第2話 近づいてくるさよなら


 別れが決まって名残惜しくなると、時間の流れは急に速くなる気がする。この島で過ごす最後の夜、私達は伯父さんと一緒に食卓を囲んでいた。


「これも食え」

「伯父さん……ありがとう」


 伯父さんは焼いたお肉を次から次へと、私のお皿に載せてくれる。


「遥は細っこいんだから、もっとたくさん食って栄養つけないと」

「そうかなぁ、たくさん食べてるよ? 」


 伯父さんと海斗と私でこうして食卓を囲んでいると、あまりにもいつも通りの風景で……これが最後なんてとても思えない。


「海斗、これおいしいよ」

「ん、ありがと」


 海斗はモグモグしながら、私があげたお肉にまた箸を伸ばそうとしている。


「お前は食い過ぎなくらいだな、身体重くなるぞ」

「いいんだよ、このくらい食べたって。そっちこそ飲み過ぎなんだよ」


 二人のやり取りは、いつも楽しくて……本当の親子みたい。


 日本に帰れるのは嬉しいけれど、海斗は伯父さんと離れることになる……それを考えると少し、胸が傷む。



「そういえば家決まった? 」

「あぁ、ダグがちょうどいいのを見つけてくれたからな」

「そっか……で、引っ越しは? 」

「明後日だ。みんなに手伝ってもらって少しずつ運ぶからな、なんとかなりそうだ」

「良かったな、いい人達で」


 海斗……寂しそう。  


「それよりお前達の住まいは決まってるのか? 」

「いや……何にも聞いてないけど、なんか聞いてる? 」

「私も聞いてないよ? もしかして帰ってから探すとか? 」

「どうだろ……」

「おいおい、大丈夫か? 」

「大丈夫。ちゃんと明日、話すから」

「お前一人なら何とでもしろと言いたいが、遥がいるからな。嫁さんに苦労なんかさせるなよ」

「わかってるよ」


 嫁さんって……海斗、意味わかってるのかな……私達まだそんなんじゃ……恥ずかしくなった私は話をそらすことにした。


「でも明日で最後なんて……寂しいなぁ」

「またいつか会えるさ」


 伯父さんはさらりと返す。


「国内でも自由がないんだ。海外渡航なんて出来ないだろ……」


 悔しさのこもった海斗の言葉にも伯父さんは平然としている。


「出来るさ。2年前、お前達がここに来た時に今日の事が想像できたか? 」

「それは……」

「未来なんてどうなるかわからんぞ、悪い方に転がる時もあるが、必ず良くなる時が来るんだ」


 黙る海斗に、伯父さんが言葉を続ける。


「ついでに言っとくと出来るか出来ないかじゃない、出来るようにするんだ。方法を考え最善を尽くす。どうにも無理ならじっと待つ、そうすればきっと未来は今日より良くなる。考える事を止め、悲観して諦めた途端、真っ逆さまに落ちるぞ。まぁ……落ちてみるのも悪くはないがな……これからのお前はそういう訳にいかん、分かってるな」

「わかってるよ……」

「よし! 分かってるならこれ以上言うことはない。説教は終わりだ! 飲むぞ! 」

「もう飲んでるだろ? 」

「今日は気分がいいからな、もっと楽しく飲むんだよ」


 嬉しそうにお酒を注ぐ伯父さんを見ていると、止める気にもなれないし、海斗も仕方ないという顔をしている。


「あぁー! うまい! 遥も飲むか? 」

「私は朝早いから……あっ、伯父さん、一緒にお肉食べよう。お酒はダメだけどお肉ならいっぱい食べるよ! 」

「遥は優しいなぁ」

「おおげさだよ。はい、どうぞ」

「海斗」

「何? 」

「お前、贅沢過ぎるぞ。こんな可愛い嫁さん独り占めしやがって」


 また嫁さんって……。


「遥もだ」

「へ!? 」

「他にもっとまともなの居なかったのか? こいつに出逢ったばっかりに変な事に巻き込まれて、こんな所まで連れてこられてなぁ……」

「私は……好きでついてきただけだから」

「ありがとなぁ、遥。こんな華奢で頼りない奴のどこがいいんだか、俺にはさっぱりわからんが……嬉しいよ。こいつはいつも一人ぼっちでな、寂しそうな顔をしていた。でも、遥が居れば安心だ。これからも側に居てやってくれな」


 泣き上戸なのか、伯父さんは涙ぐみ始める。


「私達のことは心配しないで、伯父さん。楽しく飲むんでしょ? ね? 」


 私がなだめると、伯父さんはいきなりガタッと立ち上がる。


「よし!! 二人の旅立ちの為に歌うぞ! 」


 そう言いながら、伯父さんはすっかり酔っぱらっていてふらふらしている。


「ちょっと伯父さん! 危ないから」

「だぁいじょうぶだって」


 止めても聞かない伯父さんは、本当に大声で何かを歌い始めた。


「だから嫌なんだよ……酔っ払いは」


 酔った伯父さんの行動に呆れる海斗。


「飲みたい気分なんだよ、きっと」

「それにしても飲み過ぎだろ……」


 海斗が頭を抱えている間も、続いている伯父さんの歌は聞き覚えがあるようなないような……でも、日本の歌だってことはわかる。何とか合わせて手拍子をすると、伯父さんは今までに見たことがないくらい、嬉しそうな顔で声を張り上げる。


 楽しい楽しい最後の宴、気が済むまで歌って踊った伯父さんは、スイッチが切れたように座って眠り込んでしまった。


「明日……起きないんだろうな」

「まだいつもより早いし大丈夫だよ」

「こうなった次の日はいつも昼まで寝てる」


 眠る伯父さんの横顔を、明日起きてくれますようにと願いながら見つめると……その頬には涙の跡が一筋。


 伯父さんは……寂しくて、悲しくて、だからあんなにお酒を……。


 だったら、海斗とこのまま別れるはずない、よね。


「ほんとに……最後まで酔ってばっかで」

「でも、伯父さんのおかげで楽しい晩御飯だったよ」


 私が微笑みかけると、海斗は仕方ないという表情で伯父さんを見つめた。


 本当は……すごく不安。


 日本に帰る事ができても海斗と一緒にいられるかは分からない。


 家族や友達に会えるか……どんな暮らしになるか、何にも知らされないまま帰る事だけ決まっていて……そんな状態で喜ぶ気持ちにはとてもなれない。


 でも伯父さんの言葉とこの楽しい時間が、私の不安を和らげてくれた。


「しょうがないな。家に置いてくるから先に帰ってて」


 海斗は伯父さんを重そうに背負う。


「気をつけてね」


 一歩一歩、進んでいく二人の後ろ姿を見送ってから、家に入った。







「お帰り」


 楽しかったバーベキューの後、リビングに残されたソファーでくつろいでいると、海斗が帰ってきて私の隣に座る。


「ただいま、重かったー」

「大変だった? 」

「いや、起きなかったからそのままベッドに置いてきた」

「そっか」



 話が途切れた私達を穏やかな沈黙が包む。



「楽しかった」

「うん……楽しかったね」


 帰るって決まってからも、決まる前の暮らしも……本当に楽しかった。処分を受けてここにいるなんて、忘れるくらいに。


「本当に、終わるんだな」

「うん……終っちゃうね」


 ここに来てからの色んな事が浮かんでくる。きっと隣の海斗もそれは同じ。


「居てくれて良かった」


 視線に気づいて見つめると、海斗が優しく微笑んでいて、その瞳に私が映って……胸がきゅっとする。


「俺一人だったらどうなってたか……」

「そう? 」


 触れたくて肩に寄り掛かると、心地いい声が心の奥までじんわり染み込んでくる。


「国外退去が決まった時、もう二度と誰にも関わらないと決めて、遥に別れを言いに行ったんだ……まさか、一緒に来てくれるなんて考えもせずにね」

「困らせちゃった? 」

「驚いたよ。でも、その決断に救われたんだ。あの……火事の後も」


 あの日の苦しそうな海斗が甦る。


「腕の傷を見たら、どうしたらいいかわからなかった。人間じゃないなんて……そんなこと誰かに知られたらどうなるか」


 あの時、私より海斗の方が腕の傷に驚いて……ショックを受けていた。


「死にたくなった」

「え……」

「どうせ、こんな傷じゃ遥に会えない。どこかから飛び降りるか、海に沈むか、それでも死ねないなら……捕まりに行って殺してくれと懇願するか……それしかないと思ってた」


 あの時、会えて本当に良かった。海斗がそこまで思い詰めていたなんて……今日まで知らなかった。


「泣かないで……そんなつもりじゃないんだ」


 海斗の指が私の涙を拭ってくれて、初めて泣いていることに気づく。


「ごめん……私、いつも泣いてばっかり」

「遥……」


 海斗は……私を抱きしめて、優しく髪を撫でてくれる。この温もりが無くなるなんて……考えたくない。


「だから俺を救ってくれた、大事な遥を一人にはしない」

「海斗……? 」

「これから先、どんな生活が待ってるか分からない。でも、必ず隣にいて遥を守るから」


 海斗の腕に力が込められて、さっきより強く……抱きしめてくれる。


「もう……遥といる事を諦めない」


 一生懸命、伝えてくれる海斗が愛おしくて、強く抱きしめ返す。


 こんな気持ちのたかぶりを……どう表したらいいんだろう。


「海斗……」

「ん? 」

「私も……ここに来た時に決めたの。どんなことがあっても海斗といるって……」


 そう、あの時……覚悟を決めたからもう不安な表情かおなんてしない。


「ありがとう」


 海斗のほっとしたような、嬉しいような声が耳元で聴こえる。包まれたままの身体をゆっくり離すと……視線が交わる。


 昔から変わらない、くりっとした、愛しい瞳……そのまま……海斗がゆっくり近づいてきて唇が……そっと、重なり合う。



 愛おしい温もり、このままずっとこうしていたい……海斗の胸に顔をうずめて目を閉じた。


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