『エスカロープの酒場とバーテン』
「ふ~ふふっふっふ~ふ、ふっふ~ん、ららららーららぁ♪」
鼻歌混じりでご機嫌のバーテンが、きゅっきゅ、と小気味いい音が響くまで、グラスを磨いている。
グラスの輝きを目で確認して。
よしよし、と頷いては。
「らーららっら、ら~ららら~♪」
続きを歌う。
そんな、エスカロープの街で馴染みの酒場は、がらんとしている。
なにせ、真昼間だからだ。
けれども、バーテンの前のカウンターには、疎らに常連が座っていた。
「ごきげんじゃねーか、マスター。なんかいいことあったか?」
するとバーテンは。
渋い顔で
「ったく、もう少し黙っていてくれないか。ちょうどサビに入る所で話しかけやがって」
「なんだよ、常連に向かってつめてーな」
「そういうのをのんだくれっていうのさ。こっちとしちゃ嬉しいことだが、いい加減体もいたわってやれ」
「……大きなお世話だっての」
そう言って常連は、グラスの酒を飲み干し。
「ほれ、歌ってないで仕事しな」
飲み干したグラスを突き出す常連に。
バーテンは、専用の引き出しから、ロックに使う氷を器具で抓みだしながら、
「ったく、しょうがねえヤツだな。さっきと同じのでいいか?」
「あぁ、それで構わねえ」
そんなバーテンと常連は、半笑いでの会話であり、セリフとは裏腹に和やかな雰囲気だった。
そこに。
「邪魔だ、どけ」
店内から出ようとしていた客を突き飛ばし、金色の甲冑に身を包んだ男が入ってきた。
その男の狂暴さとキンピカ具合は、昨今、巷で有名らしく。
どこにめぇつけてんだ、と怒り心頭の客を、周囲の皆が力づくで止めていた。
情報通のマスターが、その男のことを知らないわけも無く。
面倒なのが来た、と言わんばかりの表情で。
常連に、小声で言う。
「すまんね。オカワリは今日は無しだ。悪ぃが、そっちのテーブルに移ってくれ」
常連は、バーテンの指先を追って後ろを見るついでに、その金ぴか姿が目に入り、「おっと……」と声を上げた。
そして、「おーけー」と素直に席を立つ常連に、バーテンは「迷惑をかけるかもしれん。今日の分は、サービスしとくぜ」
そう言いながら、バーテンはグラスを置き、キンピカを真っ直ぐに見据えた。
それはまるで、戦地に赴く兵士のような、覚悟の有る眼だ。
やがて、自然と道を開ける人々のど真ん中を、堂々と通って、キンピカはバーテンの所までやってくる。
「おい、貴様がここのマスターか?」
開口一番は、予想通りの不躾だった。
しかし、マスターは丁重に頭を垂れる。
「いらっしゃいませお客様」
「そのような下らん挨拶はどうでもよい。それより、オレ様は、今、貴様がここの店主かと聞いたのだ。二度言わせるな」
「失礼いたしました。ええ。左様でございます」
「情報屋もやっているというのは本当だな?」
「はい。相応の対価があれば、西は辺境コンスムの波止場から、東は大島国アペチリフの霊山まで、古今東西の情報を、この私が集めております。……もちろん、あなた様のことも、良く存じ上げております。『
「ほう、それがどの程度の『良く』かは知らぬが。今はそんなことよりも、知りたい人物の情報がある。洗いざらい吐け」
「と、言いますと、どちら様でございますかな?」
「ヘレニウム、だ」
その名を聞いて、バーテンは、3日前に冒険者組合前で行われた決闘のことを思い浮かべた。当然ながら、決闘のいきさつや結果まで、バーテンの耳に入ってきている。
だがバーテンは、決闘の話は知らないことにした。
この手の乱暴者が、負け戦の話をされると、逆上するのが目に見えるからだ。
まさか『あのあなたのご自慢の剣を叩き折ったという、赤い神官様のことですね。その話を聞いた時には実に爽快で腹がよじれそうでした』とは言えず。
「ああ、あの真っ赤な服が特徴的な神官のことですね、たしか、エスカロープでは『赤き鉄槌のヘレ』と呼ばれておりますが」
「そうだ。そいつの情報が知りたい」
バーテンは声のトーンを落とし、小声で尋ねる。
「ご予算のほどは?」
「ふむ。こいつでどうだ?」
アッシュはそう言って、装飾華美な『金貨』を一枚、カウンターの上に置く。
それに、バーテンは目を見開く。
この世界で、金貨1枚は、凄まじい価値を持つ。
それは『金』だから、ということではない。『金』自体は、低位の金属類だ。
けれど、貨幣にしたときの価値は違う。
金貨1枚は、数字にすると10万グランなのだ。
首都住まいの成人男性4か月分の食費くらいはある。
さらに、世間一般で流通する最高額の貨幣でもある。
それより上は、100万グランの『小金環』と1000万グランの『大金環』しかなく、それらは大企業や国家間の取引でしか使用されていない。
そんなものをポンと懐から出すアッシュに、バーテンは面食らった。
「もしや足りぬと言うつもりか?
そう言って、アッシュはもう1枚上乗せした。金貨を。
態度はともかく金額は上客だ。
さすがに無碍には出来ない。
バーテンは、
『只今、当店の
のプレートをカウンターに出し。
「いえ、十分でございます。ではお手数ですが、こちらへ」
情報は武器であり漏れやすい。
情報屋として動くときは、別室に案内するというのは当然の話だった。
――――
酒場奥の、小部屋にて。
そうして。
バーテンは知りうる限りの「ヘレニウム」の情報をアッシュに話した。
大聖堂を追い出されたという事。
あの赤い神官服は、枢機卿からの戒めである事。
剣が嫌いでハンマーが好きだという事。
戦い方。
そのクセ。
住んでいる場所。
よく通っているシデの森と言う狩場の事。
そして、ガランティン古戦場での活躍の事。
「なるほど……良く解った」
アッシュは席を立つ。
「さらに有益な知らせが届いたら報せよ。オレ様は、この地の最高級の宿に居る」
「了解いたしました、アッシュ様」
そのまま立ち去ろうとするアッシュだが、ふと振り返る。
「ところで、さきほどの古戦場の話だが……」
「はい?」
「……ヤツは一人ですべて片付けたのか?」
「いえ、3人で向かったと聞いております」
「つまり、仲間がいる、ということだな……?」
「確約は出来かねますが、その可能性はあるかと」
「……その者達の名は分るか?」
「男が一人、女が一人。女の方の情報は申し訳ありませんがさほど……。男の方でしたら……」
「よし、その男の情報をも教えろ。20万グランあれば足りるであろう?」
「ええ、もちろん」
そうして、バーテンは、ヘレニウムに同行していた男性の情報も話した。
「また来る。金が足りぬ時は好きなだけ言うがいい。その代わり、情報は渋るなよ」
「心得ております」
それで、正真正銘アッシュは立ち去った。
――――――
それを見届けてから。
バーテンは一人ごちる。
「……テッド君に、一報入れておくか」
私情なく、乞われた金額分の情報を渡すのは、情報屋としてのポリシー。
だが。
常連客の心配をするのは、酒場のマスターとしての人情。
「住所は、組合斡旋の宿だ、と有体なデタラメを教えておいたから、多少の時間稼ぎは効くだろう……」
これも仕事だから、すまないな、とテッドに思いながら。
バーテンは、指を鳴らす。
すると、小部屋のドレープの陰から。
黒服に覆面の人物が現れる。
「ミモザよ。今の話、聞いていたな? ……このことを、冒険者組合所属のテッドと言う少年に伝えてくれ。決して私の存在を仄めかさず、情報を渡したという証拠も残してくるな。良いな」
「ハッ!」
短い返事をして、覆面の者はその場から一瞬で消えうせた。
「まったく……。世の中の良し悪しってのは、チグハグばっかりで困るね」
そうして、バーテンは酒場のフロアへと戻っていった。
「今日のクソは、いつもより早かったじゃねえか」
そんな茶々を常連に入れられつつ――。
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