第5話 山の鳥居
忙しない足音が夜闇に響く。道は閑散としていて家々の明かりはなく、当然街灯もない。咄嗟に抜け出してしまったが、せめて置き手紙くらいはしてきた方がよかったかもしれない。そんな後ろめたさを感じながら雫由は山の麓で足を止めた。立ち込める闇に、所々露出している木の根。ここからは足を滑らせぬよう慎重に進む必要がある。鬱蒼と茂る木は視界を遮っていて、もはや月明かりが射し込むかも怪しい。
「……行こう」
提灯を握りしめる。きっとこの先に鳥居はある。ここで躊躇っていても何も始まらない。己を奮い立たせて雫由は踏み出し、土を踏み締めて険しい山道を進む。心地よい夜風を取り込むように息を吸うと、神聖な空気が全身を巡った。木の根に足を取られながら必死に足を動かすこと数十分。ふと景色が変わり、見えなかった月が姿をあらわした。
数メートル先には赤い鳥居が見える。周りに聳えていた木々はいつの間にか少なくなり、道幅が広くなっていた。恐る恐る下をみると、そこは相変わらずの断崖絶壁。足を滑らせたら一溜りもないだろう。意識した途端、今更ながら恐怖に震え上がった。もし転んでいたら──そう思うと肝が冷える。
「雨が降ってなくてよかった……」
心の底からの安堵。ただでさえ足場並びに視界の悪い山道だ。雨が降っていたら地面はぬかるみ、危険も増しただろう。なるべく下を見ないように前を向いたその時。
────シャラン
再び静寂を裂くように透き通った鈴の音が響いた。邪気さえ祓うようなその音は、先刻雫由が神社で聞いた時よりも明瞭なもの。捉えた音を逃さまいと、雫由は山道を夢中で駆けのぼった。幸いこの先の道は広く、転ぶことも無い。疲弊した足は今にも音をあげそうだったが、気にせず雫由は動かし続けた。
道を曲がると視界が一気に開け、目の前には大きな鳥居が佇んでいた。鳥居の先には大きめの社があり、その向こうに町が広がっている。月明かりが細かな粒子のように降り注ぐ幻想的な景色に目を奪われていると、次に飛び込んできた光景に雫由は思わず目を見開いた。
「……誰?」
幻覚かと思った。未知の世界に迷い込んだようだった。鳥居のそばに立つ木の幹には手を当てた、同じく年くらいの少年が──
思わず雫由が声をあげると、徐に少年が振り返る。こんな真夜中に少年がいるのも勿論有り得なかったが、何より驚いたのはその少年が''お面''を被っていたことだった。今は祭りの時期ではない。だが少年の格好は人と祭りにきた時のような──
「……君、もしかして''視えてる''の?」
「えっ……は、はい」
雫由の思考を遮るように、少年は言葉を発する。しどろもどろになりながらも雫由が頷くと、少年はそっと顔を背けた。雫由の脳裏に浮かぶのは鳥居と人影、部屋で見た書物に書かれていた『霊言を聞き、夢幻、霊験を視る』という本文。手を伸ばしていた人影もこの少年なのだろうか。
「でも、鈴の音は一体何……?」
「鈴の音?」
声に出ていたのか少年が尋ねる。
「そう。あの、さっき私神社にいてその時に鈴の音がして……この山に来て」
突然現れた少年に対して冷静に受け答えをしている自身に驚く。普通なら有り得ない出来事に戸惑うのだろう。だが雫由は違和感や恐怖以上にどこか惹かれるものを感じていた。目の前の少年が醸し出す、どこか儚げな雰囲気に負のオーラは微塵も感じない。
「鈴の音……あ、これか」
考えあぐねていた少年がポケットから取り出したのは、鈴のついた御守りだった。藍色の紐にぶら下げられた鈴が両端に三つほどある。御守りの角は所々が汚れ、破れかけていた。もうずっと前の物のようだ。
「聞こえてたんだね。それに、神社って──」
「え?」
「……なんでもない。そうだこの御守り''返して''おいて欲しいんだけどお願いできる?」
少年が御守りを差し出す。
「返す、ってどういう……私に出来るの?それに貴方は一体──」
雫由の質問に気まずそうに少年は首を振る。今は問いに答えるつもりはないらしい。少年の表情は見えないが、どこか憂いが潜んでいるように感じた。何かを諦念したような、追憶しているような、哀し気な雰囲気。少年はため息を吐くと、御守りを手に背を向けた。
「……少し話しがしたい」
切ない声。鳥居を潜る少年を慌てて追いかけると、少年は社の段差に腰かけ、夜空を見ていた。そばにある木でできたベンチは今にも壊れそうなほど脆い。よく見ると鳥居と社も塗料が剥落していて、裂けた割れ目から木が見えている。ここは無人神社なのだろうか。手入れされていない状態は時代を経ても忌み嫌われる鳥居そのものを表しているようだ。人々から愛される綾織神社とは正反対の状況に雫由は胸を痛めた。
「あの、話って……?」
「話って言うか、確認したいことが……何で、こんな夜に恐れられてる山に来たの?誰かに言ってきたの?」
切羽詰まった声音。縋るような少年の声が雫由にまとわりつく。抜け出してきた。その一言を言おうとするも、喉が張り付いたように声が出ない。
「……山は甘く見ない方がいいよ」
何かを堪えるように俯き、念を押すように告げる少年。その言葉は風にかき消されそうなほど弱々しかった。
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【作者から】
更新4日開けてしまい、すみません……
次話、伏線一気に回収します!週末には更新できるかと思います
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