朱雀門

 少年が一人、座り込んでいる。


 脱色したような薄い色の髪の下、明るい茶色の目はぼんやり虚空を見つめていた。擦り切れた砂色のジャケットには、泥を被ったような黒い染みが出来ていた。――血の染みだ。

 ベルトに挟んであった曲刀を引き抜く。刃の先がぼろぼろに欠けていた。やっぱり買い換えないといけないと思い、少年――ハオランは、うんざりして目を閉じる。


「チオンジ―。……窮奇。きゅ、う、き」


 こつこつ、地面を指で叩いた。唸り声が返ってきただけだった。阿呆らしくなって、ハオランは拳で地面を殴りつける。


「優しくせんからじゃ。ハオランお前、こんなに死体出してどうする」


 呆れたようにそう言ったのは朱雀すざく門の門番だった。横浜に位置する旧中華街、その東西南北には門が設置されている。そこには通行証を発行するための門番がいて、それぞれ門の名前で呼ばれていた。

 朱雀翁すざくおう、とハオランは不機嫌に呼ぶ。

「優しくってどうするんだよ。ペットじゃないんだ」

「飼い主に似るんじゃろ。しかしずいぶん、機嫌が悪かったんじゃな」

 朱雀翁が言って、ハオランの背後を眺めた。少なくとも二十人は死んでいた。

「門前で争うのはルール違反じゃ。これ以上やったら通さんぞ」

「俺のせいじゃない。不味い玉喰って臍曲げたんだ。事故みたいなもんだろ」

「お前さんだって斬っとったじゃろ。可哀想に」

「不可抗力、正当防衛だよ。可哀想だって言うなら、海にでも放りこんどいてあげて。俺これからやることあるし」

「そりゃただの死体遺棄じゃ」

「そういう埋葬方法あるって聞いたけど」

「骨になってから撒くんじゃ。骨にならんうちに放り込んだら事件じゃろうが」


 じゃあ骨になるまで放置しとくか、とハオランは言った。相変わらずじゃな、と朱雀翁は顔をしかめる。にっと笑顔を返し、ハオランは身軽に起き上がって曲刀を放り捨てた。

「門前で争うなって言うんなら、玄武門の中国女に言えよ。あいつの方が色々だめだろ」

「お前さんだって似たようなもんじゃ」

「俺の国籍は日本だし、あんなに狂ってない」

 そう言ったハオランを疑わしそうに見つめ、やがて朱雀翁はため息をついた。


「……で? 何で今日は来たんじゃ。売る商品ようかい持っとらんのに」

「知らないの? 今日取引あるんだよ、青龍せいりゅうの」

「――青龍?」

 驚いたように目を見開き、それから朱雀翁は爆笑した。

四神しじんの? 孟章神君もうしょうしんくんか? あり得んじゃろ」

「いやいや、今回は司天してん社の取引だから、信憑性あるんじゃないかなーって」

 司天社は大手の貿易会社だ。朱雀翁は笑いを収め、眉をひそめた。

「本当かそりゃ。前あったじゃろ、白虎びゃっこが来るって言って、蓋開けてみればただの羅羅ルオルオだったってやつ」

 羅羅は虎の妖怪の中ではさして珍しくもなく、価値は高くない。あの時は騙された、とハオランは苦い顔で言う。

「お前さん、妙に四神に拘るの。そんなに儲けたいか?」

「違うよ。俺には俺の、深淵で真っ当で切実な理由があるんです」


 古代中国では、青龍、白虎、朱雀、玄武が東西南北を護る四神と称されていた。妖怪たちから最も恐れられる神獣であり、価値は高い――というか、捕まえること自体、ほとんど不可能なはずだった。


 なおも疑わしそうに見てくる朱雀翁に対し、へらっとハオランは笑う。

「まあ、嘘でもいいけどさ。可能性があるんなら行ってみないとね」

「わしは知らんぞ。とりあえず、お前さんが原型留めて帰ってくることを祈っとるわ」

「不吉なこと言うなよ」

 屈伸運動をしながら、ハオランはぼやく。朱雀翁は笑って、それから空を指差した。


「日暮れじゃ。――準備はええか?」


 燃えるような赤に染まった空の端、滲むように、濃紺の闇が忍び寄っている。

 日没が『鬼市きし』が開く合図だった。朱雀門の向こう、一斉に提灯の明かりが灯ったのが見えた。

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