第72話 さらわれた一条優

 男装ボクっ娘とは言え、いつまでも一条をかついでいるのも何なので、大人しくなったのを確認して下ろす。


「女の非力さを理解したなら、大人しく――」

 大真面目に説得する明翔の言葉を聞きもせず、一条が突然走ってサンダルに足を突っ込み玄関ドアを開けた。


「え?!」

「おい! 優!」


 何ひとりで出てってんの?! 自分が狙われてるってのに!


 慌てて靴を履いて俺たちもドアを開け外に出る。

 一条はもう階段を下りて道路へと出ていた。


「優!」

 明翔の意外なほどの大声に、一条がこちらを見上げて走りながら振り向く。


「ボクは女じゃない! この制服が見えないのか!」


 何言ってんだ、一条?!

 わけが分からないまま一条を見ていたら、どうにも見覚えのあるふたり乗りした黒いバイクが猛スピードでこちらへ走っているのが視界に入った。


「明翔、ヤバい!」

 どこででも見るような本当に特徴のないバイク、ライダーながら、このタイミングでは危機としか思えない。


 とっさに滑るように階段を下りる俺に続いて何?! と言いながらも明翔も下りてくる。

 このアパートの階段は途中で折れ曲がり方向が変わる。前半は階段を下りながら道路側が見えない。小さな踊り場で方向転換をすると、道路の様子が見えた。


「一条!」


 バイクが横倒しに路上に放り出され、フルフェイスのヘルメットをかぶった黒づくめの男ふたりが黒い車の後部座席のスライドドアを閉めていた。ガラスが黒くて見えないが、たぶん、あの中に一条が……。


 必死で駆け寄るも、車は走り去って行き、黒づくめの男ふたりは転がってたバイクを素早く起こしてまたがり、ブオンと猛発進を見せる。


「優!」


 いつもの明翔の声じゃない、高くかすれるほどの絶叫が響く。でも、きっと、一条には聞こえていない……。


 心臓の鼓動がヤバい。

 どうしよう。一条がさらわれた。目の前で……。


「……制服だったな。黒の……」

「……え……? あ、そうだな……」


 黒づくめの服。そうだ、思い返してみると、きっと黒い詰め襟の制服だ。このクソ暑い中。


「わざわざ制服を着てるってことは、あいつらが優を連れてくのは……」

「あいつらの学校。山手男子高か」


 明翔とうなずき合う。

 どの方向に山手男子高があるのかも分かっていないのに走り出そうとした俺のスマホが鳴った。


「颯太! 山手男子高ってどこにある?! ……うん、やられた……分かった。うん、じゃあ山手男子高で!」

「どっち?!」

「イオンの近くだって! お、チャリ!」


 俺が電話してる間に明翔が駐輪場から自転車を取って来ていた。俺が漕ぎ手となり、明翔を後ろに乗せて爆走する。

 イオンまでは普通に漕げば30分はかかるが、15分もしないうちに近隣に着いたくらい交通ルールを無視した。


「あ! 看板!」

 明翔が後ろから俺の背中をトントン叩いて電柱の看板を指差す。山手男子高等学校 この先→と矢印がありがたい。


 表示に従って道を曲がり、猛ダッシュで漕いでるとすぐに学校らしき建物が見えた。

 門の前で自転車を降りる。山手男子高等学校と、しっかりと刻まれている。

「開いてんな……勝手に入るか」

「うん」


 よその学校、それも男子校に勝手に入るのはちょっと躊躇するけど、一条のことを考えたらそうも言ってられない。勝手に門を通り抜け右と左に校舎が分かれているうちの右の校舎へと入る。


「そういや、柳のケガ何か言ってた? 颯太」

「やっぱり折れてたって。でももう痛みはないって」

「そっか」

「颯太もすぐ行くって言ってたから、じきに来ると思う」

「颯太がいると心強いな」

「それな」


 こんな他校に乗り込むようなマネをしているが、俺も明翔もまともなケンカなどしたことがない。山高生からしたらケンカ売りに来たと思われるだろう。俺たちはただ一条を返してほしいだけなんだが。


「今日始業式だもんな。誰もいねえ」

「優……」


 普段はいがみ合ってばかりだけど、明翔が不安そうだ。俺も見てるだけで胸が痛い。一条が男になりたがってることは知ってるんだから、もっと冷静に言い聞かせれば良かった。


「……あ! 深月! こっち!」

 明翔が何かを見付けたように走り出した。この学校は鍵をかけないのか、バシンと荒っぽくドアを開けて入って行く。


「書道室?」

「あったあった。やってくれ! 深月!」


 明翔が机の引き出しを開けたり閉めたりしてると思ったらひとつの机にハサミと墨汁を置いて、まるで美容院のケープのようにカーテンを肩に掛けた。


「やってくれって、お前……」

「髪型が同じなら、かく乱できるかもしれない。優くらいバッサリいってくれ」


 一条は男でも引くほど高校生にしては短髪だ。明翔は反対に男にしては長め。

「いいのか? 髪はすぐには伸びねえぞ」

「いい。早く!」


 きっぱり言い切る。明翔がそう言うなら……人の髪を切るなんて俺も緊張するんだけど。思い切ってハサミを入れていった。

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