第21話


 4つ鐘が鳴ったと言うことは、後1時間しか猶予は残されていない。


 俺は母の仕事が終わる時間までに戻らなければならないと多少の焦りを感じながら、探検者ギルドのミドル支部へと向かっていた。


 アンダーの街と同じようにミドルの探検者ギルドも中央広場、ダンジョンゲートの周囲にあり、周りを見渡せばすぐに旗印が目に入った。


 中央から放射線状に伸びる通りからは、雨だと言うのに活気に溢れた屋台や、様々な看板が立ち並んでいるのが見える。


 一店舗、一店舗、店も大きく、その大きな窓ガラスからも、商品の豊富さが伺える。アンダーの繁華街と比べても、街並み自体が綺麗に整えられているようだった。


 石畳で舗装された道も、木造の建物も、雨に濡れて憂鬱とした雰囲気であっても、何処かしら風情を感じさせる。


 漆喰で塗られた白い外壁、赤や茶の色合いの違う煉瓦、木造の暖か味のある装飾、西洋建築ほど窓は多く無いが、ベランダやテラスや太陽を肌で感じられる造りの建物ばかりだ。


 懐に余裕が出来て、雨で無くて、時間さえ許せば、また思う存分に街を回ってみたい、と興味をそそられながらも、俺は立ち止まることも無く、人混みの中を通り抜け、ギルドまで辿り着いた。


 広く開け放たれたギルド入り口の軒先で、雨を払いながら中の様子を伺えば、数々の探検者がの姿が見えた。


 受付カウンターに並ぶ者、テーブルで談笑する者、それらはアンダーの街でも見える光景なのだが、その規模も、質も段違いに思えた。


 只ならぬ風格を醸し出している者や、立派な武器を携えている者、高価な防具を身に纏っている者だけならず、数多くのパーティと見られる一向に、クランと呼ばれている団体に所属している一団と、数多くの探検者が勢揃いしているように思える。


 まだ駆け出しではあるが、仲間入りしたような気分になった俺は、胸躍らせながら受付カウンターで並ぶ探検者一同の列に加わった。


 前に並ぶ探検者の腕の古傷を眺めたり、使い古された道具や装備を眺め、これから先の未来や目指す姿を今の自分と重ね合わせていれば、あっという間に自分の番が回って来た。


「お次の方どうぞーっ」

『はいっ、よろしくお願いしますっ』


 アンダー探検者ギルドで犯した過ちを繰り返さぬように、俺は極自然な風を装って登録証を手渡した。すると、受付嬢は至って普通の反応を返してくれた。


 営業スマイルを浮かべながら、登録証の内容を読み取り、少し首を傾げ、こんな装備も整っていない子供がどうしたのだろう、と訝しむまでが、俺の想像していた通りの、当たり前の反応だった。


「本日は、どうなされましたか?」


 隣の受付から聞こえるテンプレートの声掛けとは、やはり違うようだ。普通なら、ご用件は、と聞くところだが、まるでどうしたの、と聞きたそうに受付嬢が目を丸めて聞いてきた。


『買取と一般登録の申請をお願いします』

「はい、買取……と、一般登録、ですね? ……かしこまりました。では、買取品をコチラに、申請はー……少々、お待ちくださいませ」


 まるで聞き間違いかのように、受付嬢は一般登録を強調して聞き返す。大きく頷いて見れば、やはり聞き間違いではなかったと分かってくれたのか、手続きを進めてくれているようだった。俺は席を離れた受付嬢を待つ間、言われた通りカウンターに魔石やらの戦利品を並べていた。


「お待たせ致しました。……オーエン様、誕生日は三日前のようですが、御一人で初心者階層を抜けられたのですか?」

『はい。一人で突破しました』


 俺がそう言えば、受付嬢は何やら手元の資料を見比べ始めた。進学した元同級生の学生等でも、既に初心者階層を突破しているだろうし、それ程の偉業を成した、という訳では無いはずなのだが、その反応を見ていると不安になる。


『……何か、問題でもありますか?』

「あぁ、いえ、なんでもございません。一般登録に差し当たって、担当のー……あぁ、差し出がましいことでしたね。申し訳ございません。……登録完了致しました」


 不安な俺を取り残して受付嬢は一人で納得してしまったようだ。途中、唇を噛み、苦戦しているのかと思えば、案外すんなりと登録が済んだみたいだった。


 後は流れ作業と言わんばかりに、新しい銀色の登録証が受付嬢から手渡され、見習いと一般の違いの説明をされ、真新しくなった登録証を眺めている内に、買取物の清算も済んでいた為、財布代わりの布袋に硬貨をしまい込み、意気揚々とその場を後にした。


 これで晴れて俺も、探検者としてこの胸を張って名乗ることが出来る、と浮かれた俺はギルドの戸口を抜ける足取りも軽く、飛び跳ねるようにしてゲートへと向かっていた。


 一般探検者として認められれば、クエストと呼ばれる依頼を受けることが出来るし、パーティの誘いやクランの誘いもあるかも知れない。探検者として何をするにも、道筋が広まるのだ。


 それに嬉しいことは、これだけじゃない。20階層を一度でも突破すれば、初心者階層を態々抜ける必要も無くなる。


 アンダーの街へも、ミドルの街へも、ワープするように一瞬で行き来することが出来るようになったのは、時間の縛りがある俺に取ってはとても有り難いことだった。


 そうして俺は、軽く跳ねるようにして、一息つくこともなく、ゲートの魔法陣へと進み、一言、アンダーの街へと唱えて帰還した。


『……やっぱ、便利だなぁー。……あ、そう言えばー、……まぁ、明日で良っか』


 馴染みある街並みのゲートへと降り立った俺は、アンダーの探検者ギルドを見て、あの受付嬢への報告の件を思い出してしまったが、夜が迫っている今は帰ることを優先させることにした。


 帰り道を辿る中、一般探検者になった事を報告したい気持ちと母に内緒にすべきかという気持ちがせめぎ合っていたのだが、胸元で揺れる登録証の色を見れば、どちらにせよバレてしまう、と思い至ってからは、帰り道のほとんどを母にどう説明するか、弁解の言葉を探しながら帰っていた。


 ログの店に着いてからは、いつもみたく皆に挨拶を交わし、気取られぬように振舞った。一般探検者になったことを勿体ぶって言わないでいる訳では無かったが、まずはログさんに相談してみようと思った為だ。


『ログさーんっ、今、いーい?』

「おう、今日はどんなもん……、お、おまっ、それは……、ったく、まぁ、丁度いい機会か。……ちょっと裏ぁ来い』


 俺はログさんにだけ分かるように胸元から銀色の登録証を見せたのを後悔した。喧嘩文句で良く聞く言葉を口にしたログさんは、裏路地に面している勝手口を顎で指してから、俺の頭を鷲掴みにして引っ張っていく。恐怖の余り、生きた心地がしないというか、自分でも縮み上がってしまっているのが分かる。


『……ロ、ログ、さん? ……俺、死ぬの?』

「あぁん? 何言ってんだバカ野郎、男同士の話すんに決まってんだろうが」


 それは、拳で語る方なのか、とは聞けなかった。ログさんの巨躯もさることながら、その拳は途轍もなくデカい。そんな拳でブン殴られてしまえば、俺の身体は軽々と宙を舞いながら通りの道を横断してしまうだろう。それどころか、漫画みたく壁に貼り付けになってしまっても可笑しくない。昔、ログさんが酔っ払いをブッ飛ばしていた光景が脳裏に過る。


「ニーテにも断ってくっから、裏で座って待ってろ……」


 何を断るのかと考えれば、悪い考えにしか思い至らない。裏路地、いや、地獄に続く扉を開き、震える肩を抱き寄せて、地べたに座り込んで、ただその時を待っていると、すぐにログさん、いや、赤ら顔の閻魔大王様がやって来た。


「おぅ、おめぇの分だ。……まぁ飲みながら話そうや」

『ぉ、え? ……お酒まだ飲めないよ?』

「馬鹿言うな。こらぁ果汁入りの糖蜜ジュースだ。俺んは酒だけどな」

『あ、そっか、……うん、ありがとう、美味しい』


 両手にジョッキを下げてやって来たログさんは、俺の隣に座り込むと片方のジョッキを手渡して来た。殴られる謂れも無く、その覚悟を決めあぐねていたが、ログさんの様子を見るにそれはどうやら杞憂であり、勘違いだったようだ。そうと察した俺は、その優しい蜜の味で心を落ち着けることにした。


 隣に腰掛けたログさんも、ジョッキを傾けて喉を鳴らし、一息を付いてはまた喉を鳴らし、と何を話すでも無く、酒を呷あおっている。それからしばらく無言の時間が続いた。普段なら何方からともなく、自然と会話しているが、この時ばかりは俺から話し掛けることもせず、只、待つことにしていた。


 そうして会話の代わりにジョッキを傾けていると思いの外すぐに底が見えて来た。ジョッキの底に映し出された幼い顔立ちをじっと眺めていると、ログさんは咳払い一つ付いてから話を始めた。


「……オーエン、おっきくなったな。……おめぇいくつになった?」

『ぇ、12だよ。……ついこの間、誕生日祝ってくれたじゃん』

「そうだな。それから三日しか経ってねぇってのに、初心者階層を突破しちまうだなんてな」


 優しい声色で唸るように話すログさんは、先ほどまでの俺がそうしていたように、ジョッキを揺らして底を見つめていた。眉が上がったり、下がったりして、眉間にしわ寄せている。言葉を探している様子のログさんに、俺は何を言われるのだろうかとそう思っていれば、


「……探検者に、なっちまったなぁ」

『うん? うん。まだ一人前とは言えないけどね』

「立派なこった。……でも、おめぇさんはまだガキだ。……まだなぁんもできやしねぇ」

『うん、……分かってる。俺も、早く大人になりたいよ』


 ログさんは、俺が子供であるということを敢えて強調するように言って、諭してくれようとしているみたいだった。その優しさ、気遣いを受け止めた俺は、噛み締めるように受け入れた。だけど、


「おめぇはよ、子供だ。……分かってるか?」

『え、分かってるよ。そんな当たり前のこと……』

「ちげぇよ。普通の子供はそんな反応しやしねぇんだ。ガキだ、子供だ、って当たり前の事実を夢見がちなガキんちょに突きつけたら、普通は反発位するもんだろーがよ」


 そう言うログさんに、俺は疑われてしまっていると思った。だが、ログさんの表情は何処か、憂いに満ちた、悲し気なものに見えた。


「おめぇを、こんなちっせぇー時から見てっけど、物分かりが良すぎんだよ。泣きもせず、ワガママも言わず、ニーテの事を気遣って、子供の癖に出来が良すぎんだ。無理させちまってねぇかってこっちが不安になる位にな」


 ログさんは疑っていると言うよりも、俺の事を心配してくれていたようだ。


「それにニーテを楽させようと学園にも行かず、誕生日を迎えるや否や、ダンジョンに掛かりっきりになっちまってる。……無理してねぇか? ……もう少し子供らしくしても、いいんだぞ? ニーテもニーテだが、少しくらいオレにも面倒掛けさせろってんだ」


 俺はログさんに肩を揺さぶられるがまま、その優しい言葉を聞いていた。血のつながりの無い俺達親子の面倒をずっと見てくれているログさんには頭が上がらない。そんなログさんに、こうまで言われてしまえば、男同士の腹を割って話すしかない。


『……ログさん、ありがとう。……あのさ、俺って何なんだろうって最近、良く考えてたんだけど、ログさんのお陰でちょっと分かった気がする。……ちょっと、俺、我慢し過ぎてたのかも知れない。……もっと、俺らしくというか、もっと素直になって見てもいいの……かな?』


 前世の記憶が良くも悪くも邪魔をしていた。その事自体をまだ打ち明ける勇気は俺にはないが、その心根ばかりは、明け透けに伝えることにした。そうして見れば、


「あったり前だろぉーがっ! こんのっ頭でっかちがっ! 顔色伺う必要なんてねぇんだからよ!」


 ログさんは顔を皺くちゃにして喜んでいた。大きな掌で撫でる力も、いつもより強いように感じる。


 俺は、子供らしくと考え、行動して、違和感を覚える日々に疲れてしまっていたのかも知れない。大人びた感情が子供らしさを恥ずかしく思い、素直になれないでいたのをログさんに見透かされてしまっていたのだと知った。


『……俺っ、なんだか難しく考えてたみたい。……俺ってバカだ』

「分かりゃーいい。おめぇさんは利口な馬鹿ってやつだなっ、ぶはははっ」


 快活な笑い声が夕方の路地に響く。俺は、ログさんの笑顔を見て、これでいい、これがいい、と素直に思えた。そして難しく考える必要は無いのだと教えられた。俺の中身はどうあれ、俺は俺で、ログさんからしても、母からしても俺は子供なのだ。そう考えれば、心につっかえていた物が、いとも簡単に外れたような気がした。


「どーだ、ダンジョンは面白れぇか?」

『うんッ、面白いッ! ずぅーっと、ダンジョンを昇ることを夢見てたからねっ』

「ガハハッ、おめぇはダンジョンの話をしてる時が一番子供らしいかも知んねーなっ」

『ログさんだって、料理の話してる時が一番子供っぽいからねっ!』


 それから少しばかり、新作の料理や、ログさんの腕の傷跡の話などの他愛の無い会話をしていた。俺の興味は、やはりダンジョンの事に尽きる。いつからか、ダンジョンの話ばかりになっていたとしても仕方ないだろう。寝ても覚めても考えてしまっているし、数日経験した程度であっても、最早、生き甲斐と言えるほどまでに、ダンジョンの熱にのぼせてしまっているのだから。


『……ログさんは、もう昇らないの?』


 素直な気持ちで接すると決めた俺は、昔から気になっていたが聞けずにいたことを、ログさんに聞いて見ることにした。


「……あぁ、おめぇさんには話したこと無かったな。……いい機会だ、ログ・ウッドの昔話をしてやる」


 ログさんはダンジョンゲートのある方を懐かしむように一瞥してから、過去を見ているような遠い目を空の無い天井へと向けた。


「……オレはなぁ、貧困から抜け出したくて探検者になったんだ。……でも、その生活を続ける才能がないと知っていたオレは、ある時から料理人になることを夢見たんだ。当時、パーティを組んでいた仲間が、オレの作る料理を気に入ってくれてよぉ。……アホほど褒めやがるんだ。そんで、浮かれちまったオレは、気が付きゃ本気になっちまってたんだ。……料理も、ソイツんこともよぉ、……フッ」


 語り始めたログさんを見ると、照れながら鼻の頭を掻いて短く笑っていた。御伽噺の読み聞かせも、恥ずかしがり、嫌がっていたはずの大男が、自身の過去を語ってくれている。


「で、まぁ、それが妻のジャムとの馴初めってやつでもあるんだが、ジャムも貧民街の出ということもあってか、やけに馬が合ったんだ。二人で焚火を囲みながら夜番してる時はいつも夢を語り合ったもんだ。オレは料理人、ジャムは貧民の助けになりたい、って夢をよ。そんでオレ達が結ばれてからは、その二つの夢がくっついちまったんだ」


 初めて聞く話に驚かされながらも、俺は話の腰を折らぬように頷きながら聞いていた。思えば、こんな風に話をしたことは無かった。俺にその覚悟と言うか、勇気が無かったからかも知れないが、藪をつつかぬように生きて来たからだ。


「そうして、いつかドン詰まり共の憩いの場を作る為にと、ダンジョンを駆け回ったもんよ。……式も上げずに、……金を貯めて、……やっとオレ達の夢が叶うってところまで、手が届いていたはずなのによぉ、……そんな時に、……ジャムが、……死んじまった」


 そのログさんの嘆きは、懺悔の告白とも、後悔の念とも取って見えた。それが、どちらにせよ、過去を悔いていることに違いはないだろう。握りこぶしを太ももに打ち付けるログさんの姿を見れば、聞かずとも分かる事だ。


 俺は、その結末を察してしまっていた。薬指に付けたままの指輪と、何処にも見当たらぬ妻の姿。それに常連客でさえも妻の名を口にしない。その空気感から、その事を突っつけばタブーに触れてしまうであろう、と察していたからだ。


「……ジャムは、ダンジョンに行ったっきり、帰って来ねぇ。……残されたのは、店と二人分の夢だけだった。オレぁ、探し回って、途方に暮れて、生きる気力を失いかけて、自暴自棄になって、諦めちまおうかとも思ったさ。……そん時は、虚しくて、悲しいだけだったからよ。……でもよ、……そんなときに、……まだこんなっ、こんーまいっ、オメェと、ガリッガリのニーテが、この店の戸口を叩いたんだ」


 ログさんを見れば、まるで米粒程を摘まんで見せるかのように、当時の俺の小ささを笑って表していた。そして、閉じた片目からは見せた事もない涙が頬へと伝っていた。流石にそこまでは小さくはないだろう、と言い返そうと口を開けたはいいが、それを見た俺の口からは言葉は出て来なかった。


「……あんときはよぉ、オメェ等を見て、今それどころじゃねぇって突っぱねちまおうか、とも思った。ジャムの葬式も出来てねぇし、開店準備も途中でほっぽり出したまんまだったからな。……だがよ、ジャムの顔が思い浮かんだ。そんで、気付いたんだ。何を言い訳考えてんだってな」


 情けねぇと小さく零したログさんは、当時を思い返して恥ずかしくなったのか、自分の頬を両手で張っていた。痛みに顔を歪め、頭を振るって、気を取り直し、ログさんは話を続ける。


「ンン゛、格好つかねぇけど、オレぁジャムを怒らせちまうだとか、ジャムならどうするって考えてっとよ。なんだかこれがジャムの与えてくれた運命なんじゃないかって思えて来ちまったんだ。そしたらよ、オレがどうにかしてやらねぇとって必死にさせられちまった。ここは、ドン詰まりじゃねぇって教えてやらねぇとなってよ」


 木の幹みたいに皺くちゃな顔を向けて笑って見せるログさんの表情は晴れ晴れとしたものだった。ログさんは言わずとも良い事まで正直に話してくれた。そうしたのも、いつか話してくれるつもりで、ずっと抱え込んでいたからだろうか。ログさんも俺と同じように心のつっかえが取れたのかも知れないと思える笑顔だった。


「だからオレはダンジョンを昇らねぇし、それに未練もねぇ、ジャムの残してくれたこの店とオメェさん等が、オレの生き甲斐だからな。……立派になったつもりのオメェに、こんなオレから言えることってぇのはー……、フッ、……いや、なんでもねぇや。……好きにやれ」


 ログさんは俺の肩に手を置いて引き寄せると、優しく背を二度、叩いた。力強い目を向けて、何かを言わんとしていたはずだったが、ログさんは途中で言うのを止めてしまった。


 だけど、ログさんが男同士の話し合いと称して、俺に伝えようとしてくれていたことは理解している。俺には居場所があるということ。それに責任があるということだろう。残こされた者の背負う悲しみを、引き留めなかった後悔を、敢えて口にして教えてくれたのも、全て、俺を想ってのことだった。


『ログさん。俺はログさんにも感謝してる。じゃなきゃここまで大きくなれなかったと思ってるから。……父、さん……いや、爺ちゃん、かな? 俺は、母さんも、ログさんも、血が繋がってなくても、ちゃーんと、家族だと思ってるよ』

「お、おっ、オメェよぉ……、そりゃズリィだろぉよ。……ったく、よぉ? ぐっ、やっぱオメェは、マセてやがんなぁ……、かなわねぇや……」

『ぶふッ、ログさん号泣じゃんっ、なんだったら、じぃーじって呼んだげよっか? ログじぃじー!』

「馬鹿野郎ッ、揶揄うんじゃねぇやッ! ったくオメェは、調子乗りやがって……」


 それから、夜の帳が下りた路地裏に騒がしい声が響いた。


 作り物であったとしても、この夜の天井はいつもにも増して、煌びやかなような気がした。どれ位振りだろうか、それも忘れてしまっているほどに、懐かしく思える肩車をしてもらったりして、二人でじゃれ合っていた。


 肩車の上から、いつか母さんも連れてダンジョンにピクニックに行こう、と提案した。するとログさんは渋々だったけれど了承してくれた。呆れながら、十数年振りのダンジョンだから訛った身体を鍛えないとな、という言葉が聞けただけでも十分だろう。


 ピクニックをやって、従業員皆を連れてバーベキューして、青空の下で遊ぼう、と話す内に計画が増え、それから、いくつもの案を二人で出し合っていた。そうしていたら、心配した母さんが勝手口から顔を覗かせて、むくれっ面を見せながら話に加わり、いつの間にか三人横で並びになって話込んでいた。


 これから先の夢や希望だとか、ピクニックやバーベキューのような些細な事、俺が探検者としてランクアップした事や、探検者として生活する上で大事だと思える話をした。


 いずれ、そう遠くない未来には、数日戻らぬことも増えるだろうし、怪我もするだろうけど、探検者として在ることを許して欲しい、と母に謝り、お願いした。


 先日、母には、それとなく同じような事を伝えてはいたが、はっきりとした答えは貰っていなかったからだ。


 答え、いや、許可を得る必要は無いのかも知れないが、やりたいことをさせて欲しいと言う俺のワガママを敢えて飲んでもらうことにした。


 と、いうのも、どうしたって俺はダンジョン生活を止められそうにないからだ。死ぬなんてそんなつもりも無いが、万が一の場合がある。意志を貫き通すことで、その時に、幾ばくか、母の心のどこかで仕方なかったのだ、と諦めてもらえるように念を押したのだ。


 この世界の弔い言葉で、ダンジョンに還る、と言うものがある。この世界の万物は、ダンジョンの中で生まれ、ダンジョンに帰す、というその考えを、母に、はなむけとして残して置きたかったのだ。


 しかしながら、決して死ぬつもりはない。それに、死なない、と約束させられたからには、死ねなくなってしまった。それは簡単なことでは無い。だが、それを簡単と言えるくらいに、強くなろうと思った。


 その為にも俺は、今日この日のことを忘れない。


 両手の小指に込められた想いとその感触を。

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