『上級神官《アークビショップ》の本業』
鍛冶師ストックと出会う少し前。
そんなある日の朝。
ヘレニウムは、首都グラッセの大聖堂。
そのてっぺんにある一室に呼ばれていた。
佇むヘレニウム。
その前の机を挟んで、対岸に座るのは、全聖職者のナンバー2を務める
厳粛で重々しい雰囲気の室内で、その枢機卿の口が開かれる。
「――現在、エスカロープの街の治癒士が不在とのことだ。しかるに。現地の司祭殿から、治癒士の派遣を求める旨の要請が来ている。そこで。その要請に応じるべく、キミにはエスカロープの街へ行ってもらいたい」
「エスカロープの街。そこに私が駐在し、
「そのとおりだヘレニウム君。明日付でな」
随分急な話だ。
そして、この手の話の理由は決まっている。
いわゆる、左遷。
厄介払い。
というやつだった。
「……私の行動に何か問題でもありましたか?」
ヘレニウムの、あまりにあっけらかんとした言葉に、枢機卿は、はっはっは。とわざとらしく乾いた声で嗤った。
その上で静かに、復唱する。
「――何か?」
イヤ、静かなのはここまでだ。
次の瞬間には、枢機卿の堪忍袋の緒が爆発する。
「何か?……ではないわ! 毎日毎日毎日毎日! 本来の業務をほっぽり出して、いったい君はいつも何をしているのだ、ヘレニウム君! この私の机に置かれた、経典ほどの厚さの紙束が何かわかるかね? すべて、君の素行の悪さを告発する申告書なのだぞ!? 去年までの君は、大変優秀な神官だったではないか。なぜ急にこんなおかしくなってしまったのだね!?」
一気にまくしたてる枢機卿に対し、ヘレニウムは淡々としている。
「ただ気づいただけです。――今は、『天恵』や、救いよりも、私にふさわしい有効な手段があるのだと」
枢機卿は、辟易したような顔で。
一応聞いてやろうの雰囲気で尋ねる。
「その有効な手段とは?」
「『
「…………」
枢機卿は呆れを通り越して無我の境地になる。
文字通り頭を抱えてしまった。
そして、絞り出す言葉は。
「君はもう少し利口な娘だと思っていたのだが……」
明らかなる失望だった。
「ちなみにだが。この前、血まみれで帰ってきたという報告があるが、アレはどういう理由だったのかな?」
「……街道で魔物に襲われていた冒険者がおりましたので、救出した時の血です」
「君のかね?」
「いえ、魔物の」
「……持っていた鈍器で殴り倒したというのは?」
「真実です。『天恵』を使用するよりも、そのほうが早いと判断しました」
「似たようなことが何度もあったと聞くがそれもかね?」
「はい」
青と白で彩られた神聖なる高位神官の正装を、毎度毎度真っ赤な血で汚してくるという報告が真実だと知って、枢機卿は言葉を失う。
その上で。
なんということだ、と、枢機卿は心底残念そうな声を上げる。
「仮にも、神の代行者たる者がなんと野蛮な、しかも君は清廉であるべき
おそらく、枢機卿の質問は最後の審判だった。
机の引き出しから、枢機卿が、一枚の書類と判を取り出す。
そして。
まだ判の捺されていなかった教皇宛の親書に、正式に判が押された。
それが、トドメだった。
「……せめてもの慈悲だ。私が君にふさわしい礼服を授けよう。君がいかに、恥ずべきことをしていたのか、世間の目が証明するだろう」
そうして、ヘレニウムには特別に。青と白ではなく。
赤と白の制服が授けられたのだった。
―――
そして、現在。
朝になると、ヘレニウムはエスカロープの聖堂教会に赴くことになっている。
それはもちろん、仕事だからだ。
だが、完全に脱線しているヘレニウムの仕事ぶりは、真面目とは程遠く。
毎日教会に赴くべきところ、3日や4日開くことはざらであり、それもいつ来るか分からないような状況だった。
そのため、教会前には、いつも『神の恵み』を求める怪我人や病人が長蛇の列をなしていた。
街中の。
一際高くそびえる目立つ建物の、その大扉の前に人だかりができている、今日も。
「神官様は!? 今日も来ないのか!?」
「どうなんだ、ミモザ! 今日は来るのか来ないのか?」
「頼むよ、もう、うちのせがれも限界なんだ!」
そんな民衆たちの前で、オロオロしている司祭がいる。
「今日はさすがに来てくださると思いますので……!」
「いつ来るんだ!」
「それは……」
「とりあえず、軽症者は、私の方で治癒を行いますので」
それはもはや毎朝の定例行事のような光景と化していた。
エスカロープの教会は、首都と比べると当然、こじんまりとした建物だが、その機能は地方であっても変わることは無い。
礼拝などの祭事はもちろんの事、怪我人の治療や病気の治療、悪魔祓いなんかの仕事も行っている。
ヘレニウムは元々、それを行える人材が居ないという事で派遣された神官だ。
そして、司祭であるミモザは、使える『天恵』が簡単な治癒だけしかなく、それ以外の仕事は行えない。
『天恵』を扱えるのは、神に選ばれた聖職者のみなのだ。
その力量や、種類も、ヒトによって様々だ。
ミモザは、簡易的な治癒は行えるが、決して優秀な部類ではない。
一人の治癒に、それなりの時間を取られてしまう。
ひとりひとり、ゆっくり時間をかけて治癒を進めるほかは無かった。
しかも重篤な患者は無理だ。
そうして、ようやく。
教会が開く時間から、患者たちが待つこと1時間ほどして。
紅いカソックが、マイペースな歩みで姿を見せる。
すると。
目ざとく見つけた民衆の一人が叫ぶ。
「来た! 来たぞ!」
「ヘレニウム様だ!」
ヘレニウムはさすがに甲冑は付けず、盾も持っていないが、その腰にはしっかり赤いハンマーが吊るされている。
普通の神官は、杖を持つものなのだが――。
「間違いない、あの赤いハンマーはヘレ様だ」
まだ元気な民衆が、幾人か、ヘレニウムが教会に来たことを宣伝しに走り去っていく。
ヘレニウムは、まるで女神かモーゼのごとく、真っ二つに割れた人垣の真ん中を歩いて、ミモザの元に参上する。
「――お待ちしておりましたよ、ヘレニウム様!」
泣きそうな顔の司祭、モミザに。
死にそうな顔の患者たち。
だが、ヘレニウムは優しくない。
「面倒です。皆を近くに寄せてください」
「わ。わかりました……」
ミモザが高位神官の指示に従い、皆に集まるように声をかける。
そうして。
「『――
「『――
ヘレニウムは、たったふたつの『天恵』で、そこに集まる群衆の全ての治癒を終わらせた。
おおっ、と治療を待っていた人々から歓声が上がり、口々に謝辞が飛ぶ。
それを全く意に介さず。
「では、他にすることがあるので失礼します」
ヘレニウムは立ち去っていった。
あっという間に仕事を終えた、高位神官を、
「……いつ見てもすさまじいお方だ……」
司祭ミモザは呆れと感心と敬意の混じる言葉で見送るのだった――。
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