第52話 別れの理由

 4時間目は浪川千殺人先生による国語の授業だ。よく通る声にハキハキとした話し方、説明も分かりやすくて教師に向いてそう。


 佐藤颯太の後ろ姿を見ると、いつになく背筋を伸ばしてシャキッと座っている。

 やっぱり、いまだにちーちゃんのこと好きなのかな、颯太。


 チャイムが鳴り授業が終わると、はい! と高崎明翔と一条優がそろって手を挙げた。

「先生! 一緒にお昼ごはんを食べましょう!」

「天気もいいし、中庭でも行きませんか、先生!」


「え! ほんと?! わー、教育実習って感じー。超実感ー」

 スーツ着てるし大人になったなって印象だったけど、ノリの良さは変わってないな。

 思いのほか笑顔で俺たちと一緒に中庭に出て来てくれた。


「先生、お弁当なんだ?」

「へえー、家庭的でいいですね」


 普段はいがみ合ういとこ同士が、先生が颯太の兄・芳樹くんに別れを告げた理由を探るべくタッグを組んでいる。ずっと仲良くしててくれ、ふたりとも。


「でも私、お料理とかできないから全部冷凍食品なんだけどおー」

 と言いながら開けたお弁当の中は、冷凍食品だ何だ言う前にどのように持ち運んだのかはなはだ疑問なくらいにぐっちゃぐちゃになっていた。

「やっべー、バイク飛ばし過ぎたか」


 ちーちゃん、中学生の時からバイクに憧れてたけど、今もガンガンかっ飛ばしてんだな。

「ちーちゃん……」

 颯太も同じことを思ったのか、浪川先生を見つめながら声が漏れた。

「え?」

 先生が驚いて颯太を見る。じーっと颯太の顔を見つめ続けた。


「あ! もしかして、颯ちゃん?!」

「ピーンポーン!」

「大当たり~!」


 気付いた浪川先生に明翔と一条が大きな拍手を送る。

「ずいぶんかわいい男の子がいるなあとは思ってたの。でも、なんか、その、なんて言うか……印象が違ったから」


 ちーちゃんが颯太の家によく来ていた時は、俺たちは小学生で颯太はバリバリのヤンキースタイルだった。颯太がかわいいに全振りした中学入学の頃には大学受験に忙しく、無事に合格してひとり暮らしを始めたちーちゃんちに芳樹くんが行くようになってこの数年はまた会えていなかった。


「あ! てことは、もしかしてろっくん?!」

 と俺を指差してうれしそうに笑う。

「うーわ、懐かし! そんな呼び方すんのちーちゃんだけだわ」

 ちーちゃんは誰にでも名前にちなんだ超適当なあだ名を付けて呼んでいたのを思い出す。


「時に先生。どうして佐藤くんのお兄さんを振ったんですか? その理由をお聞かせ願いたい」

「え?!」


 単刀直入すぎる柳の質問に、ちーちゃんが目を丸くする。そして、すぐにその目を伏せた。

「それは……言いたくないわ」

「どうして?」

「颯ちゃん、よっくんは何か言ってたの?」

「ううん、全然教えてくれない」

「……そう」


 ちっ、と不服そうに舌打ちをする。教師が生徒の前で舌打ちすんじゃない。


「先生! 佐藤くんは先生のことが好きなんですよ! 教師になろうという人が生徒の気持ちをないがしろにする気ですか! それでもあなたは教育実習生ですか!」

「えっ……そうなの? 颯ちゃん」

 颯太が真剣な表情で無言でうつむく。


 てか、柳が颯太の気持ちを言っちゃうなよ。やっぱりズレとるわ、あいつ。

 なんで教育実習生だからって生徒の兄と別れた理由を言うのが当然みたいになってんだよ。


「そうですよ! 颯太は生涯愛する女はひとりだけと決めてるような男なんですよ! そのひとりに颯太はあなたを選ぼうとしてるんだから、誠意ってものを見せてくれないと!」

「そうだそうだ! ボクたちのかわいいマスコットを泣かせる気ですか! イケメンを泣かせる女なんぞBLの世界にはいらない!」


 なんでこのいとこ同士までちーちゃんを責めてんだよ! これ収拾つかないぞ!

「颯太! お前の口からはっきり言え!」

 颯太の背中を文字通り押した。覚悟を決めたのか、颯太が顔を上げてちーちゃんを見る。


「ちーちゃん、俺ちーちゃんのことが」

「やめて! 言わないで、颯ちゃん!」

「え……なんで」


 颯太が明らかに傷付いている。ひでーな、ちーちゃん。聞くくらい聞いてくれたっていいのに。


「ごめんなさい、私、颯ちゃんとどうこうは考えられないの」

「なんでだよ! 颯太の兄貴とは別れてんだから、颯太をひとりの男として見てやってもいいだろ!」

 明翔が今度は怒りだしてしまった。本当に感情の起伏が大きいんだから。


「だって、見ても無理なの。分かった、別れた理由を話すわ。実は、よっくん……」

 みんな固唾をのんで、ちーちゃんの次の言葉を待つ。


「バカスカ浮気してたの。私が信じ切ってるのをいいことに、私の友達とも何人も……よっくんの弟なんて、どうせ同じように惚れっぽくて色んな女何人でも好きになるんだわって思えちゃって、無理」


 ……あ、あー……それは、芳樹くんが悪いな。

 誰も言葉を発せず、シーンと静寂が訪れる。打ち破ったのは、やはり明翔だった。

「そりゃー無理だな。ごめん、先生。さっき俺が言ったことは忘れて。イヤなこと思い出させちゃって申し訳ないです」

「いいの。もう終わったことだから」

 健気にちーちゃんが笑う。こんなかわいい彼女がいながら浮気とか……。


「浮気とか最低」

「最悪」

「クズ」


 颯太が浮気をしたわけではないが、みんな颯太に怒りをぶつけている。それを颯太も甘んじて受け入れている。

「……おう。まさか、自分の兄貴がそんな浮気野郎だったなんて」

「言っちゃあ悪いが颯太、お前にもその素質があるからな。これまで通り、颯太は一生涯にひとりだけを愛するんだと誓え」

「おう! 俺が愛する女はこの生涯にひとりだけだ!」

「その意気だ、颯太!」


「颯ちゃんなら、きっといい人と出会えるわ」

「うん。ありがとう、ちーちゃん」


 笑い合うふたりを見て、やっと、颯太の長かった初恋が終わったんだな、と思った。

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