない。役職はあるのだろう、彼の醸し出す雰囲気は"できる男"だという事を如実に表現している。


「"青鬼プロダクション"ですか。アイドルの発掘にしては場所が違い過ぎでは?」

「ご存じですか、うちの会社を。」


「"わわわ"のグラビアアイドルには詳しいですので」

「左様ですか」


挨拶が済んだ頃合いで、藤原が話を進める。


「…さて黒沢さん、先ほどのデザイン案ですが、どれも素晴らしい。」

「ありがとうございます」

「しかし、"20代前半"に向けてのデザイン案はどこか意図的に"ずらしていた"と言いますか。何か考えがあっての事ですかな?」


「お察しの通りです。…藤原社長も、分かってらっしゃるからこうやって"青鬼プロダクション"の方を同席させた。」


どうやら、答え合わせをする必要があるようだ。



「元々、あの席には篠部怜子がいた事は藤原社長から聞きました。」

「"聞きました"って…、"聞き出した"の間違いじゃないのかい?」


丁寧に割り箸で藤原は鯖の塩焼きをほぐす。焼けた黒ともこげ茶色とも、そしてどう表現したらいいのか分からない、焼けた青魚特有の黄色や茶色を混ぜた色の皮がパリッと音を立てる。確かに、"聞き出した"時の辰実のやり方は"身をほぐす"と言うよりも"腹を切り開く"と言った方が正しい。


「マグロの解体ショーみたいだったな。相手がデカかろうが関係ない、堂々と切り開く。いやあこれが中々に面白かった。」


身をほぐす作業までも味わうように、藤原は食事を楽しんでいる。その横で緊張感を残した森が生姜焼き定食を丁寧に三角食べしていた。日頃の作法からも、社員の品格が問われるのだろう。


宝飾品を販売するのであれば、想像以上に問われるのかもしれない。


 

「色々考えてはみましたが、"Lucifer"のコンセプトに合うのはやっぱり篠部怜子です。彼女であった方が、藤原社長にとっても都合がいいのでは?…勿論、浮田さんにも。」


浮田の眉が動く。


「"若松物産"のPR動画を、浮田さんも見られたのではないですか?」

「よく分かりましたね」


辰実の口角が上がる。反対に、浮田は口角を下げていた。

いつも仏頂面で人と向き合っている辰実が、相手に笑みを見せているのが珍しい。


「"不祥事で"契約を解除されて表舞台から消えた篠部玲子が、"PR動画"という形で表舞台に出てきた。…浮田さんも、"もしやアイドルに戻りたいと思ってるのでは?"と思った事でしょう。」

「その通りです。」



「…この場で皆さんには内緒にして頂きたいですが、お伝えしておきます。彼女自身は、"グラビアに戻りたい"と先日話をしていました。」


"そう来たか"と藤原は顎に手を当て口角を上げる。森が目を開いて驚き、眼鏡の縁を指で整えている向かいで、浮田はプラスチックの小さいコップに入ったお茶で喉を潤していた。


(アイドルに戻ってくれれば、こちらの"目的"も達成しやすい。この黒沢さんという男には是非、篠部玲子をアイドルに戻してもらいたいものだ。)


浮田が"わわわ"に頼まれた事、それが"わわわガールズ"の再編である。再編と言われても、ゼロからやっていくのは難しい。となれば、"既にアイドルとして出来上がっている人物"がいれば達成に近づくのは早い。


辰実の計画にも浮田の計画にも、怜子は要であった。



「成程。…では黒沢さん、この先は"一戦交える"事になりそうですね。」

「すぐにでも起こると思います。…ただ、彼女にとっては避けられない一戦です。」


「その一戦も戦い方によるでしょうに。どうするか、貴方なら考えていそうですが。」


食事をする口と手を止めずに、浮田は辰実の様子を観察していた。"一戦交える"という話は恐らく、"月島亜美菜と衝突する"事だろう。"わわわ"全体を相手に黒沢辰実、いやさ"アヌビスアーツ"が啖呵を切るとは無謀極まりないと思ってしまったが、それでも"企画"に限って何かしようとする辺り策があるように浮田には思える。


「黒沢さん、何か策をお考えですか?」

「対策ですか?勿論ありますよ。」


「分かりました。」


それだけ言って、浮田はうどんの最後の一口をすすった。箸をあちらこちらに動かして、空にしてしまった小鉢が話の頃合いをうかがわせる。だしを少しだけ飲んで、浮田が丼を置いた所で4人の食事は一斉に終わりを告げた。


「さて、戻りますか。」


愛想の悪い2人は無言で手を合わせてから席を立つ。食堂の奥にある返却口に空の食器を片付けている時に、藤原からの言葉で辰実は眉をしかめた。


"直近の勝負も、その先も、楽しみにしてますよ黒沢さん"



 *


「怜子ちゃんも、思い切ったよね。アイドルに復帰したいってさー。」


蕎麦屋に一番行きたかったのは辰実だろう。時折休憩時間を縫って商店街の蕎麦屋に行く事があるぐらいに、蕎麦が好きだという事は、熊谷も知っていた。駅前の一角にある、厳かな木の設えが店内の行儀の良さをさせる、簾で仕切りを入れた個室になっているのも、話をするには都合が良い。


「驚かせてすいません。」

「気にしてないヨー。栗栖なんて"怜子チャンのアイドル姿が観れル!"なんて言って喜んでたネ。」

「おまっ…、マイケル!それは内緒にしておけと言っただろう!」


観ているだけでも緊張で汗をかいてしまったデザイン案の発表。そんな中でもこうやっていつもながらの会話をしている面々に、クスリと怜子は笑ってしまった。


「…"アヌビスアーツ"の皆さんには、迷惑をおかけする所があるかもしれません。でもアイドルを辞めてからこれまで、私の背中を押してくれた人にも、"私はまだやれる"って応えたいんです。」


「迷惑なんて、誰も思っていないよ」


不意にヒンヤリと優しい言葉を口にした。それをごまかすかのように半透明の青色をした、涼しげなビードロのグラスに注がれたお冷を熊谷は口にした。



「できる事、やりたい事があるならやった方がいい。それは間違いないと思う。」


"まずは、目の前の事を片付けよう"と、皆まで言わなかった熊谷も辰実と"作戦会議"をした時に"怜子をモデルに復帰させる"のが目的だと知っている事だろう。言葉を乱用し気を遣わせない熊谷の優しさが、怜子には嬉しかった。


程なくして、鰹出汁の香る山菜蕎麦が怜子の所に運ばれる。


緊張も湯気と一緒に消えていく感覚。存在感のある出汁の中にも、細々としつつも確実な触感が蕎麦にはあった。



 *


『"若松物産"のイメージキャラと言われて、正直緊張しています。デザイン事務所の一社員でありますが、しっかり魚市場を盛り上げていきたいと思います!』


緊張が残った顔で、当たり障りのない事を言って笑顔を見せている怜子。両手に収まる携帯電話の画面からでも、その様子はよく分かった。


『元々、グラビアアイドルをされてましたね。…慣れている事だとは思いますが、とてもフレッシュな感じがしてこちらも一同、一層元気が出てるように思います。』



改めて、怜子が"表舞台に出てくる=アイドル時代と変わりない事をする"というのが許されない事なのか?この場では"若松物産"のインタビュー動画を観ている月島の視点から話をしていきたい。


まず、怜子がグラビアを辞める事になった理由が"暴言で後輩を辞めさせるに至った"訳である。月島にとっては、そんな事をしておきながら何食わぬ顔をして表舞台に帰ってきた事が腹立たしいのであった。


所謂、"正義感"による所だろう。


事実が如何なるものか置いといて、そのような輩を野放しにしておく訳にはいかない。



「しっかし、あのデザイン事務所の野良犬達も色々と手が込んでるねえ」


動画を観終わった月島の、頃合いをみて横山が現れる。"野良犬"という表現は先ほどの提案の内容を聞いての話であった。彼は"20代前半"のデザイン案が怜子に向けて作られたという事を見抜いていた。


「…元々は怜子がモデルだったんでしょう?」

「まあそうだけど、今は違う訳だし」


「ええ、そうね」


常温の飲料水が入ったボトルを片手に持って、月島は席を立つ。怜子が何食わぬ顔をしてインタビューを受けている動画を観て苛立った気持ちを紛らわせたくて、景色の良い場所へ行く。誰もいない観葉植物と自動販売機だけの休憩スペースの、窓から見た市内や若松商店街が小さくて面白かった。


(やっぱり気に入らない)



 *


会議が始まる前に立ちはだかった"わわわ"のオフィスビル。また怜子の前に鎮座するそれは、決して"グラビアアイドル"だった彼女を暖かく迎えてくれるものでは無く…。それでも待っているようには見えた。


(私自身が、あの子と話をしなきゃいけないんだ)


無意識の結果か?それとも運命か引力が怜子を惹き寄せたのか?横に並んで話をしていた熊谷、栗栖、マイケルの数歩前を歩いていた。急に立ち止まる背中から感じた緊張や逃れられぬ運命を諦め受け入れた感情は、158cmの女の子サイズ。


細い肩には、どんなに大きな器に注いでも零れてしまうような、言葉にできない何かが乗っ掛かっているのだろう。


「行きましょう」


振り返って笑顔を見せる怜子。これから暑くなる季節なのに感じた涼しさも一瞬、4人はビルの中に入って行った。



 *


18階。


地上からの高さにして、60mは確実にある。人の営みがハッキリ見える程に縮小化された街を一望できる休憩スペースに、いつも体のコンディションに気を遣って持ち歩いている"常温の水"が入ったプラスチックのボトルを目の前に置いて月島は休憩スペースの一席にいた。


窓から見える景色から、血小板のように動き回る車のエンジン音と風の音が微かに聞こえているような感覚。


(亜美菜ちゃんも、何か思うところがあってここにいる)


月島が座っているのは1人用の狭く丸いテーブル。その右側に置いている同じサイズの席に怜子は座った。互いに目が合うと、小首をかしげた怜子は笑っていない。これは長い髪と首の角度をうまく利用したグラビアアイドルならではの"魅せ方"だった。カメラのシャッター音があれば、いつだってすぐにできる。



「………」


暫し走る沈黙、"避けられない"にしては静かすぎな始まり。


「結衣ちゃんがデビューした時、よくここで話してた。緊張しやすい子だったから、表情を作るのも苦手でポージングも固いってよく言われてるって悩んでたのをよく聞いてたの。」

「"高い所は苦手だけど、どうしてかこの休憩所は落ち着くんです"だって。」

「愛結さんとは、仲悪かったの?」


「そんな事ない。"目の前にするとどうしても緊張してしまう"だって。」


「ああそれ、美奈子も言ってた。あの子は中高と一緒だったから特に仲が良かったの、喧嘩別れした元カレがオフィスビルに入ってきた時はビックリしたって。専門学校の方が忙しくて、今は連絡取れてないけど。」


「歯科衛生士の専門学校だったっけ?」

「そう、"谷カレ"。」

「元カレさん、同じ専門学校じゃなかった?」

「辞めたんだって、バイトばっかしてやる気なくて勝手に辞めたって。今はフリーター。」


「勉強は、ちゃんとしておかないとね」

「同感」


何かを確かめるように、2人はいつぞやに戻った時のような話をしている。


「愛結さんとよく喋ってたのは恵麻だけだった。」

「緊張をしない子だったわ。歌もダンスのレッスンも積極的で、"歌は苦手"って言ってたしレッスン中にいっぱい注意されてたけど、嫌な顔1つせずに笑顔でやってた。」

「可愛い」

「うん、可愛いねあの子は」


3人は、昨年に"辞めていった"メンバー。怜子と同じグラビアアイドルとしてデビューし、地元のアイドルグループである"わわわガールズ"についてもメンバー加入が決まっていたものの、日の目を見る事なく刈り取られてしまった。


「皆、どうして辞めていったの?」


この件に関しては、怜子も同じ"被害者"であった。…だとしても、月島の前でその事を言ってしまえばたちまち"逃げ"とみなされる=敗北宣言である。何があっても正面から向き合わなければならない。


沈黙しかできなかった怜子だが、その邪魔をするように近くで足音がする。休憩で外に出ていた者達が帰ってき始めたのだろう。


まだ、1時間以上も会議の続きが始まるまであったのに。

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