2ー1 コールドケース(1)
『行方不明の警察官、奪われた拳銃により死亡か』
煽情的な見出し。その見出しは、勇刀の脳裏にこびりついたまま離れなかった。
薄暗い部屋を蛍光灯が一つ、手元を照らす。冷たく鈍い輝きを放つ鋼製机の上には、分厚いファイルと四隅が凹んだ段ボールが置かれていた。
勇刀はゴクッと喉を鳴らし、白手袋を両手に装着する。手のひらを伝う冷たい汗が手袋の装着を阻み、勇刀はため息をつきながら乱暴に手袋を手首まで下ろした。
(核心に、触れる……)
そんな覚悟ができていたかと言われれば、甚だ不明であるが、躊躇している暇はない。勇刀は息を短く止めると、分厚いファイルの表紙をめくった。
今から三時間ほど前、勇刀は県立図書館にいた。帰宅しシャワーで汗を流したら一時間ほど仮眠し、頭がすっきりしたその足で、県立図書館に足を運ぶ。そして、眠気などどこかへ置いてきたと言わんばかりに、貪りつくすように過去の新聞記事に目を通した。
尋常ではない集中力と緊迫した空気を纏宇。勇刀のいるその空間だけ、時が止まってしまったかのような錯覚すら覚えるほどだった。
とにかく勇刀は、市川に関連する事件の情報が知りたかった。インターネットで検索をかけてもよかったのだが、日々目まぐるしく進む情勢にたった一年前の事件でさえ、かなり風化し劣化する。正確に淡々と。当時を語る事件の一報を見極める必要があった。より偏りのない一般的な情報。勇刀は、それを頭に入れたかったのだ。
『十月八日未明、B市堀江町路上付近で「爆発したような音がする」との通報を受け、B警察署の二名の警察官が向かった。その後、二名の警察官とは、現場近くでの無線交信を最後に連絡が取れなくなっている。現場付近にはパトカーがエンジンキーがついたままの状態で発見され、付近の建物には血痕が残されていた。また、同乗していた二名の警察官の姿はなく、駆けつけたB署の警察官により直ちに周辺検索が行われるも発見にいたっていない。二名の安否は未だ不明である。現場の状況から二名の警察官は何者かに襲撃されたとみて、県警は二人の足取りを追っている』
事件の一報を知らせる、地方面の小さな小さな記事。これが事件の発端だと、勇刀はその記事に向かってスマホのカメラレンズを向けた。
『県警は特別捜査本部を設置 警察襲撃事件』
次の日には、当該事件の捜査本部が敷かれるという記事が小さく掲載され、それから三日後の朝刊。地方紙の第一面を、あの煽情的な見出しが大きな活字となって紙面を
『十月八日未明にB市堀江町において発生した警察官襲撃事件で、二名の警察官のうち一名が死亡した状態で発見された。警察官が発見されたのはK市山間の廃校となった小学校。週に一度管理のため訪れた市の嘱託職員が「警察官が二人倒れている」と警察に通報。当該事件で行方不明になっていた二名警察官と判明した。死亡した警察官はB警察署生活安全刑事課に勤務する霜村嘉明警部補。霜村警部補は胸に銃弾を受け倒れていた。もう一名の警察官は、腹部等を複数刺され意識不明の重体。現場には重体の警察官が携行していた拳銃と薬莢が残されており、県警は何者かが拳銃を奪い霜村警部補を銃撃したとみている。今回の事件を受け、羽瀬川守首席監察官は「誠に遺憾である。一刻も早い犯人の検挙に全力を尽くし、県民の不安を払拭したい」とした。大量退職期や集団採用期を経て、国家公安委員会は警察庁に対し〝警察官の執行力の低下〟について、懸念する通達を発出したばかり。機能強化に取り組んでいた矢先に起きた今回の事件に、県警はさらなる施策を打ち出さなければないらない、逼迫した状況にあるといえよう』
勇刀は、カラカラに乾いた喉を鳴らしながら、再びスマホのカメラレンズを紙面に向けた。
(これだ……! こんな大事件、なんで俺は覚えてないんだ?)
新聞記事の日付けは、今からおおよそ四年前。
(あぁ!! そうか!!)
勇刀は当時、派遣で他県に席をおいていた。その時の状況をゆっくりと反芻する。非番日に行っていた柔道の訓練中、受け身を取り損ねた勇刀は、鎖骨を骨折して入院していた。ちょうどその時期が一連の事件と合致する。ようやく自分と周りの齟齬が判明し、勇刀は大きくため息をつき当時のことを思い出していた。警察官であることから、すっかり乖離した生活をしてた時期だ。その時、その瞬間、市川は。警察官であることに後悔をせざるをえない事件に巻き込まれていたのだ。
(あとは、細かな情報だ)
パタン--と。勇刀は、新聞記事が
「あ、稲本? 緒方だけど、今大丈夫?」
『大丈夫じゃねーよ、仕事中だよ』
スマホの向こう側にいる稲本は、不機嫌な声でやたら元気な勇刀の声に応える。
「お? ということは、おまえ今日当務か?」
『だからなんだよ。忙しいんだよ、オレは』
「忙しいのは重々存じ上げているんだけどさ、稲本先輩! 一つお願い聞いてくんないかな?」
『……やだ。同期のくせにこんな時だけ、先輩なんて心にも思ってないこと言って、媚び売るヤツの言うことなんか聞きたくない』
「お、ちょっ……ちょっと待って!! 稲本の好きな今川焼き持っていくからさ!」
『……それだけ?』
「? それだけ」
『じゃあ、無理』
「あぁぁ! ちょっちょっと待って! 合コン!! 合コン、セッティングするから!!」
『合コン……?』
「あ、姉貴が、ほら! 保育士してるからさ! 保育士さんとの合コンなんて、どう?」
一瞬、稲本が静かになった。
『……二十分でこい』
「え……今川焼き、買えねぇよ」
『三十分だ』
「分かった!! サンキューな、稲本!!」
スマートフォンをディバッグにしまった勇刀は、勢いよく走り出しだ。
それからちょうど、三十分後。今川焼きの入った紙袋を下げた勇刀は、息を切らしながら重そうな
〝特別専従捜査室〟--。
いわゆる、未解決事件の特別捜査を引き受ける部署だ。警察庁は未解決事件の捜査専従班を全国に設置する方針を決めた。凶悪事件の公訴時効の廃止・延長に即したものだ。
起きたばかりの事件は、手がかりや証言、捜査も活発なホット=熱い状態であることに対比し、未解決事件はコールド=冷たいと表現される。未解決事件がコールドケース--〝冷たい事案〟と呼ばれる所以だ。
特別専従捜査室は、県警本部の地下二階の奥まった場所にある。勇刀は、壁に取り付けられたブザーを押した。しばらくして、重たそうな鉄扉がガチャンと音を立て、ドアの隙間から、眠たそうな二つの目玉が、勇刀を凝視する。勇刀はギョッとして一歩後退した。
「よ、よう! 稲本、これ」
勇刀は隙間から、今川焼きの紙袋をさしいれる。
「一時間だ。それ以上は無理だ」
「それだけあれば充分だ」
「言っとくけど……」
「頭で全て記憶しろ、だろ?」
「……入れ」
勇刀が薄く開いた特別専従捜査室のドアをすり抜けると、背後の鉄扉がガチャンと再び重く鈍い音を立てた。
「メールでもらった事案は、奥の部屋に準備してある。一時間だ。それ以上は無理だぞ」
「サンキュー、稲本」
「市川……さんの件か?」
「ま、そんなところかな?」
「あんまり首を突っ込むなよ。緒方の悪い癖だ」
「大丈夫。仕事だよ、心配すんなって」
極めていつもどおりに振る舞いながら、怪訝な顔をする稲本の肩を軽く叩いて。勇刀は奥の部屋へと足早に進んだ。
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