Episode1 己が乙女ゲームのライバル令嬢であること

 冷め切った瞳が、真正面にいる私を鋭く睨む。

 元から冷えていた彼の視線に心がキリキリときしんだ。


『百合宮。お前が彼女に対してやってきた数々のことは、既に調べがついている』


 静かに告げられるその言葉に、今までつちかってきた淑女の仮面を張りつけ微笑む。


『あら。私、何もしてはおりませんわ』

『確かにお前は“直接”は何もしていない。行動を起こした者は皆口を揃えてこう言う、「全ては白百合さまの為にしたことだ。これは自分が勝手にやったことだ」と』

『なら、私は』

『だが!』


 無罪だ、そう続けようとした言葉を遮るように強く語気を言い放った彼は、今まで向けられたことのない感情を私へぶつける。

 憎々しげに、爛々らんらんと。


『お前の家がしたことでは、逃れられまい』

『私の、家……?』



 キシリ、キシリ。



『密輸、その不正転売に膨大な額の脱税。巧妙に仕組まれ隠された秘密を暴くのには苦労した。世間に公表されれば百合宮家はひとたまりもないだろう』



 キシリ、キシリ。



『自分の手は汚さず、周りの者を駒のように使い思い通りにする。流石、そんな家で育った者は自然と同じように成長するらしい。お前に罪の意識はなかったかもしれないが、罪を罪とも思わないような人間を俺の傍に置くわけにはいかない』



 キシリ。



『だから、これでお前と俺の縁も終わりだ。二度と俺の前に現れるな』


 遠ざかる背中、腕の中に私ではない少女を愛おしそうに抱きながら、彼は二度と振り返らない。


 何もしていないのに。

 私はただ、貴方につき纏う彼女が消えればいいと願っただけなのに。

 私はただ、貴方に焦がれ、想っていただけなのに。


 どうして――……



 ……。


 …………。


 ………………。







「あああああああああああああぁぁぁっ!!!!!」

「うわあああぁぁっ!!!??」


 悪夢に耐えきれず現実世界で叫び声を上げた少女の声に被さるように、少年の悲鳴も上がった。

 がばっと起き上がった少女は、なぜか床に転げている年上の少年に向かってその事実を確認するために突進する。


「ああああ、あのっ!」

「か、花蓮!?」

「ぎゃああああ!!」


 問う前に回答された言葉に再び叫ぶ少女。

 そりゃ叫ぶわ! 否定して欲しかった答えが構える余裕もなく直で返ってきたんだから!


「うそだ、こんなの絶対うそだ。ドッキリに違いない!」


 大きな声で吠える少女ー―花蓮に少年はただ呆然と未だ床に座っているままだが、生憎あいにく花蓮には彼を気に掛ける余裕がない。

 バッと部屋の姿身の前まで走り、最終通告のようにじっと幸の薄そうな己の顔を見て軽く絶望した。


 今は幼いがこの顔立ちに残る面影は間違いない。

 何てことだ。うそだ、そんな馬鹿な。



 なんっっっっっで私が、乙女ゲームのライバル令嬢になってんだああああああ!!!



「うわあああんっ!」

「え、ちょっと」


 突然目から滂沱ぼうだの涙をボタボタと垂れ流し始めた妹に、やっと起き上がった奏多はどうしたらいいのか分からずオロオロとするばかり。

 と、その時奏多少年にとってはこの状況を打破する救いの神が舞い降りた。


「花蓮!!」


 今まで兄妹二人しかいなかった部屋の扉を開け放ち、和風美人のどう見ても二十代前半にしか見えない女性が、泣き叫ぶ少女へと駆け寄る。


「起きたのね花蓮ちゃん! どうしたのあの悲鳴は。怪我は大丈夫なの!? あぁっ、可哀想にこんなに額が腫れて!」

「おかっ、お母様ぁ」


 抱きしめられた花蓮は、今生の母親である彼女に大人しくされるがまま。

 花蓮の頭は気絶している間に流れてきた大量の記憶によって、絶賛大混乱中であった。


 二十三歳まで生きた前世の記憶。

 何も知らず両親に言われるがまま従って言う通りに生きてきたこの六年間。


 二十三歳と六歳児の生まれも価値観も違うそれぞれの記憶が一緒くたになる気持ち悪さに加え、同時に衝撃の事実をも突きつけられた今この時。

 彼女はこの世に生れてたった六歳で、この世に己の終焉を見ていた。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 百合宮家は由緒正しき旧華族の末裔で、数少ない末裔一族の中でも経済的に成功している家である。

 そんな百合宮家の長女、花蓮。


 両親の、特に直系の華族であるお母様の言いつけに従い、常から息を吸うのと同じく淑女であることを求められて来た操り人形。

 走ることの代わりに、姿勢の良い静かな歩き方を。

 大きな声で笑うのではなく、控えめな微笑み方を。


 そうして百合宮家の完璧な淑女人形へと成長した花蓮は、同じく人形めいた美貌を持つ白鴎はくおう家の御曹司、白鴎 詩月しづきに恋愛感情を抱く。自分と同類だと感じた花蓮は詩月に、人に初めて執着し、己を慕う者達に密かに彼へと近づく女性を葬り去るように仕向けてきた。

 そうして着々と己しか居なくなるように仕向けてきた花蓮は、遂に中等部にして詩月の婚約者という地位を手に入れる。


 しかしそんな花蓮にとっては明るい未来に、水を差すような人物が現れることとなる。



 その人物の名は四季しき 空子あきこ

 一般の庶民にして成績優秀者しか獲得できない奨学生として、学院に高等部から入学する女の子。


 どういう経緯で知り合ったのか、ある日から突然空子は学院の皇帝である詩月に馴れ馴れしく側に寄るようになり、女子にそっけない詩月も空子には柔らかい笑みを返すようになる。

 当然そんなことは断固として許せない花蓮は今まで通り排除しようとするが、運が良いのか見事に空子自身が避けたり、何と詩月まで助けに入る時もあり苛立たしさが募る。


 最初は軽いものだった嫌がらせが次第に嫌悪すべきものにエスカレートしていくが花蓮にその自覚はなく、躍起になっていた最中、遂に彼女は己を一番信奉する男子生徒へと空子を襲うように最悪のことを唆してしまう。

 間一髪で詩月に助けられた空子だったが、今まで証拠がないからと花蓮を問い詰められなかった詩月は我慢の限界を迎えた。


 既にその頃には空子に特別な感情を抱いていた詩月にとって、この事件は彼の逆鱗に触れるものだったのだ。

 そしてそれが花蓮の、百合宮家を破滅へと導いた。


 何と詩月は花蓮自身ではなく、百合宮家へと照準を当て黒い経営を洗い出していったのだ。

 当然それを公表された花蓮は詩月との婚約を破棄され、経営難となった百合宮家は没落。

 花蓮は家族諸共路頭に迷う結末を迎え、詩月はめでたく愛する空子と婚約を結び幸福な口づけを交わすことで、ゲームはエンディングを迎える。



 ……そう、これはゲームの設定の話し。

 ゲームの、設定の、話しなのだっ!!

 私はその家族諸共路頭に迷うことになる原因を作った、百合宮 花蓮にどういうわけか転生してしまったんだコンチクショー!


 母親のお腹から出てきた時以来ではないかと思うぐらい散々泣いた私は、頭を打ったことで少し混乱し情緒不安定になっているのだろうという医師の診断のもと、今は一人自分の部屋にてベッドに潜りこんで考えに耽っていた。


「ひどいよぉ―……。私が何したって言うんだよぉ―……ううっ」


 あぁ、悔し過ぎてまた涙が出てきた。


 ちなみに何でこんなにゲームの内容に詳しいかというと、前世で親友だった子が不良で操作ド下手のくせに突然乙女ゲームなるものにはまり、今まで彼女の世話を散々焼いて来た私にその延長線上でゲームの攻略も任せてきたのだ。

 はいはいといつも通り親友の代わりに攻略していった私は遂に全キャラ攻略を果たし、ゲーム機を放り投げる。


 その攻略した乙女ゲームこそ、【空は花を見つける~貴方が私の運命~】。

 今正に私が生きているこの世界なのである。


 ちなみに【空は花を見つける~貴方が私の運命~】通称【空花】にはそれぞれのメインヒーローに因んで紅霧こうむ学院の太陽編と銀霜ぎんそう学院の月編があり、始める時にどちらの学院を選択するかによって攻略可能な人物も変化する。

 その月編のメインヒーローこそが私である百合宮 花蓮を破滅へと追い込む恐怖の男、白鴎 詩月だ。


「うー……ん? あれ、そう言えば婚約者になるのって、花蓮が排除するように仕向けてきたからだよね?」


 そのことに思い至ってガバッと被っていた布団を跳ね上げる。

 何だか光明の兆しが見えた気がする!


「そうだよ! 私が詩月と会わないように避けまくればいいんじゃん! 婚約者にさえならなければ路頭に迷うことも起きない! 破滅させられない!」


 両手を突き上げ歓喜する。


「そして会わないことで好きになることもない! 何これ完璧すぎる!」


 うっきゃーと喜びベッドの上を飛び跳ねる私は知らない。






「……どうしましょう奏多さん。花蓮ちゃんが可笑しくなっちゃったわあぁぁ~っ!」

「か、母さん落ち着いて! 花蓮なら大丈夫だから! ……多分」


 様子を扉の外から窺っていた母親は、愛娘の今までとはあまりにもかけ離れた奇怪な状態に取り乱して嘆き、それを跡取り息子に必死に慰められていたことを。

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