失恋スパイスの材料が準備されていく

あれから特になにがあるわけでもなく、4回生の冬になった。


詩からの話やアドバイスのおかげでいい研究テーマを定めて、ここまで順調に進められてきており、卒業研究が架橋に入ってきたころだ。


詩は大学院に進学しており、相変わらずメンターとして梨樹人の研究室生活をサポートしてくれている。


そして今は研究室で卒業研究発表の準備中だ。


今、梨樹人と詩は隣に座って、同じディスプレイに映るプレゼンスライドを見ながら修正の方針を議論しているところだ。


「この部分はもう少し具体例を交えて説明した方がいいんじゃないかしら?」


距離の近い詩に多少の動揺もあるが、詩の的確な指摘を受けて、素直に資料修正の方針に集中しようとする。



ちょっと当たってんだけど!



というわけで当然のごとく集中できなかった。



「冬城さん、ちょっと近くないですか......?」


「今はそんなこと気にしてるタイミングじゃないでしょう?これを直さなきゃいけないんだから」


「そうですけど......」


「それに、いやなの?」



少し厳しい言葉を掛けられたかと思ったら、今度は上目遣いに薄い笑みを浮かべて、挑発するようなことを言ってからかってくる。



「なんてね。ほら、続き。やるわよ」



ほんとにこの人は......そのつもりもないのにこうやって......



この1年、詩は定期的に挑発してくるが、仲に進展があったわけではない。


他の先輩に聞いた話では、詩には学部2年生まで年上の元カレがいたらしく、そのころにタイプの男性は年上で頼りがいのある人、と言っていたらしい。


残念ながら梨樹人は普段から研究活動なんかで詩に色々迷惑を掛けている自負がある。

自分は2歳年下であることと、そうした普段の生活面でも頼りがいもないだろうことから、完全にタイプとは違っている。


そのため、梨樹人は無用な恋愛感情を持たないようにして、あくまで美人で頼れる研究室の高嶺の先輩という位置づけに落ち着けていた。


ありえない展望をもつのは早々に切り上げて、目の前のタスクに意識を戻した。



*****



みっちり2時間ほぼ休憩無しで議論を交わし、スライド全てを確認した。



「ふぅ、ひとまずこのあたりを修正しておけば、いいプレゼンになるんじゃないかしら」


「ですね。ありがとうございます!」


「そろそろ良い時間だし、私はそろそろ帰るけど、神夏磯くんはどうするの?」


「僕は今晩はこのスライドを直し終わるまでは頑張ってから帰ろうと思います!」


「そう。じゃあ、無理しすぎない程度にがんばってね♫」



半身の状態で軽く手を振って、さっとかばんだけを手にとって研究室から去っていく。


うーん、帰ってく姿だけで絵になってるとかすごくね?

って、そうじゃなく、今はこの修正を片付けないと!


余計な思考を振り払って、朝まで掛かりそうな反り立つ壁に向き合った。




*****



それからもコメントをもらいながらスライドを修正したおかげで、卒論の発表は無事に終えることができた。

質疑にも的確に答えることができたし、準備したかいがあったというものだ。


色々手伝ってくださった吉田先生と冬城さんには感謝してもしたりない気分だ。



それはともかく、なによりも。


「卒論の発表も無事に終わったー!!!」


叫ばずにはいられなかった。

研究室に戻って気が抜けた途端に、ここしばらくの疲れのモヤが全身の穴から吹き出すような脱力感感覚におそわれる。



「お疲れさま〜。良い発表だったわね」

「質疑もうまく行ってよかったな!」


「これ、お疲れさまのプリンね」



詩ともうひとりの先輩たちがねぎらいの言葉とともにご褒美?のプリンを手渡してくる。


「ありがとうございます!いやー、ほんとに疲れましたよー。今晩はぐっすり眠れそうですw」


梨樹人がそう言うと、詩は母性に溢れるアルカイックスマイルを決めて、再度「本当にお疲れさま」と言って、梨樹人の頭の方に手を伸ばしてくる。



え......?もしかして頭なでようとしてくれてる......?



自分に向かって伸びてくる手の意味を考えて心拍数を高めていると、ピロンッとスマホの通知音がなる。

その音に梨樹人と詩の方がビクッと震えて一瞬時間が止まり、なんとも言えない気まずい時間が流れる。



「えっと......なんですかねw」


梨樹人は空気をごまかすようにスマホを取り出して通知を確認する。

送信主を確認した瞬間、梨樹人の顔が強ばる。



「神夏磯くん......?なにか悪いお知らせでもあったのかしら?」


「そういうわけじゃないんですけど......。いや、ある意味悪い知らせなのかな」


「はっきりしないわね。なんだったの?」



詩が梨樹人のスマホを覗き込むと、そこには詩の知らない女性と思しきユーザ「夏海柚津」からのメッセージの通知が表示されている。

柚津からは、高校3年生のときに振られて実は浮気もされていたことが発覚してから、しばらくはメッセージもあったものの、大学1年の春が終わる頃には音沙汰もなくなっていた。

それが大学の学士過程の卒業を間近に控えた今のタイミングで連絡を寄越すなんて何事だろうか?


素朴な疑問は湧きつつも、思ってた以上になにも感じない自分に気づく梨樹人。

振られた当時はメッセージがくるだけで怒りが湧いてきたものだが、傷心は時間が解決してくれるというのは金言だな、などとボーッとスマホの画面を眺めていると、その状況に疑問を感じた詩から声を掛けられる。



「開かないの?」


「あー、それがですね。これ、昔付き合ってたやつからのメッセージみたいで、当時結構嫌な振られ方したんであんまし既読つけたくないんですよね。このままメッセージ消してブロックしちゃってもいいんですけど......」



しばらくの沈黙がその場を包む。

詩は少し顔をひきつらせているようにも見えるが、相変わらず大人の女性らしい魅力を湛えた笑顔で続ける。


「な、なるほどね?でも、もしかしたら何か急ぎの用事かもしれないし、見るだけは見ておいたほうがいいんじゃないかしら」


「まぁたしかにそうですよね。しょうがない、開くか」






開いてみれば、そこに綴られているメッセージは、典型的なやつだった。






『りっくん、久しぶり!』

『急に連絡しちゃってごめんね』

『ふと最近はどんな感じかなー、って思い立っちゃって』

『そしたら久しぶりにりっくんの声が聞きたくなっちゃった♫』


というメッセージの最後に、「おねがーい!」と片目をつむった可愛らしいクマのスタンプが送られてきていた。

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