第1話 私の名前は――
目覚めた私に、ドロテアの涙腺は崩壊した。
もともと泣きじゃくっていたはずなのだが、まだ泣けるのかという勢いで泣いた。
泣きじゃくる実子に対してどうかと思うのだが、混乱している頭では娘を慰めることもできない。
どう言ってやるのが正解なのか、その判断をするための材料が足り無すぎたのだ。
結果として、ドロテアのことは家令に任せた。
部屋へ連れて行き、落ち着かせるように、と。
もともと私はドロテアの教育には無関心で、すべてを使用人任せにしていた。
そのため、家令も『この命令には』疑問をもたなかった。
娘のドロテアも、自分が私に愛されていないという自覚はあったので、悲しそうな顔をしてはいたが、素直に従う。
お母さまのお休みを邪魔してはいけません、としゅんとしおれた花のような顔をして。
……思わずギュッと抱きしめたね、悪いか。
可愛い幼女が、自分も混乱しているだろうに、
愛しく思って何が悪い。
むしろ今の私はドロテアの実母だ。
合法的に美幼女を抱きしめられるのだから、抱きしめないはずがない。
落ち着いたらお話をしましょう、と言って抱きしめたら、ドロテアは固まっていた。
無理もない。
今日までの私はまともにドロテアと向き合ってこなかったし、抱きしめたことなどほとんどなかった。
そんな
その証拠に、娘を抱きしめる私を見て家令と侍女は目を白黒とさせていた。
ドロテアの額にキスをして放すと、ドロテアは父親似の美しい顔を歪めて奇妙な顔になる。
以前の私であれは「愛しい夫似の顔を崩すな」「醜い顔をするな」と叱っていたが、これはあれだ。
子どもの照れ笑いだ。
頬が自然に緩みそうになっているのを、無理矢理抑えるから『歪む』のだ。
『子ども』というものを知っていれば、とてもではないが『醜い』だなんて感想は出てこない。
喜びを無理に抑える必要は無い、とそっとドロテアの両頬を包んで揉み解す。
再び泣きそうな顔をしたドロテアは、慌てて部屋から飛び出していった。
「……
「お嬢様……っ」
「あら、『お嬢様』だなんて歳ではなくてよ、ロベルト。七つになる可愛い娘がいるぐらいだもの」
貴方にも苦労をかけたわね、と家令のロベルトに向かって微笑む。
それだけで感極まったのか、ロベルトが息をのむのが判った。
「もう少し休みます。私はこれからまた眠るけど……その間に寝室の模様替えをお願い。私の目が覚めるまでに、壁に飾った物をすべて処分しておいて」
「お嬢様……それでは……」
「お願いね、ロベルト」
「はい。確かに承りました」
それでは良い夢を、と言ってロベルトと侍女が天蓋の幕を引く。
薄暗くなった周囲にホッと息を吐いて目を閉じると、ロベルトたちが足取り軽く寝室から飛び出していく音が聞こえた。
……ええっと?
目を閉じて、一人になって考える。
服毒自殺などしたせいで、体調が思わしくない。
胸にしがみ付いていたドロテアは退いたが、全身が気だるい。
先ほどは自分が母親である、という矜持と、使用人たちの手前、何事もなく振舞ってはいたが、身体を起こしているのも限界である。
ボフっと柔らかなクッションに身体を沈め、まずは状況を整理してみることにした。
何もかもが突然のことすぎて、今のままでは頭が上手く働いてくれないのだ。
……私の名前は――
ベルナデッタ。
……違う。私の名前は
なんの変哲も無い、極普通のOLだ。
OLだったはずなのだが――
――わたくしの名は、ベルナデッタ。
そう、自覚している自分もいた。
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