第16話 一つの技を極める
剣の修行は毎日続いている。
気がつけば三ヶ月という時が流れていた。
普通の人は三ヶ月も剣の練習をすれば、あらかたの技は覚えられるものじゃないだろうか。だが、俺は違った。
「くそー! どうしても三段突きができない……疾風斬りも……」
今日は仕事が休みで、珍しく朝から時間があった。練習場所はいつもの公園ではなく、ちょっとした小山の入り口付近である。ジリアーナさんは何か特別な練習をやらせるつもりらしい。
ああ、それにしてもへこむ。どうして俺はこうも壁にぶつかってしまうのだろうか。せっかく剣術にも面白さを見出してきたというのに。
「サボっちゃダメですよ。エクス君」
「はいはい。っていうかファニー、君こそ仕事はないのか?」
ファニーが俺の練習を見にくるようになったのは、二ヶ月ほど前からだった。どうやら彼女は教会の仕事も、冒険者としての仕事もあまりやる気がないらしく、絶好のサボり場としてここにくるらしい。
彼女は最初こそ態度が遠慮がちだったが、最近はちょっと図々しいくらいに感じられることがある。年は一つ下だったので、俺もとっくに敬語とか諸々の気遣いをしないようになっていた。
「私はエクス君が怪我した時に治癒するように、ジリアーナさんから言われてるのです。だからこれは立派な仕事なのですよ」
「そんな所にシートを広げてサンドイッチを食べて……ピクニックにしか見えないぞ」
呑気に水を飲みながら練習を見られているのはちょっと恥ずかしい。
「エクス君の分も作ってあるから、後で一緒に食べましょう。はーい! 素振り素振り」
そうだった。気にしている場合じゃないんだ。なんとかして剣技を覚えていかないと。とにかく必死に剣を振り、一度も成功したことのない技の数々をがむしゃらにやってみる。
失敗しても失敗しても、練習をやめることはしない。
いつも通りの日になると思い込んでいた俺は、準備の段階から何かがおかしかったことに気づかなかった。
ジリアーナさんは山の付近には関係者以外接近禁止の立て札を設置して、ファニーは今回だけは必ず来てほしいとまで誘いをかけていたんだ。
まあ、誘わなくてもこのプリーストは来ただろうけど。
「おーっす! エクスー! なかなか励んでるじゃん」
「あ! ジリアーナさん、おはようございます……って」
どうして小山の頂上付近から現れたんだろう。しかも彼女は、なぜかこちらにやってこない。距離が遠いので両手を口元に当てて、大声で話しかけてくる。
「あたしさー! ちょっと気がついたことがあるんだよねぇー」
「なんですかー!? 今からそっち行きます」
「あれー? ここで練習するんじゃないんですか?」
ファニーは首を傾げている。確かに、山の頂上で練習するなら、初めからそう言ってくれれば良かったと思うんだが。
「お! ちょい待ちー。エクス、もうちょっと。よし! ストップ」
ちょうど半分ほど山を登ったところで、急に止まるように言われて俺は困惑した。なぜ?
「エクス。アンタはさぁ、多くの技を覚えるには向いてないんだと思うよ。今のところ、大技は習得できてないしね」
「う! そう、ですね」
「アンタは多分、一つの技を徹底的に磨いていくべきなんだ。つまり、ダッシュ斬りを死ぬほど鍛錬するってこと」
「一つの技を徹底的に……」
「数を誇るんじゃない。質を誇れってことさ」
数を誇るんじゃなくて、質を誇る。俺は自然とベテラン女剣士から発せられた言葉に、小さな希望を感じた。ほとんどの技を覚えられない、どうしようもない不器用な男。そんな男でも、たった一つなら昇華させられるかもしれない。
今まで手にすることができなかった自信ってやつを、今度こそ胸に抱くことができるかもしれない。単純かもしれないけれど、心に火がついたようだった。
「やります! 俺、徹底的にダッシュ斬りを鍛えます」
「よしきた! じゃあーちょっと待ってな」
ジリアーナさんは山の奥へと消えたかと思うと、何か奇妙な音が聞こえ始める。重々しいというか、こういう音を耳にしたのは多分初めてだった。
「今からなにするんですか?」
「さあ。ジリアーナさんのことだから、きっと凄いことになりそうだけど」
しばらくして、また紫髪の小さな頭が見えた。妙にニカニカしてる。嫌な予感がする。
「じゃあ、アタシがこれから転がしていくものを、ダッシュ斬りで真っ二つにするんだ。簡単なようだけど、なかなかハードな特訓だよ」
「は、はあ。頑張ります」
俺はとにかく鉄の剣を構える。一体何をするのかとドキドキしていると、ジリアーナさんは楽しそうに笑いながら、すぐ何かをゴロゴロと坂へと転がしてきた。
白っぽくて丸くて、とにかく大きい。石のようだが、サイズが桁違いに見える。
そうか……あれは岩か。
「い、岩ぁ!?」
認識した途端心臓が飛び出しそうになった。まさかあの人、岩を斬れっていうのか?
「じ、ジリアーナさん! これ、岩です!」
「頑張れー! エクスー」
「いや、頑張れって、ちょっと」
「エクス君、ファイトー」
「ファニーまで!?」
凄い。岩がどんどん加速してくる。こんなもんどうやって斬るんだと震えつつ、俺はとにかく一歩を踏み出した。
少しずつ走り出していた時、余計なことが頭をかすめた。ジリアーナさん、もしかして俺が大怪我しても大丈夫なように、今日は念を押してファニーに来てもらったのだろうか。うん、きっとそうだ。
まさに無謀。鉄でできた剣で岩を斬るなんて不可能だと思いつつ、とにかく必死で走る。一回ダメだったらもう諦めよう。っていうか、多分絶対に無理だけど。
覚悟を決め、脚を精一杯加速させる。迫り来る岩に頭から突っ込むくらいの勢いで接近し、頭上に構えた剣を振り下ろす。
この瞬間は恐ろしかった。正面から岩にぶち当たるとしか思えない愚行。死んでもおかしくない危険極まりない剣の一撃は、まったく岩に傷をつけることもなく終わる気がした。
だが、不思議なことは時として起こる。岩が視界から消えた。正確には俺の視界から二つに避けていったのだ。ハッとして振り向くと、二つに両断された岩がそれぞれ山道を転がっていくのが見えた。
「て、鉄の剣で……岩を斬った?」
呆然としていると、ファニーがぴょんぴょん跳ねながら笑う。言いにくいがとある膨らんだ部分が凄く揺れている。
「すごーい! エクス君、岩を斬っちゃったんですね!」
ふとジリアーナさんをみると、さっきとは違う笑顔になっていた。口角を上げて、ちょっと怖そうな戦士の笑顔とでも言うべきか。
「うん。上出来だよ。アンタはやっぱり、一つの技を極めていくべきだ」
「あ……ありがとうございます」
咄嗟にお礼をしたが、冷静に考えてもおかしい。どうして鉄の剣で岩を切断できたのだろう。
「今の腕で満足しちゃあダメだよ。岩くらいで満足されちゃ困る」
岩くらいで? 心の中に電流が走った気がした。
俺はきっと口を半開きにした間抜けな顔になっていただろう。
もしかして、剣士って岩くらいは普通に斬ってしまうのだろうか。そうだ……ジリアーナさんやラングなら、余裕でやってしまいそうな雰囲気がある。鉄の剣でも岩を斬れる。俺は常識を勉強し直すべきだろう。
危ない危ない。思い上がってしまうところだったと自分を戒めていると、またジリアーナさんの姿が見えなくなった。
「よーし! というわけで、もっかい行くよー」
「はい! お願いします!」
俺はもう一度剣を構えた。次もしっかりと斬ってみせる。そう雄々しい気持ちを持っていたのはこの時までだった。
「せーの! ほい、ほい、ほい、ほい」
「ん? んんん!?」
ゴロゴロと転がってくる岩。さっきは一枚だったが、今度は——
「うおおおおお!? ジリアーナさぁああああん!?」
「ひゃあああ! ちょっとエクスくーん!!」
この光景にはファニーもビックリ仰天だったろう。
岩が、岩の大群が押し寄せてくる。いくらなんでもやり過ぎだ。
「あははは! 頑張れーエクスぅ」
「うおおおおおおおお!」
その日、確かに俺は死にかけたと思う。まあ結局は助かったけど。
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