推しがうちの玄関にいるけどどう見ても毛虫な件

乃間

第1話 推しがうちの玄関にいるけどどう見ても毛虫な件

 大好きな小説がある。

 いわゆる少女小説のカテゴリーで、その本は人気があったのかはわからない。

 でも7巻まで出てたのだから、おそらく根強いファンがいたのだと思う。

 その小説の舞台はルーメン大陸、その中でも一番の大国である、ヒュドール王国。

 そのヒュドールの王太子と、2番目の大国、ウィリデ帝国の皇女が婚約を結ぶところから、物語が始まる。

 冷徹で慈悲のないと言われる王太子と、少しおてんばであるが聡明な皇女は、最初は馬が合わず、いがみ合ってばかり。

 だが、ヒュドール王国に降りかかる戦争の影を振り払おうとするたび、二人の絆が深まっていく。

 それになにより魅力的なのが、その2人を取り巻くキャラクターたちだ。ヒュドールの第二王子や、第一王女、公爵閣下、敵国の皇子など一癖や二癖ある登場人物たちが、程よい塩梅で物語に彩りを添えている。

 恋愛が主軸だけど、魔法あり、戦闘あり、ドラゴンありのファンタジー作品だ。政治的な駆け引きの場面も多く、戦争という難問をどう回避するか、という問題もはらんでいて、なかなかに骨太な作風が私は好きだった。


 なにより好きだったのが、皇女を守る護衛騎士だ。19にして騎士団の副団長という出世を果たした彼は、家柄も公爵家の三男で、まさに生え抜きのエリート。少し堅物で真面目すぎるのが欠点だけど、ヒーローの王太子に冷たくされるヒロインの皇女にそっと寄り添う姿は最高だった。

 その不器用な優しさに、皇女も彼を心から信頼するようになる。

 それに、少しだけ恋愛の予感もある。活発で明るい皇女に、護衛騎士という立場ながらも惹かれているような素振りを見せるのだ。

 7巻の王太子に駆け寄ろうとする皇女の手を掴んで引き留めようとしたけど、でも自分の立場からはそんなことしてはいけないとわかっているから、空の手を引いたあのシーン! そのシーンの絵がなんでないの!? とジタバタしたっけ。


 8巻が楽しみだな、なんて待ち遠しく待っていたのが昨日のことのようだ。16年経った今でも鮮明に覚えているのだから、なんというかオタクって執念深いっていうか。


 そう、16年。何の因果か、わたしはその小説と似たような世界に、転生していたのだ。


 気がついたら、6歳だった。前世で何があったのかは覚えていない。もしかしたら地球に隕石が落ちたのかもしれないし、蓋が空いてたマンホールに落ちたのかもしれない。

 ただ、明日は水曜日だ、というような明確な事実のように、気づいた。私は生まれ変わったのだと。

 でもとくに私の性格が変わることはなかったし、片田舎の農村でのんびりと祖母と暮らしていくだけだった。


 この世界がその小説と酷似していると気づいたのは、つい3年前だ。王太子と皇女の婚約内定が新聞に乗ったとき。

 ああ、あの小説の舞台なんだな、ってすんなりと納得した。

 なんだか転生したせいか、感情が希薄になった気がする。

 嫌なものは嫌だし、好きなものはあるけど、騒ぎ立てたりはしない。それなりに大人だった前世があるから当然かもしれないけど、今世の私はどこか冷めた子供だった。


 きっと私は物語のキャラクターにはなれないとわかっていたからだろう。

 農村生まれの平民の私は、平民らしくあくせくと働いて暮らしている。

 こんな私が物語の舞台にあがることは一生ないのだろう。


 ──なんて、思っていた日もあったことが懐かしい。


 ドアノッカーを控えめに鳴らす音に、私は気づいた。ずいぶんと弱々しい音に、おそらく知人ではないとすぐ気づいた。

 みんな親の仇のようにガンガンと打ち鳴らすから、ドアの木材がへこんでしまっているくらいだ。

 おばあ様が野蛮だと眉を顰めても、農村の人間にはどこ吹く風。

 品性でメシが食えるわけがないと言って、ドアノッカーを打ちつけていくばかりだ。

 

 さては新入りの郵便屋さんかなと、わたしは警戒もせずに1つ目の鍵を開けた。

 わたしがおじい様と慕うエイデン氏から、新入りの郵便局員が入局したと聞いたのだ。

 この世界は前世で言うところの18世紀、または19世紀に近い。王都では、開発中の列車のために線路を敷き始めているという。

 おそらく、産業革命が起こる瀬戸際なのだろう。世界一の大国であるヒュドールは最先端を行っているために、生活水準は高い。

 この農村でも下水道が通っているくいだ。ひとえにヒュドールの前王が賢人と名高く、手堅い政治手腕を奮ってくれたおかげだろう。

 水洗トイレなどとはいかないまでも、この村には共同の水道がいくつか散在している。ありがたいことだ。


 話がだいぶ逸れたが、その文明の発展ぶりからもわかるように、こんな農村にも郵便局もきちんとある。

 あばらやかと思うようなボロい小屋でも、郵便局という看板を掲げれば誰がなんと言おうと郵便局だ。

 そこに入局した新人さんがまあ大変なドジっぷりを発揮したというのは、耳に新しい。

 自分の住む村で迷子になるという始末だ。

 しかしながら、村は広い。迷子になる気持ちは正直わかる。

 私の愛する犬たちがいなければ、次に笑い者にされるのは間違いなくわたしだろう。

 遠出するたびに帰り道へ導いてくれる愛犬に感謝だ。

 

 愛犬が唸る。真っ白な毛並みが立派なスノウは前世で言うところのサモエドに似ている。

 ピンと立つ耳が玄関に向けられており、人懐っこい性格が嘘のように牙を剥き、唸っている。

 ふたつめの鍵を開けようとした手をわたしは止める。お守りのネックレスを掴み、わたしは声を張り上げた。

「どちら様でしょうか?」

「ヒュドール王国第三騎師団です。フィナ・サルソン様はいらっしゃいますか?」

 帰ってきた答えに絶句する。ヒュドール王国第三騎士団。

 この王国、とりわけ王家には10人の王位継承者がいる。そして、騎師団の子隊は12。第一騎士団は王様を守るもの、第二騎士団は王妃様を守っている。さあ、それでは第三騎士団は。


 もちろん、王太子様の騎師団である!


 わたしは慌てて扉を開けた。この国で騎師団を騙る不届き者がいないわけではないが、皆無と言って良い。

 騎師団は貴族の令息によって成り立っている。平民もいないわけではないが、それでも生え抜きのエリートしか生き残れない。

 ほぼ貴族の人間で構成された騎士団を騙ることは、貴族を騙るのも同然である。バレたらタダではすまないだろう。そんなリスキーなことをする馬鹿はいない。

 そう考えてわたしはドアを開けたのだけれど、そこにいたブツを見てわたしは勢いよくドアを閉めた。


 ひと呼吸置く。


 もう一度ドアを開けた。玄関先にいるブツは変わらない。どういうことだ。


 毛虫がいる。


 人の背丈ほどの毛虫だ。


 身の毛がよだち鳥肌が立つ。


 しかもカラフルだ。


 カラフルな毛がみょんみょんと伸びて宙に波打っている。


 自然の摂理に反した、生存戦略の「せ」の字もない多彩な毛で塗れている。


 保護色という概念のない毛虫が一歩、わたしに近づいてくるので、わたしは再度ドアを閉めた。


「フィナ様……?」

 困惑した声がドア越しに聞こえる。

 おそらく、この毛虫は人なのだろう。本当は毛虫ぐらいじゃ驚かない、養蚕業が盛んな村の娘であるわたしだけれど、流石に自分よりデカい毛虫は始めて見た。

 ふう、と息を吸って、吐く。

 クゥーンとスノウが鳴いているが、泣きたいのはこっちである。

 いくらわたしの<ギフト>が関係してようが、こんな事態イレギュラーだ。

「申し訳ありません、まずはお名前を頂戴してもよろしいでしょうか」

「……! こちらこそ申し訳ありません、私は第三騎士団所属のアシェル・エスティオーレと申します」

 推しの名前が聞こえた気がする。

 アシェル。王家に連なり、歴史あるエスティオーレ公爵家の次男。

 ウィリデ帝国から来た王太子の婚約者、第一皇女の護衛についてるはずの推しがなぜここにいる。

 確認するためにもう一度ドアを開けたが、毛虫しかいない。

 推しの尊顔が見れない。

 そもそも推しかもわからない。

 やたらピンクの毛がうにょうにょしている。

 やめろ、近寄るな!

「なにしてるんだい、フィナ」

「おばあさま」

「客人を立たしたままドアを開閉させる礼儀など教えた覚えはないよ」

「あ! すみません、失礼でしたね! こちらへどうぞ」

 招き入れれば、ずんぐりむっくりした毛虫が我が家に入ってくる。

 ワンワン! と警戒して吠えるスノウを一瞥すれば、すこしだけ牙を見せてから、グゥと一声鳴いた。

 それきり伏せの体勢になる。良い子ね、と頭を撫でておいた。

「お客様の相手を頼むよ、あたしは紅茶を入れてくるから」

「いえ、おかまいなく。それより、荷物は持って行かれないのですか?」

 推しが言う言葉に、わたしは首をかしげた。

「荷物?」

 なにか嫌な予感がする。そして、この嫌な予感はたいてい当たるのだ。

「……先触れとして手紙を出したのですが」

「手紙、ですか」

「なにか手違いがあったようですね。申し訳ない」

 毛虫が頭を下げるので、ふわりと紫色の触手(?)がわたしの顔に向かって伸びてくる。

 わたしは慌てて三歩下がった。

「フィナ様?」

「あ、あの! どんな内容の手紙だったんですか?」

「我が主、レオナルド殿下よりフィナ様に王宮に上がってほしいとの命を受けています」

「へ?」

 なんだって?

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