第36話 手放す覚悟

 

 “家族で話そう”


 夜が明けて、伯父さんにそう誘われた私は病院の中庭に来ていた。草木が生い茂り自然に溢れた所、でも眩しい朝日が徹夜明けの眼に痛い。


「うまいなぁ……朝のコーヒーは」


 ベンチにどっかりと座り、悠々とコーヒーを飲む伯父さんの様子を見て、悪い話じゃないかもと不安を和らげてみる。


「眠れなかったか」

「はい……」

「まぁ……そうだろうな」


 一晩中、海斗のことが心配で眠れなかった。早く教えて欲しい私を焦らすように、伯父さんはまたコーヒーを口にする。


「伯父さん、海斗は……」

「窮地は脱した、という感じだな。とりあえずここでおしゃべりする暇ぐらいはある」

「よかった……」


 ストン……ざわつく心が落ちるよう。でも……どうしてあんな事に。


「原因は分かったんですか? 」

「まぁ……な」


 伯父さんは立ち上がると、黙って空を見上げる。その背中からは気持ちが読み取れない。


「小っちゃい空だな」


 あの島の大きな空と比べているのか、四角く切り取られたようなこの空を仰いで呟く。


「あいつは幸せ者だなぁ、みんなに心配して助けてもらって、遥まで側にいるんだから」

「内藤さんにも水野さんにも……色々と助けてもらいました」

「そうだな……遥、回りくどいのは苦手でな」

「はい……」

「はっきり言うが許してくれ」


 私に背を向けて空を見上げたまま、伯父さんは何を話そうとしているんだろう。


「悪いが……海斗の事は諦めてほしい」


 周りの音が一瞬、消えた。


「草野海斗の人生は12で終わったはずだった……そこから18年も生きたし、人生を懸ける恋もした。憐れな命ももう、充分報われたはずだ」


 うまく呼吸ができない……まるで溺れているみたい。


「何……言ってるんですか? さっき窮地は脱したって……なのに何で」

「あいつをパートナーロイドにするなら構わん。側に置きたいのならそうするといい。代わりにはなるだろう」

「どうして……そんな事……」


 雫が頬を伝う感覚、私の中にまだ涙が残っていたなんて。


「全てのものには寿命がある。海斗は複雑怪奇な造りのせいで通常のロイドより不安定で脆弱だ、直したところでどれだけ持つかわからん」

「そんな……お願いです、私何でもします! 何か方法があるはずです! 諦めないでください、海斗の身体はロイドなんですよね、だったら何か」

「そう言うと思ったよ」

「え? 」

「聞いたよ、必死で勉強したんだってな」


 俯いて無理やり涙を抑える……そう、私はずっと海斗を直す為に強くなろうとしてきたのに……全部、また海斗と笑い合う為だったのに。


「俺は、それが怖いんだ」


 風で、葉がざわめく。

 

「あいつも……英嗣もそうだった。その想いがエスカレートして無謀な改造につながり、英嗣自身を化け物に変えたんだ」

「それは……違うと思います、海斗を生かしたいだけなら記憶を消したり、操ったりする必要ないですよね……あの人は……結局、自分の利害や野望の為に海斗を利用して挙句の果てに……」


 殺そうとしたなんて……恐ろしくて言えない。


「水野もそう言っていた。最初から騙すつもりで自分の情に訴えたのだとな」


 言葉が止まった。


 空を見上げる瞳は暗い。


「伯父さん……お願いします、海斗を直してください、海斗といるって約束したんです……」


 なんでもいい。昔の事なんて……どうでもいいから海斗にもう一度、会わせて欲しい。


「英嗣も昔は海斗を愛していたんだ、事故で頭を打った……綺麗な亡骸の海斗をどうしても火葬することが出来なくて俺に泣きついてきたんだ。悲しいとも……悔しいとも言えない表情が今でも忘れられん」


 あの不気味な父親が海斗を……。


「最初はあいつも同じだったんだ、海斗を諦められない、そのためなら何でもする……ずっとそう言っていた。愛する人の忘れ形見をどうしても失えない……その心に動かされた俺は英嗣に協力して罪人になり、海斗が隠れロイドだと突き止めた水野も……俺達の罪を見逃したせいで殺される寸前まで傷めつけられた」


 なにも言えない私の反応を確かめるように、見ている。


「なぁ、遥」

「はい……」

「俺が情に流されて蘇らせた命で周りの人間の運命を、もう変えたくない。内藤も、水野は特に……俺達のことでずっと上を背いてきた、ここまでした事が発覚したら今度こそ命はない。海斗が生き続ける限り……誰かの運命が変わる」

「だから海斗を生かせない……そういうことですか? 」


 私の顔を見ないまま伯父さんは頷き、再び隣に座る。


「そしてそれは遥……お前も同じだ」

「私も……? 」

「遥……お前は英嗣のようにならない、そう言えるか」

「な、なんで私があの人のようになんて……」


 意味がわからない。私が海斗の父親のようになんてなるはずがない。


「この間、遥は英嗣と同じ台詞を言ったんだ、水野は偶然だと、素人の考え方だからだと言ったが思わず背筋が寒くなった。もちろん、今の海斗はもっと複雑な構造で簡単に直せはしないが……諦められないその心で何でもやってしまうんじゃないかと思うと……怖いんだ。海斗を蘇らせた事で色んな人間の運命を変えた……俺はもう二度と、同じ過ちを犯したくない」


 なんて返したらいいのかわからない、海斗を直してほしい、会いたい、私は海斗を苦しめた父親のようにはならないのに……どう答えたら直してくれるの?


 考え過ぎて言葉になるのはぐちゃぐちゃな感情だけ……。


「私は……私はただ、海斗に会いたいだけなんです、お願いです……」


 泣きじゃくるしか出来ないなんて、なんて情けないんだろう。


「なぁ、遥……ここはあの島じゃない、お前には支えてくれる仲間も家族も……隣にいてくれそうな奴もいるだろう? そういう人達に囲まれて幸せに暮らすのが本来の遥の運命だと思うんだ。遥に幸せになって欲しい……そう思っての事だ、そんなに……泣かないでくれ」

「伯父さんは……海斗の家族でしょう? 悲しくないんですか……」

「悲しいに決まってるさ、当たり前だろう……」


 伯父さんは声を振り絞る。


「遥には感謝している……心から。遥と出逢えたおかげであいつは楽しそうだった、これからもずっと遥と生きていきたいと常々言っていた、あれは本心だ。科学で証明出来なくてもあいつは心を持ったまま蘇っている。遥が海斗を愛してくれたから、あいつも人を愛する事を学んだんだ。本当にありがとう。


辛い思いをさせて申し訳ないが、いい恋をした、幸せだったと……胸にしまって終わりにしてやってくれんか」


 想い出に……海斗に心があって生きたいと、そう望んでいるのに……。



 “もう、遥といることを諦めない”



 島で過ごした最後の夜、海斗が言ってくれた言葉を思い出す。その言葉で涙も悲しみも裏返るのがはっきりと、わかった。


 海斗……生きたい、よね。


「海斗が生きたいと……望んでるのに諦めるなんてだめです。私の気持ちとは関係なく、海斗が生きたいと望むのなら……海斗の人生はここがゴールじゃないはずです……もういいです」

「遥……」

「伯父さんがやらないなら私がやります」

「おい! 今の話、聞いてなかったのか」

「聞いていました、過去に囚われるのはやめてください。私は海斗の父親とは違います。生きたい……それが海斗の心からの意志なら直るはずです。伯父さん、お医者さんでしょう? 人間だって生きたいと思う本人の意志があれば助かるように、海斗だって心から生きたいと望んでいるなら可能性はあるはずです。


 私は、自分の為に海斗を別物に作り変えるつもりはありません。


 海斗を今のまま直す方法は本当に、一つも無いんですか? 」


 涙を拭って強く伯父さんを見つめる。


 爆発する前……苦しそうに、でも一生懸命私を呼んでくれた……海斗を思い出す。


「まったく……どこから来るんだ、その強さは」


 私から目をそらした伯父さんは大きく、ため息をついた。


「全く無いわけじゃないかもしれない」

「ならどうしてやらないんですか」

「可能かどうかわからん、まだ検証が必要だ、それに……助かる確証はない。ただもう、それ以外にはない」

「教えて下さい、私も手伝います」

「いや……それはさせられん」

「何でですか? 」


 伯父さんに負けないように必死で食い下がる。


「本気……なんだな」

「もちろんです! 」

「覚悟を……決めるしかないようだな」

「伯父さん! お願いします! 」

「その代わり遥、お前にも覚悟を決めてもらうぞ」

「わかってます」

「直す覚悟じゃない、手放す覚悟だ」

「手放す……覚悟……? 」

「あぁ、努力はするが海斗が目覚める可能性はかなり低い。もしこれでだめだったら今度こそ、海斗の死を受け入れて諦めてほしい」


 海斗の死……その言葉は、重く、衝撃をもって私に響く。


 勢いで……はいとは言えない。


「やるにしても時間がかかる。遥も簡単には出せない答えのはずだ……3日の内に答えを出して連絡してくれ。この治療をしても目覚めなかった時には海斗の死を受け入れ、遥自身の人生を生きていく事。それを約束してくれるなら、その時は俺も全力を懸けよう」


 さっきまでの勢いに歯止めがかかる……でも覚悟が出来なければ海斗は。


「わかりました」


 私は病院を後にした。


 再び病院の扉は閉ざされ、伯父さんと内藤さんで治療方法の検証が始まる。


 その間に私は……考えるだけで視界が揺らぐような目眩がする。


 目の前にエッグが来てチカチカとライトを点滅させる。乗り込んだ私は少し考えた後……ある場所に向かった。








 懐かしいな……。


 エッグの中から眺める景色は相変わらずで、心が和む。何度もここで海斗と出逢った……この公園で。


「ちょっと待っててね」


 エッグから降りて一歩ずつ、桜並木がある入口に近づいていく。


「何これ……」


 入口を塞ぐような大きな看板、周囲には何重もの赤いロープが張り巡らされている。


 “工場建設予定地の為立入禁止”


 看板にはそう書いてある。ここに新しい工場が出来るから公園は壊されると書いてある。


 どうして……寂しいけどどうにもならない、この公園は無くなってしまう。海斗と出会って休んだ東屋も、よく走った桜並木も、私達が再会したベンチも……海斗と生きていく、そう決めたこの場所までも……全部無くなってしまうなんて。


 夏の昼間、いつもなら人が行き交い子供達の楽しそうな声が聴こえるのに……今日はひっそりとしている。


 眺める事しかできない濃い夏の緑は、心無しか寂しそうにそよいでいる。


 仕方ない……時が過ぎたのだから……風に、そう言われてる気がする。


 もう……戻ってこない。


 とぼとぼと歩いてエッグまで戻る。


 ここに来たら、風を感じながら心の中の海斗と話せる、そんな気がしたのに。


 想い出の場所にまで突き放された。


 “いつか大人に……”


 今がその時なんだろうか……諦める事が大人になった証なのかな。


「ひとりぼっち……か」


 指輪は今もまだ、はまったまま。ずっと一緒にいるって……家族になるって……約束したのに。


 海斗……大好きだよ、会いたい。


 一緒にいる間、恥ずかしくて照れくさくて……もっとたくさん言っておけばよかった。


 もっと大切に、過ごせばよかった。


 海斗……涙が溢れて止まらない。


「どこへ行きますか? 」


 エッグが返事を待っている、でも答えることなんて出来なかった。

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