第72話

ヨナは、古アパートの手すりのように冷たくなったレトの肩を温めた。効果は薄く、元通りに温めるには時間がかかる。肩越しに伝わる息使いには確認するまでもない、強い疲労の色が現れていた。


「さあレト。つらいかもしれないが」


「ええ」


レトを立たせてその場を後にする。奇跡的に安全が保たれていた場所は、すぐに見えなくなってしまった。


「はぁ。はぁ・・・ヨナ?あなた・・・知っている?」


「何をだ?」


「生き物は死ぬ直前、脳からドーパミンっていうホルモンを分泌するの、ドーパミンはね別名快楽かいらくぶっしつとも言って・・・・美味しい、食べ物。例えば、ああ、果物や甘いケーキ・・・うふふ、ハンバーガーやキャンディ。そういうものをお腹いっぱい食べた時にもたくさん出るのよ。だから、今の私を食べたらきっとものすごく美味しいわ」


「ドーパミン?君を食べる?わるいが、理解できない」


「わたしはあなたを食べたいわ。ヨナ」


「・・・」


ヨナが返事を怠ったのは、ふと、ある疑問が彼の脳裏をよぎったからであった。その疑問とは、自分が名誉評議で殺害して来た多くのブルーカラー達の事だ。レトのいう事が仮に本当ならば彼等は死ぬ間際に分泌されたドーパミンによって幸福に包まれたまま死んでいったのだろうか?と、いうものだった。しかし、そんな疑問も一瞬にして消し飛ぶこととなる。


「レト!!」

「・・・ッ!!」


悲鳴や地鳴りのような足音さえもかき消して、轟音と共にもやの中から突如現れた巨大な物体が二人のすぐ近くを通過した。マーケットの対価を満載した箱や売れ残り、もしかしたらブルーカラー達のむくろ(死体)もあったかも知れない、そんな事を意に介さず、物体はクルードのいたるところから、たとえば、着色前の布の山、回収されたスクラップの隙間、噴水のそばの割れたタイルの下から、当の昔に機能を停止して斜めに傾いた掲示板の制御室から、メガジュークの音源誘導装置から、倒壊した建物のがれきの中から次々と現れて、人類の栄華の先に築き上げられた文明を蹂躙した。


「レト!?無事か?」

「ええ・・・ええ、大丈夫、大丈夫よヨナ」

「あんなものまで・・・一体」

「あれはね、わたし達の決戦兵器」

「君たちの、決戦兵器?」

「ええ。あれは・・・ベースメンター・・・!」

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