猫にほだされる短編集

みさわみかさ

猫になりたい

1

 昔からそうだった。


 悪いことというものは往々にして別のそれと結託して私に起こる。

 ひとつめがまず引き金になった。


『残念ですが、先方から契約は更新されないと連絡が来ましたので、お仕事は来月いっぱいで――』


 帰宅途中、担当のコーディネーターさんから電話で告げられた失職のお知らせ。

 二カ月勤めて少し手ごたえを感じてきてた派遣の仕事は、通話のように簡単に途切れた。


 慣れない事務の仕事で失敗はしょっちゅうだったけど、私なりにがんばっていたのに。

 脱力感、無力感で気分はいっぺんに落ち込み、街なかなのに少し涙がにじんでしまった。


 急いで手近のショッピングモールに入り、メイクを直しにお手洗いへ逃げ込む。鏡でそんなに崩れていないのをちらっと確認してから、まずは彼に愚痴を聞いてもらおうと便座に腰を下ろし、LINEをひらく。そこからがふたつめ。


『あのさ 俺らもう別れない?』


 ――え?


 彼の返信に一瞬、頭の中が真っ白に――今朝、カフェラテに注いだ税込み二百二十二円の牛乳のように、染まった。


 なにか別の、無関係のメッセージと見間違えたんじゃないかと、LINEの画面を見直す。

 二度、三度。四度、五度。

 繰り返し、繰り返し。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も。


 画面上のメッセージは変わらなかった。

 そして、彼の意思も。


『おかけになった番号は、おつなぎすることができません』


 どんなに言葉をつくしても、彼がひとりで出した結論が覆ることはなかった。

 私は今度こそ、泣いた。

 トイレの個室でみじめに。

 ほかのお客さんに声を聞かれるのもかまわず、徹底的に。

 ひとつめから連鎖したふたつめで、二年続いた恋は終わった。


 いいよ。お次はなに? 今度は二十年ものでも奪うつもり? それならもうとっくに取りあげられたけど?

 こんな、なんにもない私をいじめて楽しい? もっと、仕事も恋も充実してる女性ひとにすればいいのに。なんで私ばっかり……。

 不幸というものは、不幸な人間のもとにばかりやって来る。なんて理不尽なんだろう。


 とぼとぼと駅に向かう日暮れどきの繁華街。灯りだしたバーや居酒屋のライトを横目にながめる。

 慣れないお酒でも飲み歩いて帰ろうかな……。ナンパとかされちゃったりして。それでそのままお持ち帰りされて朝まで……なんて。

 らしくないしそんな度胸もない。

 こんなときこそ、疲れ果てた気持ちを彼に聞いてもらって元気づけてほしいのに。運命は本当に皮肉で、残酷だ。


 彼にいろんなお店へ連れて行ってもらったの、楽しかったな。

 つきあいだしたころは毎週のようにデートして、ずっとふわふわしてて。それが落ち着いてからも月に一、二回はふたりで出かけて。

 でもこのごろは、仕事が忙しいって話をよく聞くようになってて、私も派遣が決まってがんばらないといけなかったから、ちゃんと会えてなくて。


 蛍光のアウターを着た女性からポケットティッシュを受け取る。バッグにしまうのもおっくうで、手に持ったまま歩く。


 仕事なんて再開しなければよかったのかな? 

 苦手なことだらけの社会のなかで失敗ばかりして、毎日毎日、いろんな人から怒られたり、あきれられたり、困られたりして、くたくたになって。

 で、知らないうちに彼とのすれ違いが大きくなってて、別れることになって……。あげく、派遣はクビになっちゃうし。はは……バカみたい。

 仕事なんてやるものじゃないんだよ……。


 ほんとにやけ酒でも飲んでやろうかと思ったけれど、結局、私の足は駅のほうへと動き続けた。やっぱり繁華街のお店にひとりで入るのは怖いし恥ずかしいし、手の中のポケットティッシュを握り締めたままぬぐいもせずにいるこんな顔じゃなおさらだし。

 だいいち、家に帰らないとラテが寂しがるだろうし。


 私は、乗客が大幅に降りるふた駅先まで、夕闇の迫る街をうつむきかげんに歩いた。

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