王太子は辺境の地の太陽に焦がれる02

 数日前に王都からの使者が、辺境の地へ向けて旅立ったらしい。

 その話をカイルが聞いたのは、巨大熊討伐から数か月ほど時間が経ったころであった。


 王都に親戚のいる者が直接聞いたらしいその噂は信ぴょう性が高く、兵士たちは王都のお偉いさんがこんな場所に何の用だと首を傾げている。

 使者が乗った馬車にはゴールズワージー公爵家の紋章が刻印されていたらしいとは、その話を流した者の証言だ。


 それを聞き、カイルは間違いなく今回の用向きは己に関係のあることだと予感した。

 ゴールズワージー家と自分は、並々ならぬ繋がりがあったからだ。


 噂を聞いた日の午後、モリス辺境伯から己に「一人で執務室に来るように」と言いつけがあり、予感は確信に変わる。

 訓練が終わり汗を流したあと、カイルは辺境伯の屋敷に向かった。幾度も招かれているため勝手知ったる廊下を渡り、たどり着いた執務室のドアをノックする。

 「どうぞ」と言う返事はすぐに返ってきた。カイルは「失礼します」と声をかけ、ゆっくりと入室する。


 執務室のデスクの前で、大柄で独特の威圧感を持つ男が窓から外を眺めながら己を待っていた。


 若い日よりも白髪が混じりくすんでいるが、今もなおその勇猛の印とばかりに輝く橙の髪とあごひげ。

 衰えることのないがっしりとした筋肉は、礼服を着ていても存在感を隠し切れておらず、見るものを圧倒する。

 顔立ちは熊か虎か。野生動物を彷彿とさせる眼光を持ち、額に残る十字の傷に、敵は恐れをなすだろう。


 それがシャノン・モリッシの父親にしてモリス辺境伯、アルバート・モリッシと言う男だった。


「来たか、カイル殿下。訓練で疲れているだろうに、わざわざすまない」

「いいえ。親愛なる辺境伯の御用ですので」


 くるりとこちらを振り返った辺境伯の顔には、僅かな疲れと苛立ちが見える。

 珍しくその口から小さなため息が漏れたことに気が付き、カイルが目を見開くとアルバートは静かな声で訊ねて来た。


「カイル殿下、王都からの使者がすでにこちらへ向けてたった件はもう聞いているか?」

「ええ。先ほど仲間たちから噂を聞きました。ゴールズワージー家の馬車が王都をたったとか」


 僅かな緊張を滲ませながらも頷けば、アルバートはふさふさのあごひげを撫でながら眉間にしわを寄せる。


「使者が行くから準備しておくようにと言う手紙を受け取ったのは今朝だ。こちらに拒否権はないとまで書いてあった」


 吐き捨てるような声で言う辺境伯に、なるほどそれで機嫌が悪かったのかとカイルは納得した。

 一流の戦士であり礼節を重んじるアルバートは、相手の対応に不満を持っているのだろう。


 確かに一応の連絡はあったとはいえ、既に相手は王都をたっているわけだから、断るにも断り切れない。

 こちらの都合を全く考えていないゴールズワージー家の行動は、アルバートでなくとも憤慨するだろう。


「貴殿の件で今王都はごたついていると聞く。ゴールズワージー家の使者が来るのはそのためだろう」

「……王の使者、ではなくゴールズワージー家の使者、なのですか?」

「そうだ。案外、王の許可は取っていないのかもな」


 ふん、と鼻を鳴らしながら、辺境伯は言った。

 貴族が私用で国内を移動するのには王の許可などいらない。せいぜい違う領地に向かうときには、そこを納める領主に挨拶の手紙を送るというのが礼儀とされている程度だ。


 しかし今回のゴールズワージー家の訪問は、明らかにカイルの件が関わっていると匂わせている。

 父である国王に一言告げていたほうが、後々の面倒ごとは避けられそうなものだ。


 ───……もしや、王には勘づかれたくない厄介な要件を持ってこのモリスへ来るつもりか。 

 己と同じようにそう考えたのだろう、辺境伯は眉間に出来た深いしわを指で揉みながら低い声でぼやいた。


「まったく、面倒な。公爵は何を考えてやがる」

「申し訳ございません」

「カイル殿下のせいじゃない」


 首を横に振ってカイルを見たアルバートは、ふと表情を柔らかくして口を開く。


「なあ、殿下。もう王都など捨てたらどうだ。娘も君を気に入っている。貴殿は勇敢で剣技も優れているし、何ならあの子の婿となってくれても……」

「辺境伯」


 辺境伯の目を見つめ、カイルはきっぱりとした声でその言葉を遮った。

 真剣な己の様子にアルバートは瞬き、そして吐息を漏らして「すまない」と言った。先ほどの言葉の続きが出てくることは無かった。

 

 数日後には使者がやって来るから、その時は王太子にも同席して欲しいと手紙には書いてあった。

 そのことを告げられ、了承したのち、カイルは執務室を出た。


 憂鬱な気持ちで辺境伯の屋敷を後にする。

 これからの訓練は身が入らなそうだと肩を竦めていると、ふいに真夏の太陽を思わせる鮮やかな女性がこちらへと駆け寄ってきた。


「カイル、お父様に呼ばれていたのね!」

「シャノンか……」


 太陽の如く存在感を持つ令嬢、シャノン・モリッシはカイルへ向けて輝かんばかりの笑顔を向ける。

 それを見て僅かに心が軽くなった。自然に持ち上がる口元を隠さずに、カイルは彼女へ歩み寄る。


「聞いたわ。王都からの使者がやって来るのでしょう。あまりにも突然なことだから、皆驚いているみたいよ」

「ああ、先ほど辺境伯からも伝えられた。どうやら俺に用があるらしい。彼らを出迎える時は同席して欲しいと言われたよ」


 シャノンと連れ立って、屋敷の敷地を抜けて訓練所へ向かう道を歩き出す。

 季節は夏が近づいてきたとき特有の気温の高い時期だ。やや汗ばんでしまうことが難点だが、この娘の笑顔は太陽の下で見ていたい。


 彼女の様子に目を細めながら王都の使者についての話をあれこれと語り合っていたが、やがてシャノンはふと真顔になって、ぽつりとカイルに訊ねる。


「ねえ、ゴールドワージー家と言うのは、貴方の叔父様で公爵様でしょう。確か、彼のご息女は……」

「ああ、ホリィ・ゴールドワージー嬢は俺の元婚約者だった」


 あまり感情のこもらない声でそう告げると、シャノンは僅かに目を見開きそして表情を暗くする。


「……元ってことは、今は」

「ああ、婚約は解消されたんだ。俺が王都を出るほんの少し前にな」

「どうして……?」


 静かに漏れたその声は、こちらに問うものというよりも独り言のようであった。

 しかしカイルは彼女へと苦い笑みを向けると、やはり感情のこもらない声で答える。


「俺が他の女性にうつつを抜かして婚約者をないがしろにし、あまつさえ彼女に難癖をつけて婚約破棄を言い渡したからだよ」


 言って、カイルは顔を逸らす。シャノンが息を呑んだ気配がした。

 その顔を見る勇気はとてもなかった。

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