第4話 イザーネの誤算

 真夏の日射しが木漏れ日となって降り注ぐ森にアリシアはいた。その森には綺麗な泉があり沐浴するにはちょうどよく、今日もアリシアは汗を流し髪を洗っていたのだ。


 透き通る肌は白くてラフィンドルの白銀の鱗に負けず劣らずの美しさである。


 野の花々を摘んで洞窟へ帰るとすぐに、心配そうなラフィンドルの声が飛んできた。


「アリシア、何事もなかったか?」


「はい、ラフィさま、泉の水が冷たくてとても気持ちが良かったです」


「そうか、ならいいのだが……」


 ラフィンドルはそう応えたが、その顔はどこか浮かない。


「どうもな、我々を探ろうとしている気配があるものでな……少し気になっているのだよ」


「まあ、一体なんのためにでしょう?」


 アリシアの声に不安が混じったのを感じたラフィンドルは、努めて明るく答えた。


「なに、ドラゴンが棲みついているのだ、監視をしておきたいと思う人間は多かろう。よくある事だ」


「そうですか……」


「それよりその花はどうした? 美しいな」


「あ、そうなんです! あまりにも美しかったもので、ちょっと可哀想だとは思ったのですが摘んできてしまいました!」


 そう言ってはしゃぐアリシアをラフィンドルは目を細めて眺めている。なんだか心が温かくなるのを感じて、とても心地がよい。


「私、いいことを思いつきましたの。ラフィさまの鱗の隙間に、こうして一輪ずつ差していきますと……ほら! とっても素敵ですわ」


 正直誰かが見たら花の活けられたドラゴンの姿は、滑稽に映ったかもしれない。

 だがアリシアとラフィンドルは、そんな他愛もない遊びを心から楽しんでいた。


「アリシア、なんだか花を差したところがかゆくなってきたぞ? 取ってもいいかね」


「駄目です! もう少し私、ラフィさまの綺麗なお姿を見ていたいですもの」


 最近のアリシアは少女らしい我が儘わがままを言えるようにもなっていた。そしてその我が儘がラフィンドルには嬉しいのである。


──もう少し日射しが弱くなってきたら、アリシアを背に乗せて大空で散歩をしよう。きっと喜ぶに違いない。


 そんな些細な幸せに、彼らはもう遠慮することはなくなっていたのであった。


 

 ♢*♢*♢*♢*♢*♢



「お母様、私、そんな地味なドレスは嫌ですわ、もっと刺繍を増やしてレースも多く使ったものにして下さいな」


「メリーザ、ドレスにいくらかけるつもりさ、ただの一回しか着ない花嫁衣裳にもったいない」


「あら、私はロマーダ伯爵の妻になる身ですのよ? ブロイド様に恥をかかせるおつもりですの?」


 ロマーダ伯爵家の屋敷ではイザーネとメリーザが仕立屋を呼び、花嫁衣裳選びの真っ最中であった。


「よろしいでしょうか、イザーネ奥様」


 ドアをノックし断りを入れたのは家令である。


「なんだい? おはいり」


 少し慌てた様子をみせながら部屋の中に入った家令は、訪問者があったことをイザーネに告げる。


 その人はレイオン・ロマーダ侯爵。アリシアの伯父にあたる人物で、ロマーダ本家の当主でもあった。


「えっ! レイオン様が!?」


 イザーネが慌てたのも当然だろう。これが突然の訪問である事もさることながら、ロマーダ本家の当主ともなれば、この伯爵家の相続に関して絶大な影響力を持つ。


 だがしかし、レイオンはいま国王の命により貿易条約作成のため、隣国へ長期滞在しているはずなのである。

 むろんその不在を狙ってイザーネは、娘のメリーザとブロイドの婚姻を急いでもいた。


 イザーネが少し顔を青白くして客間へと入ると、果たしてそこには精悍な顔を曇らせて待つレイオンがいた。


「お待たせしまして申し訳ございませんでした。お元気そうで何よりでございます。畏れながら何のおもてなしのご用意もできて──」


「挨拶はいらぬ! お前などと長話をするつもりはない。用件だけ伝える」


 レイオンは野心家であるイザーネの事を嫌悪していた。それゆえアリシアの父、つまりレイオンにとっては弟になるのだが、後妻としてイザーネを迎えると言った時は反対もしている。


「この度、ドラゴンの襲来に際し我が姪でありロマーダ伯爵家の正統継承者であるアリシアを、お前の一存でドラゴンの花嫁としたことに間違いはないな?」


「は、はい、ですがそれは……」


「間違いでなければそれ以上申すなっ! 本来そのような重要な決定は本家に相談してしかるべきである。しかも私の可愛い姪であるアリシアを、生け贄とするなど言語道断だッ!」


 いまやイザーネの顔面は蒼白へと変わりはて、気を失いかねないほど緊張していた。

 それほど凄まじい怒りがレイオンから伝わってくるのだ。


「この場でお前の素っ首をねて、子供たちを追放してやりたいところだわっ!」


「お、お待ち下さいませっ! そ、そのような事になればブロイド様の面目が潰れましょう。ブロイド様はブロウペン侯爵家のご三男です、の家と禍根を残すこととなりますれば……!」


 レイオンはイザーネのその言葉を聞き、ひとつ鼻を鳴らすと「女狐め」と吐き捨てた。


「お前の悪知恵には反吐へどがでるわ。だが儂とてそんな事はすでに承知しておるし、ブロウペン家ともすでに話はつけてあるのだ」


「えっ!……」


「聞けイザーネ! アリシアはまだ生きておる! 儂の放った間者がその目でしかと確認しておるゆえ疑う余地はない」


「そ、それはまことで……」


「くどいっ、ブロウペン家の顔を立てブロイドによるアリシア救出の機会をやる。今すぐ兵を整えドラゴンを討伐してまいれッ! 失敗は許さぬぞっ」


「は、はいっ……し、しかし、もしすでにアリシア、様の身がご存命でなかったら……」


「それは先ほど申したであろう。その時はお前の首を刎ね、子供たちは追放のうえロマーダ伯爵家はとり潰す」

 

 この期に及び、イザーネの企てた強引な伯爵家乗っ取り計画は完全に頓挫した。

 それどころかアリシアを何としてでも生きてドラゴンから取り戻さねば、自分が処刑されるのだから言葉もなかろう。


 話を終えるとレイオンは伯爵家の兵を見て回り、命に代えてもアリシアを助け出すようにと厳命して帰って行った。




「それでレイオンは僕の帰りを待たずに帰ったと?」


 ブロイドは王国騎士団仲間と昼間から酒を飲み、酔いを残したまま夕方近くに伯爵邸へと戻ってきたのだ。


「なんだか面倒な事になったなあ。父上とも話がついているようだし、今さら逃げ出すことも出来ないかあ……」


「に、逃げ出すなんてとんでもありません! どうかドラゴンからアリシアを取り返して下さいまし!」


「ハハハ、必死ですね」


「当たり前ですっ!」


 ブロイドは酒臭いゲップをすると、いかにも軽蔑した目でイザーネを見た。


「僕にはあなたの生き死になんて興味ないんですよ。でも仕方ない、本当に面倒だけどアリシアは取り返してきます」


 イザーネが惨めに涙を流しブロイドに懇願するその姿は、野心家であった頃の傲慢な生気はもはやなく、ただ憐れな中年の婦人でしかない。


「それにしても隣国にいるはずのレイオンは、なぜこの国にいるのだろう? イザーネ夫人はご存じですか」


「え、ええ、何でもレイオン様には小飼こがいの間者がいるそうで……アリシアがドラゴンの花嫁になったとの報告を受けてすぐに戻ってきたと」


「わあ、これゃレイオンもかなり本気ですね。あ、でも、ってことは上手くアリシアを助けられたら、褒美にもう一度婚約できるかもしれませんか……まあ、騎士団の仲間にも手伝ってもらってドラゴンを殺してきますよ」


 こうしてブロイドは騎士団の仲間二人に助勢を乞い、伯爵家の兵士三十人を連れて翌日の昼にはドラゴンの棲む山へと出立した。


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