肥料
よく都会の人間が田舎での暮らしに憧れて引っ越してくるが、私はおすすめしない。
これまでもかなりの人数が引っ越してきたが、慣れない田舎暮らしに悲鳴を上げて、元の場所に帰っていった。
少し前にこの村に来た夫婦も、私はそろそろ限界ではないかと踏んでいる。
村の人間が集まっていると、夫の方がいつも不自然な笑顔を振り撒いて、輪に入ろうとしてくる。
仲良くなりたいという気持ちが強すぎるのだろう。いつも1人だけ空回りしている感じだ。
なにより都会で生まれ育った者と、田舎で育った者とでは価値観が違いすぎる。
彼が来るといつも話が盛り上がらなくなり、何となく村の者は彼を避けるようになっていった。
奥さんの方は、いかにも夫のいいなりというタイプで、物静かで気の弱そうな人柄のせいか、女社会でも馴染めていないようだ。
ある日、いつものように私は村の連中と集まって、畑の話をしていた。
「最近、畑が痩せちまって全然作物が育たねえんだよな。」
「市販の肥料じゃどうにもならなくなってきたな。」
するとそこへ、ニコニコしながら例の夫が近づいてきた。夏なのに妙にカッチリした格好だ。
「こんにちは。今日も暑いですね。最近イタリア産のワインが手に入ったんですが、よかったらみなさんいかがですか?」
「いや、いらねえよ。」
都会の人間嫌いで有名なヤスさんがつっかかった。
ヤスさんは少し前に、許可なく自分の畑に入ってきた彼に怒り心頭だった。
彼は自分の畑の参考にしたいと、ヤスさんの畑を見ていただけだったが。
「お前村の連中から避けられてるのが分からねえのか。俺らと仲良くしたかったらな、馬鹿みたいに作物が育つ肥料でも持ってきやがれ。」
「ヤスさん、落ち着きなよ。」
俺はさすがに哀れに思い、ヤスさんを制した。
すると、彼は「分かりました。そしたら本当に仲良くしてくれるんですよね?」と懇願するような眼差しでヤスさんを見つめる。
ヤスさんも少し戸惑いながら、「ああ、そうしてやるさ。」と答えた。
それを聞くと彼は、何か手応えを感じたような顔つきで自分の家の方へ戻っていった。
「やっぱりあいつ変わってるよな。なんでそこまで仲良くなりたいんかね。」
「どうやらこっちで家買うときに退職金全部注ぎ込んだらしいぞ。もうここで上手くやってくしか道はないんだろうな。」
それからしばらくの間、その夫婦は姿を現さなかった。
次に彼らと会ったとき、奥さんが左手を覆うようなギプスを巻いていた。
私は驚いてどうしたのか訊ねると、夫の方が「畑を耕していたら怪我をしてしまったんです。これだから慣れない作業は大変だ。」と頭を掻いた。
そして、彼は続けた。
「そんなことより、ヤスさんにこの肥料渡しといてもらえませんか?ようやくすごい肥料ができたんです。」
私は大きな袋を受け取ると、ヤスさんに渡すことを約束した。
後日、ヤスさんにその袋を渡し、試しに畑に巻いてみると、それまでうなだれるようだった作物がイキイキと背筋を伸ばし始めた。
これにはさすがのヤスさんも「くやしいけど大したもんだ。」と下を巻いた。
ヤスさんが肥料を追加で作ってほしいとお願いに行くと、彼は喜んで了承したらしい。
私とヤスさんは畑の前で座りながら、あの夫婦について話していた。
「なんだかんだ、ヤスさんのお気に入りになったんじゃないの?」
ヤスさんは顔を背けるようにして答えた。
「まあ、ちゃんと話してみると悪いやつじゃねえな。」
「ちなみに今度はどれくらいの量をお願いしたの?」
「できたら畑全体に使いてえからな。作れるだけ作ってくれって言ったよ。」
「下請けは大変だな。」
私はやれやれと笑いながら畑の方へ歩いていく。
確かに彼の肥料を使った一帯だけ、作物の成長が見違えて違うようだ。
私はしゃがんで肥料に触れた。
その時、ふと肥料の中でキラッと反射するものが見えた気がした。
私は不思議に思い、肥料のなかから光沢のあるその物体を拾い上げ、まじまじと見つめる。
「爪?」
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