第8話 生活の混乱

 月が変わっても塩の価格は異常な高騰を続けていた。

 取引価格は1キログラムで10万マルクと既に先月から2倍になっている。

 これは先物価格ではなく現物の取引価格だ。

 先物は更に高く、今時点で11万マルクとなっている。

 この1万マルクの価格差が、さらに価格高騰を押し進めていた。


 世の中にはアービトラージ業者というのがいる。

 現物と先物の価格差でサヤ取りをする業者だ。

 現代ではコンピューター取引があるので、日経平均連動の現物株を瞬時に購入できる。

 これが出来るので日経平均でも先物と現物でサヤ取りが出来るのだ。

 例えば日経平均が3万円の時に、日経平均先物が4万円だとしよう。

 日経平均構成銘柄を日経平均と同じ値段で購入出来たとして、同時に先物を金額が同じになるように売る。

 すると、精算日にノーリスクで1万円かける建玉分のお金が儲かるのだ。

 実際はもっと小さな価格差なのだが、扱っている金額がでかいため、十分にやっていくことができる。


 さて、そんな考えに行き着きのはさほど難しいわけではない。

 なので、ローエンシュタイン辺境伯領でもそうする者たちが出現してきた。

 先物価格との乖離がある、現物の塩をガンガン買い始めたのだ。

 これを期近の精算日に現渡しすれば利益になる。

 そして、不足している塩をそうやって投機目的で買うやつが出てくるので、ますます不足していき価格が高騰する。

 完全に悪循環になっていた。


 塩は生活必需品であり、価格の高騰は住民の不満へとつながる。

 領地で住民の不満が溜まって困っているからなんとかしてほしい、そんな陳情をしに来る寄り子が日に日に増えていった。

 今日もまたそんな貴族を乗せた馬車が、屋敷にやってくるのが部屋の窓から見えた。


「マルガレータ、出掛けてくるよ」


「はい」


 ゲルハルトがいなかったので、マルガレータに伝えて屋敷を出る。

 街の食堂の前を通ると、最近味が薄くなったと嘆く客に遭遇する。

 流石に領主の息子が一人で食堂に入るのは我慢したが、できればどのような味付けなのか確認してみたかった。


 僕はそのまま歩いて市場へ向かう。

 途中の屋台で串焼きの肉を一本買ってみた。


「おまちどうさま」


 店主が焼き上がった肉を手渡してくれたので、それを歩きながら食べてみた。


「塩が振ってないなあ」


 以前食べた時は塩味が付いていたはずだ。

 売り値は変わっていなかったから、塩を振るのをやめて値段を据え置いたのかな。

 もう少し味を濃くしたいので、魔法で塩を作って振りかける。

 ついでにコショウも作った。


「うん、やっぱり肉には塩コショウだな」


 肉には塩コショウで十分だと思うが、魔法で焼肉のたれを作ることができるのも確認済みなので、実家を追い出されたら焼肉屋をやるのもいいかもしれないな。

 コショウは無いとしても、塩味に飽きた人たちを取り込めるかもしれない。


 歩きながら串焼きを食べるなどという、非常にお行儀の悪いことをしながらも、目的地の市場に到着した。

 塩を扱う商店の前に来ると、中年女性が店主に値下げの交渉をしていた。


「子供たちももう何日も塩を口にしていないんです。頭痛も治らなくてこのままだと死んでしまいます」


「そうはいってもねえ。こちらだって仕入れ値より安くは売れないよ」


 どうも塩が高騰していて、低所得層の生活を直撃しているようだ。

 市場取引価格はプロ向けであり、庶民はそこから更に商人が利益を乗せた価格で購入しなければならないならなあ。

 あの女性の家庭のように、塩の摂取が出来なくなっているところがもっとあるのだろうな。


「そこをなんとか」


「ウチなんかじゃなくて、領主様に陳情に行ったらどうだい?」


 店主は値下げするつもりはなく、女性に陳情をアドバイスした。

 理屈はたしかにそうだよなあ。


「陳情に行った旦那が帰ってこないんだよ!」


「そいつぁ悪いことを言っちまったな」


「いいさ。別に店主が悪いわけじゃないんだから」


 そこまで聞いて、踵を返して屋敷に戻る。

 あの女性の言ったことが本当かどうか確かめるためだ。


 屋敷に戻るとゲルハルトを見つけ出し、ここ数日の間に屋敷に陳情に来た領民がいないかを調べてもらった。

 ゲルハルトは直ぐに屋敷を守っている衛兵に確認してくれ、一人牢屋にとじこめている男がいると教えてくれた。


「どうされますか?」


「すぐにでも釈放させて」


「承知いたしました」


 再びゲルハルトが衛兵の所に行った。

 そしてすぐに戻ってくる。


「申し訳ございません。釈放する事ができませんでした」


 とゲルハルトが頭を下げる。


「どうして?犯罪でもないでしょ」


「それが、どうもアルノルト様の指示だそうで。簡単な取り調べのあと釈放しようとしていたら、陳情に来た話がアルノルト様のお耳に入り、厳しくしないと真似る者が出るからとおっしゃったそうです」


「そういうことか」


 悪手だな。

 不満をどうにかしてそらすべきなのに、これでは住民の不満がローエンシュタイン辺境伯家に向いてしまう。

 やるならば、買い占めを行っている商人を恨むように持っていかなければならないのになあ。

 アルノルト兄上は、言っちゃ悪いが統治能力は低い。

 長男が跡を継ぐという風習がなければ、跡を継げないのではないだろうか。

 父が屋敷にいれば違う対応となっただろう。

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