魔法の先生
華蓮を連れて帰宅し、一旦廊下に待機させて部屋に入る。玄関に見知らぬ履き古されたブーツが揃えられており、額を押さえてしまう。
俺と母親以外の靴となれば、一人しか心当たりがない。
(できれば顔すら合わせたくなかったのに、あいつが帰ってきたのか。タイミングが良いのか悪いのか……)
怒りで我を忘れたくなる衝動を抑え、うがい手洗いを済ませてリビングに向かう。
リビングでは両親がテレビ番組を視聴しており、何ら変哲もない一般家庭の風景だ。偽りの仮面を被ったあいつが平然とソファーに腰掛け、俺に気付くと声を掛けてきた。
「おお、黎人。おかえり」
「おかえりなさい、黎人。今日も遅かったわね、お昼はどうしたの?」
「―――ただいま、昼は向こうで食べさせてもらった」
なるべく冷静に、なるべく当時の自身を重ねて、不信感を抱かせないように返事を返す。
ソファーで寛ぐ
寝巻き姿なので帰宅後すぐにシャワーを浴びたらしく、リビングの隅に爬虫類の鱗と革から作られた防具があり、壁に使い古された鋼鉄の大剣が立てかけてあった。
(元の世界だと零細企業の平社員だったが、こっちでは冒険者なのか。きっと俺が冒険者になるなんて言ったら、怒り狂うだろうな)
父親は元の世界だと最低でも中企業以上の企業に就職しろと、耳にタコができるくらい言ってきた。それは俺を想ってではなく、自身が早期退職して老後まで面倒を見てもらうのが目的だった。
命を落とすリスクこそあれど、
貴族でないと就けない職業なのだ。環境が環境なので理不尽な要求と気苦労は絶えないだろうが、きっと給料だけは高い。
「母さんから聞いたぞ、魔法の先生と出逢ったのか? 運が良かったな、魔法使いや
「うん、そうだね」
母親から華蓮について聞き及び、父親は上機嫌で冷えた缶ビールを呷る。やはり元の世界の父親と大差なく、俺から搾取するつもり満々だ。
母親は父親の思惑など露知らず、俺が一生安泰で暮らせるだろうと嬉しそうに頷いた。
(まぁ、華蓮さんを紹介するのは問題ない。宜しくお願いしますと、コイツなら頭を下げるだろ)
華蓮を魔法の先生という体で紹介すれば、より都合が良い方向に転ぶと勘違いしてくれる。遅かれ早かれ父親とは離縁するが、それまで余計な口出しが減るのは精神衛生上、ありがたい話である。
「実は魔法の先生、華蓮さんが挨拶をしておきたいと来ているんだ。外に待たせてるから、呼んでもいい?」
「そうなのか!? 寝巻きだと失礼だよな……スーツに着替えるか」
「私も着替えるべきかしら? 魔法の先生だもの、貴族の方なのよね?」
「いいや、華蓮さんは貴族じゃないよ。服装は気にしないだろうから、着替えなくていいと思う」
「そうか、ならビールだけでも片付けておこう」
父親が一気に缶ビールを飲み干し、母親が空き缶を台所に片付けた。
玄関まで華蓮を呼びに行くと、華蓮が廊下の手すりに肘を乗せて半ばぼんやりと天体を観測し、隣に並んで立った。
「華蓮さん、あいつが帰って来てました。顔を合わせますが、あいつは元の世界と外面から中身まで一緒みたいです」
「元の世界と変わっている可能性もあったけど、黎人がそう言うのならそうなのでしょう。早く了承を得て、精霊の森に戻りましょう」
「は、はい。どうぞ」
「お邪魔します」
華蓮を招き入れ、リビングまで案内した。両親はダイニングテーブルの椅子に座っており、向かい合う形で俺と華蓮が座る。
ダイニングテーブルの上にはお茶請けとお茶が用意されており、手を付けずに華蓮の紹介から始めた。
「此方が魔法の先生の華蓮さんだよ」
「紹介に預かった華蓮と申します。家名は訳があって名乗れませんので、華蓮とお呼び下さい」
「はぁ、これはご丁寧にどうも」
(そう言いながら、内心では半信半疑ってところか。そうだよな、偶然にしては話が上手く行き過ぎているか)
華蓮が頭を下げ、両親も揃って頭を下げる。その最中、父親の目がより一層細められ、華蓮を値踏みしているのが窺えた。
華蓮も父親の嫌な視線を感じ取ったのか、有利に話を進めるべく先手を打つ。両親に右手を突き出し、親指以外の指を立てると指先から基本の四属性である火、水、土、風を器用に発生させた。
「魔法の基本となる四属性である火、水、土、風です。派生した属性であれば熱、氷、雷、岩。特殊属性だと光、闇、無、空間も扱えます。黎人の得意な属性は風ですが、飲み込みが早い彼ならば私みたいに多属性を自由自在に扱えるようになるでしょう。どうか私に黎人を指導させて貰えないでしょうか」
(多分、他の属性も扱えるんじゃないかな……)
派生属性は他に木、毒、腐食、時等があったが、マイナーなので省いたのだろう。それでも数が数なので、魔法を一切使えない平民にはとんでもない人物という印象を植え付けられる。
両親は顔を合わせて、何度か瞬きしてから振り返った。
「す、凄い……華蓮先生は宮廷魔道士以上の実力をお持ちではないのですか?」
「国に仕えるのは性に合わず、個人で活動してる魔法士なのでどうでしょう。ただまぁ、そこら辺の魔法士に負けるつもりはありませんよ」
「こんなに素晴らしい先生と出逢えたなんて、運命の巡り合わせじゃないか。良かったな、黎人」
(そうだな、お前が簡単に乗せられる奴で助かったよ)
まんまと乗せられているとも露知らず、父親が大層ご満悦の笑みを浮かべた。息子の将来に安心する良き父親を演じながら、内心では今頃お祭りムードだ。
母親も父親の言葉に相槌を打ち、了承を得られるという確信がある。華蓮も確信を抱き、要求を述べた。
「黎人の指導を引き受けても宜しいのですね?」
「はい、うちの息子を宜しくお願いします。立派な魔法士に育ててやって下さい」
「春休みが終わるまで黎人の身を預かり集中的に鍛えたいのですが、外泊の許可もお願いできませんか?」
「もちろんもちろん、ただ無茶だけはさせないで下さい。こいつもまだ子供ですので……」
「ええ、勿論です。身体を壊したら元も子もないですからね」
華蓮がお茶を口に付け、俺もお茶請けで用意されたお茶菓子の包装紙を開けてクッキーを食べる。バター風味の甘いクッキーで、お茶と合う丁度いい甘さだ。
これで俺と華蓮の目的は達成したが、お暇しようにもタイミングが悪い。少しばかり雑談を交えるとして、話題に挙がるのはやはり俺についてだった。父親は腕を組んで雑談の不参加を表明し、華蓮と母親が興じる。
「華蓮先生は何故、黎人を選んだのですか?」
「才能と伸び代より、重要なのは関係だと考えています。少しでも猜疑心があると思考に歯止めが掛かり、習熟度が低下してしまいます。黎人とは互いに信頼できる関係を築き、私の教えを効率よく吸収してくれる見込みがありましたので、私自ら声を掛けたのです」
「あら、そうだったのですか。てっきり黎人から頼み込んだのかと」
「以前、受け持っていた生徒は向こうから頼み込んできましたね。上からの要請もあったので、仕方なく引き受けました。ですが今回は私の意向です」
(前の生徒? 弟子を取るのは初めてだと言っていたが、魔法の先生として生徒を持つのは初めてではない? 上からの要請って、華蓮さんを動かせるのは誰だ……)
仙人として弟子を持つのは初めてだが、魔法の先生として生徒を持つのは初めてではない。華蓮の口振りから不本意ながらに引き受けたのは明確で、本音は断りたかったのだろう。
上からの要請となると思い浮かぶ人物はイアぐらいだが、イアは絶対的に中立だ。生徒の指導を強要するとは考えられず、別の何者か。消去法で女神となり、これなら華蓮が断れないのも道理である。
二人が十数分ほど話し込んだところで、華蓮が切り上げた。
「すみませんが黎人の指導に時間を費やしたいので、着替えだけ持たせてくれませんか? 私の空間倉庫に入れます」
「空間倉庫までお持ちとは……黎人、華蓮先生を部屋に案内しなさい」
「はいはい」
華蓮を自室に連れて行くと、華蓮が箪笥の前で空間を割いた。詠唱と魔法陣も無しなので、仙術の類だ。
口を開けた異空間に衣類を放り込みながら、華蓮には父親がどう映ったのか気になったので尋ねてみる。
「華蓮さんにはあいつがどう視えました?」
「自身の息子だろうと、他者を利用して楽に生きたい人物なのは明白ね。冒険者ランクはBからC、中堅と呼ばれるくらいの実力はあるみたい」
(BからCランクっていうと、サラリーマンの平均年収より若干下くらいか。元の世界とあんまり変わらないんだな)
大和総合冒険者組合のサイトには冒険者ランク毎の平均収入が記載されており、Aランクになるとサラリーマンの平均年収と並び、BからCランクはそれ以下だ。Sランク、SSランクになると知名度を利用した企業の専属モデル等も兼業し、収入の伸び幅は個人で異なる。
中には宝箱から出た装備、財宝で一攫千金を得た豪運の持ち主も居るので、ランクに左右されず個人によって収入の差が激しい職業という見方が正解だ。
「暫く修行に励めるけど、春休みは何時までかしら?」
「春休みは四月四日まで、四月五日が入学式ですね。それから二日間の休みを挟んで、本格的に始まるのは四月八日からです」
「それなら四月四日まで本格的に修行をやりましょう。入学式までには氣の練り上げと放出を習得してもらって、門は第三門まで開けたいわね」
「既にスケジュールが決まっているのなら、それに従いますよ。着替えはこれくらいでいいと思うので、行きましょう」
着替えの用意が終わったので玄関に行くと、両親が見送りに来た。二人は華蓮と目を合わせて、真剣な面持ちで言葉を発する。
「黎人は春から千葉魔法高校に通いますが、これまで魔法とは無縁の生活を送ってきました。貴族様のお子さんに比べ、進級が厳しいのではないかと心配です。華蓮先生、どうか黎人が千葉魔法高校を卒業できるように宜しくお願いします」
「宜しくお願いします、華蓮先生」
「―――安心して下さい、黎人が千葉魔法高校を卒業できるように最善を尽くします」
胸中を打ち明けた二人が華蓮に深く頭を下げ、華蓮が最善を尽くすと確約して家を出た。
嘘偽りなく、二人の言葉は本物だろう。だがしかし、父親と母親の懸念は同一ではない。
父親は俺が千葉魔法高校を卒業し、給料が高い職業に就けるのかという懸念を抱き、母親は母親として子供の将来を心配し、ちゃんと千葉魔法高校を卒業して欲しいという願いからなのだ。
「それじゃ、俺は行くよ。入学式前日には帰ってくるから、それまで頑張ってくる」
「黎人、華蓮先生には迷惑を掛けるなよ」
「そうよ、華蓮先生の言うことはよく聞きなさい?」
「はいはい、わかってるって。じゃあいってきます」
「いってらっしゃい」
二人に見送られて、華蓮が待つ廊下に出た。
父親は心底どうでもいいが、母親は元の世界でも俺を想っていたのだと思うとひたすら情けなくなってくる。
今更後悔しても遅い、ただ前に進むしかない。せめてこっちの世界の母親には精一杯の恩返しをしようと、心に決めた。
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