第33話 日記


 目覚めると、身体中が二日酔いだと訴えていた。いつもなら便利なはずのエレベーターも今日は速すぎて気持ち悪い。


 何杯飲んだんだ、私は……。


 結局、樹梨亜や夢瑠に心配かけちゃった……反省しながら部屋着に着替えると、薄暗いリビングのソファに横たわる。


 頭……痛い。


 樹梨亜の作ってくれた優しい味が心に重くて、お昼を済ませた後、逃げるように帰ってきてしまった。


 どうしていいかわからない。


 海斗が目覚めないのは、樹梨亜や夢瑠のせいじゃない。それどころか……海斗の事を一番に受け入れてくれた二人なのに。


 罪悪感に苛まれていると、いきなり着信音が響き出した。


「はい」

「水野です」

「水野さん……お疲れさまです」


 正直、話したくなかった。


「考えはまとまりましたか? 」


 まだ夏休みは一週間あるのに、もう答えを催促してくるなんて……。


「海斗をパートナーロイドにするつもりはありません。本当に海斗が望むなら……直った後で話し合います」


 水野さんがなんて言ってくるのか身構える。きっと何か反論してくるはず。


「そうですか、分かりました」


 それだけで、あっさりと電話は切れた。静けさに包まれると本当に断わってよかったのか……急に不安になってくる。


 落ち着けたくて、目を閉じる。


 “万一の時にもそう言えますか?”


 あの言葉がぐるぐると脳内を回りだして……眠れそうにない。


 海斗はどうして目覚めないんだろう。身体を起こしてテーブルを見ると、出しっぱなしのメモが視界に入る。海斗の身体が全て機械で出来ているなら、部品や装置を交換すれば直るはず、でももし違ったら。



 考えたくもない未来が……襲ってくるかもしれない。



 ロイドなのかサイボーグなのか、それとも他の何かなのか……それによって海斗の運命が、私達の未来が変わる。


 ロイド……サイボーグ……結局いつもそう。


 私と海斗の間には、ずっとその問題が横たわっている。


 “世界にただ一体のハイブリッドサイボーグだ”


「えっ!? 」


 突然聴こえてきた声に思わず辺りを見回してしまう……誰かいるはずなんてないのに。


 ハイブリッドサイボーグ……ハイブリッド……どういう、意味だったんだろう……だめだ、痛い頭で何か考えてもまとまらない。


 少し寝よう……寝室に向かい、ベッドに潜り込む。海斗と二人だと狭かったベッドも一人だと広すぎて、寂しい。



 リーン……リーン。


 せっかく眠れそうだったのに……今度はチャイムに叩き起こされる。いつもは起こらないような苛立ちを湧き上がらせながら、仕方なくドアを開けた。


「わかったぞ!! 」


 見たこともないぐらい興奮した様子の内藤さんに、テンションがついていかない。


「何がですか」

「あいつの脳の仕組みだよ」

「それ……本当ですか? 」

「あぁ。間違いなく世界で一番人間に近いシステムだ、あいつに会えるぞ」

「信じて……いいんですか」


 自分の声が震えている。


「あぁ。海斗の中のメモリーが無事なら記憶も全てそのままだ」


 嬉しい。海斗が倒れてから初めて明るい光が見えた気がする……でも。


「それを伝えに来てくれたんですか? 」


 内藤さんはいつもの作業着姿……きっとこれから仕事のはず、電話じゃだめだったのかな。


「いや、あいつの日記、借りたくて来たんだ」

「日記……? 」

「あぁ、あるはずなんだ」

「え……? 」

「知らないか? 」

「はい」

「隠して書いてたのか……」

「日記、書いてたんですか? 」 

「そう聞いたんだ、伯父さんから。ずっと日記を書いてたって」


 見たことはないけれど、あるとしたらこの部屋のどこかに……。


「探してみないと……上がってください」

「いいのか? 男を家に上げたりして」

「前は勝手に上がり込んできたじゃないですか、何をいまさら」


 からかう内藤さんを放っておいて部屋に戻っていくと、内藤さんが後ろからついてくる。


「どこにあるかわかるか? 」

「私が知らないなら、たぶん海斗の荷物の中です……適当に座って待っててください」

「分かった」


 急いで寝室から探し始める。


 本棚やクローゼットの中、ベッドの下まで探すけれど見当たらない。


「ないか? 」


 立ち上がる、力も湧かない。


 海斗……どこに隠したんだろう、日記なんて見たこともなければ書いてるのも知らなかった……自分が情けなくなってくる。


 海斗とずっと一緒にいたのに、私は何も知らなかった。


 日記も……パートナーロイドの事も。


「どうした? 」


「私……なんにも知らなかったんです。海斗の事」

「は? 」

「海斗……パートナーロイドに改造してほしいって、頼んだんですよね? 」

「パートナー……ロイドに? 」

「水野さんが言ってました。私が自由になって、一緒にもいられる方法だと思ったって……」


 なんにも言わない内藤さんを気にする余裕はもうない。


「そんな事、一人で考えていたなんて全然知らなかった……隣にいたのに。なんで相談してくれなかったのか……それさえわからないなんて……海斗の気持ち……全然分かってなかった」


 溢れていた気持ちが涙になって落ちる。


 すぐ隣に……内藤さんがいるのに。



「あいつの気持ちなら……そこにあるだろ」


 その瞳は、私の薬指に注がれている。


 指輪が……海斗の気持ち……。


「お前と生きていきたい、それがあいつの気持ちだろ……パートナーロイドにと考えたのも、覚悟の現れかもな」

「覚悟……? 」

「さぁ、日記見つけるぞ。続きはあいつから聞けばいい」


 内藤さんが先に立ち上がる。


「はい」


 私も、涙を拭って立ち上がる。海斗の気持ちを知りたい。


「後、どこを探すんだ? 」

「寝室は無さそうだから……リビングか、キッチン……? 」

「お前が触らないような場所はどこだ? 」

「私が触らない場所? 」

「隠すならお前に見つからない場所にするだろ」

「そっか……海斗の服とか本を片付けている所は勝手に触らないようにしてて……でもどっちにも無かったんですよね」


 海斗しか使わない場所なんて、他にない。


「仕方ない、リビングとキッチンを片っ端から探すか」


 内藤さんにはキッチンを頼んで私はリビングを探す。開けたこともないような棚の一つ一つも、丁寧に開いて探していく。


「内藤さん? 」

「あ? 」

「なんでさっきから上の方ばっかり見てるんですか? 」

「俺ならお前が届かない所に隠す、そう思っただけだ、お前チビだからな」

「は!? そんなにチビじゃないですけど! 」

「俺からしたらチビだ」

「これでも160はありますー! 」

「まぁ、180はあるからな、俺も海斗も」


 勝ち誇ったように得意気に言ってくるその感じがなんかムカつく。


「そっちは? 」

「は? 」

「ありそうか? 」

「いえ……無さそうです」

「そうか……」


 髪をかきあげながら大きなため息をつく。


「こっちもだ。キッチンには無さそうだな」

「リビングもです。元々、島から持ってきた荷物はそんなに多くありません。もしかしたら処分してきたのかも……」

「それはないな」

「え……? 」

「元々、日記は伯父さんが書くように勧めたらしい……父親に記憶を操作されているかもしれない、そう悩む海斗にバックアップの意味で肌見離さず守るように伝えたと言っていた」

「肌見離さず……じゃあ、海斗が持ってるとか」

「いや……持っていたのは端末だけだったし、その中には日記らしい情報は無かった」

「じゃあどこに……」


 二人で部屋を見回すけれど、もうそれらしい場所はない。


「あいつなら……どこに隠すんだろうな」


 海斗だったら……私が触らない海斗だけの場所……肌見離さず……。


「あ……! 」


 あと一つあった。


「なんだ? 」


 もう一度寝室に急ぐとベッドの脇においてある鞄を、手に取った。


「なるほどな」


 背中に内藤さんの声を聴きながら鞄を開けると中には数冊のノートと見慣れたペンケースが入っている。


 ごめんね、海斗……大事な事なの、ちょっとだけ、中身見るね。表紙には名前以外何も書かれていないノートを手に取り、パラパラとめくる。


 内容は、できればあまり見たくない。


「あった……」


 他のノートは仕事に関する内容だったのに、この茶色い表紙のノートだけ島にいる頃の事が書かれている。


 振り向いて内藤さんに手渡す。


「これだな……」


 私よりじっくりと確認するようにページをめくると、噛み締めるようにそう言った。


「よかったです、見つかって」

「読まなくていいのか? 」


 差し出された茶色の表紙を、私は受け取らなかった。


「読みません、気持ちを覗き見してるみたいで嫌なんです」

「やせ我慢しなくても……」

「海斗が私に隠して書いてた物だから、いくらこういう状況でも読めません。これは、内藤さんが海斗の為に役立ててください」


 本心は……読みたいし、触れたい。


 でも海斗の字を見るだけで涙が出そうで、読み始めたら泣いてしまう、そう思ったら受け取れなかった。


「そうか……わかった」


 内藤さんは、大事そうに日記をしまう。


「よろしくお願いします」


 玄関に向かう、その後ろ姿に願いを込めて頭を下げる。


「わかってるよ」


 振り向かないまま返事をして、靴を履く……ドアに手をかけてそのまま出て行くのかと思ったら、急に動きが止まった。


「だから……お前も弱気になるなよ」


 いつもはそらすその瞳が、私を見ている。


「わかってます」


 不思議と強がりたくなる、その視線で崩れかけていた気持ちを立て直す。


「苦しいのはきっと今だけだ」


 それだけ言うと、海斗の日記と内藤さんは部屋を出て行った。


 信じるしかない。


 今、海斗を直せるのは伯父さんと内藤さんだけ。残念だけど私にできることはあまりない。深呼吸して部屋を見回す。


 それにしても……ちょっとやり過ぎたな。


 日記は見つかったけれど部屋を荒らしてしまった。


「とりあえず、掃除しますか」


 まだ頭は痛むけれど、さっきよりは落ち着いている。落ちている本を手に取ると、元の場所に戻す。


 海斗もきっと、元の通り戻ってくる。


 会いたいと泣く心を、一生懸命慰めていた。

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