第38話 扉の先に……(最終話:前編)
髪に掛かるベール、華やかなメイク、あの日見たオーロラホワイトのウェディングドレス。
まさか、本当に着る日が来るなんて……鏡に映る自分が、まだ少し信じられない。
「やっぱりはるちゃんは美人さんだね、ドキドキしちゃう」
「もう……あんまり言わないで。恥ずかしいから」
タマは、小さな猫のぬいぐるみになって戻ってきてくれた。
「はるちゃん、おめでとう。これからもよろしくね」
「タマありがとう。こちらこそよろしくね」
「失礼致します」
これからもタマといられる幸せを感じていると、外からプランナーさんの声。
「佐原様と笹」
「ハルちゃん!! 」
「ちょっと夢瑠、走ったら危ないでしょ。高いヒール履いてるんだから」
プランナーさんの声より賑やかな夢瑠の声、駆けてくる姿も変わっていなくて、ほっとする。
「ハルちゃん、とっても綺麗よ。ドレスもキラキラでプリンセスみたい」
「うん、これは見惚れちゃうわ……和樹さん見たら驚くんじゃない? 」
「兄貴に」「和に」
『ドレスの良さなんかわかんないって』
「なに二人してハモってんの」
静かだった控室に、笑いが生まれる。
どんな時も3人でいれば、こうして笑い合っていつもの自分を取り戻せる。
夢瑠と樹梨亜がいてくれたから……私は私のまま、乗り越えることができたんだと思う。
「樹梨亜、夢瑠、今日はよろしくお願いします」
「改まらないでよ、お互い様でしょ」
「夢瑠は樹梨ちゃんのお姫様姿も見たかったなぁ~」
「嫌だって、ロイドと結婚式なんて恥ずかしくて誰もやんないよ」
「でも最近は増えてるみたい」
「それは、家族の為とか体裁とか色々あるからでしょ、さぁ夢瑠、時間ないから行くよ」
「は~い、じゃあ、タマ預かるね」
「ありがとう、お願いします」
嵐のように去っていく樹梨亜と夢瑠を見送って、また静かになる控室。
きっと樹梨亜は、まだ心配してる……この結婚を。
気持ちをはかるような視線が、ありがたくもあり、申し訳ない気もする。
「遅いですね、様子を見てまいります」
今度はプランナーさんが出ていく。
機械的な話し方、無駄のない優雅な所作、凛とした空気感……担当してくれるプランナーさんはどことなく水野さんに似て見える。
寂しいからかもしれない。
突然訪れた試練。側にいて、一番助けてくれた二人がもういない。“喜ばしい旅立ち”そう言われても拭いきれない寂しさと不安が、まだ残っている。
あの日、私はスタッフルームに水野さんを閉じ込めた……しっかりと鍵をかけて。
「まさかあなたに閉じ込められる日が来るとは。立場が逆転しましたね」
「冗談言ってる場合じゃありません! 辞めるってどういう事ですか」
怒る私に、水野さんはどこか楽しげで。
「あなたが今朝聞いた通りです」
「何で、何でもっと早く教えてくれなかったんですか? 」
「教えてどうなるのです」
飄々とした態度、何でこんなに腹が立つのかわからない。教える筋合いなどないと思われているのかもしれない……でも。
「まさか……あなたがここに残ると思っていませんでしたから。唯一の誤算です」
「それは……」
「私がいなくなったからと言って揺らぐような覚悟ではないでしょう? 」
「それはそうですけど……私にはまだ水野さんが必要なんです、辞めないでください」
生活の為、出来ないまま辞めたくないから、理由はたくさんあるけれど、水野さんとこの仕事に興味がある……それが理由だったのに。
哀しくて寂しい白い部屋。
「あなたはもう大丈夫です、仕事も……他の事もちゃんとやっていけます。私も、ここでの役割は全て終え、後継者も育てました。予想外でしたがあなたなら他の誰よりもお客様の想いを汲み取ってくれる……素晴らしい担当者になるでしょう。忙しくなりますが、私のお客様のフォロー、よろしくお願いします」
頭を下げられてやっと気づいた。
誤算なんかじゃない……最初から辞めるつもりで全てを教え込んで、樹梨亜の担当まで割り振ったんだと。
「でも……」
「必要なら、まためぐり逢うはずです」
揺らぐことはない、きっぱりとした口調。
「まさか、何かあったんですか。内藤さんの次は水野さんまでなんて」
「あなたが心配するような事はありません。確かに多少の無茶はしましたが、バレるようなヘマはしませんよ、私達を誰だと思っているのです」
核心をつこうとした、それでも冗談めいた口調で、ごまかされてしまった。
「内藤も私も自分の為です。あなたがここに残るのと同じように」
「自分の為……」
「内藤は好きでここにいた訳ではありません。優秀であるが故に目をつけられ、秘密を知り過ぎた為に、離れられなくなりました。組織もなくなり世の中が変わり、今やっと離れられたのです。これからは遠い土地で、きっと夢を叶えるでしょう」
「夢……」
「これは喜ばしい旅立ちです。祝福してくれても良いのでは? 」
あの治療の後、お礼を言いに行った時にはもう、内藤さんはいなくなっていた。
猫のぬいぐるみ──新しくなったタマだけを部屋に残して。
「お礼も言えませんでした。たくさん助けてもらったのに、いきなりいなくなっちゃうなんて……」
「内藤は、あなたに別れを言えるほど強くありません。お礼を言われたくてやったことでもないでしょう」
怪しい組織の捜査員、でも私には一度も危害を加えたりしなかった。
守って……くれた。
水野さんと一緒に。
「水野さんは……どうするんですか」
このままだと、はぐらかされてしまう。逃さないようじっと見つめる。
「もう疲れました。田舎へ帰って静かな余生を送るつもりです」
「余生って、まだそんな歳じゃ」
「45です」
「45!? ちょっと……冗談ですよね」
「幼い頃の海斗を知っているのです。当然でしょう」
「でもそんなわけ……どう見たって30代」
「驚いて頂きどうも。そういうあなたは老けましたね」
「は!? 」
「髪も肌もパサパサで、ちらほら白髪が覗いています。眼の下のクマも目立ちますし甘く見ても実年齢プラス5歳……」
「うそ、プラス5歳……って私の事はどうでもいいんですよ」
「よくありません。油断してると愛想を尽かされますよ。海斗はもうロイドではないのですから」
さらり身を翻した水野さんは、もうドアノブに手をかけていて……結局それが、最後の会話になってしまった。
見た目や年齢の話なんてどうだってよかった。もっと大事な話がたくさんあったのに、結局ありがとうさえ……言えないまま。
「失礼致します」
だからついこの人が水野さんと重なってしまうのかもしれない。
「どうかされましたか? 」
「いえ……何でもありません」
“必要ならまためぐり逢うはず”
いつかまた会えたらその時には……伝えたい言葉は思い出と共に胸にしまう。
「そろそろお時間です。参りましょうか」
「はい」
もうすぐ、私達の式が始まる。
控室を出て、エレベーターへ向かう道のりが長く感じる。
「父は……」
「お母様がなだめてくださっていますが……間に合うといいですね」
「はい……」
歩く先、エレベーターの辺りに見える人影はお父さんより華奢。
「兄貴!! どうしたの? 」
「いや、そのちょっとまずいかも……」
「まずいってどういうこと? 」
「父さんがボロボロで、ヴァージンロードなんてあれじゃ、とても無理だ」
昨夜、連絡した時も既にボロボロだった。この結婚を誰より喜んで、誰より心配して、誰よりも……寂しがってくれた人。
気持ちを思うと私まで涙が……。
「遥、いいな、お前まで泣くなよ」
「わ、わかってるって」
最後までハプニングだらけの私達。急遽、一人でヴァージンロードを歩く事になった。
「緊張しますか」
「はい、転んだりしないか心配で」
エレベーターで空に昇る。まさか、一人で歩く事になるなんて思わなかった。
「大丈夫ですよ、数歩歩けば新郎様がいらっしゃいます」
「はい、数歩ですよね、頑張ります」
たった数歩に気負い過ぎたのかプランナーさんがふっと笑う。
「この方が……お二人らしいかもしれませんね」
言葉の意味を尋ねようとした時、エレベーターが止まった。
私達が決めた式場は空に浮かぶ天空の庭園。真っ青な空を裂くように続くのは、雲のように真っ白な一本の道。
「どうぞ、この道を真っ直ぐお進みください。ゆっくり歩けば、ちょうど新郎様に出会えるはずです」
なぜか、その声が水野さんに重なる。
あの人に背中を押されたような気持ちで私は一歩、前へと踏み出す。
ここまで長い道のりだった。
街に帰ってきてからは特に……この先ずっと一人なんじゃないか、常にそんな不安がつきまとっていた。
一歩、また一歩と進む度、蘇ってくる一人の日々。これからずっと一緒だと、安心した途端に来た……辛い時間だった。
どれだけ泣いたかわからない。
「遥」
「海斗」
でも、乗り越えられた。
青空の中、目の前にはかけがえのない大切な人。
「お待たせ」
「こっちこそ……長い間、一人にしてごめん」
微笑みを交わし、そっと腕を組む。
温もりが優しく伝わってきて不安も緊張も、安らぎへと変えてくれる。
「行こう、みんなが待ってる」
「うん」
真っ直ぐ続くヴァージンロードを、二人同じ歩幅で歩く。空に浮かぶ美しい庭園で優しい人達に囲まれて、今日、私達は夫婦になる。
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