【消したい記憶-2】
初夏のカラッとした日射しが福島県を夏色に染める。
美容室のガラス張りの壁面や、キッチン類を展示しているショールームの大きな窓ガラスが、夏の光をうけて辺りに乱反射していた。
ジメジメとしたカビの生えた日々も終わり、東北の空には人々にイキイキとした活力を与えてくれる、そんな恵みの太陽が雲を寄せ付けないほどのたくましさで浮かんでいた。
そんな街中で、車の走る音や通行人の話し声、囁くように鳴く虫のさえずりの中に音楽と呼べる音がまざっていた。
ここは福島県にある県立高校。
大通りに面した場所に建てられており、道路をはさんだ向かい側には大きなショッピングモールがある。
この高校の合唱部は毎年コンクールで優秀な成績をおさめていて、総理大臣からも賞を頂いているほどの功績のある高校だ。
校舎のそばにある歩道を歩く通行人達の耳には、吹奏楽部の奏でる綺麗な楽器の音が届く。合唱部の美声と合わさって、そのメロディーが通行人達の心を癒していた。通行人の中にはベンチに座りながら、その学生達が作り出す音に聞き入っている人もいるくらいだ。
バス停のすぐ近くに高校の正門はあり、一度足を踏み入れれば、そこは青春の舞台。学生時代にしか味わうことの出来ない独特の世界が広がっていた。
教員などの学校関係者が停めている車の列の間を抜けて進んだところに校舎の入り口があり、入り口をくぐった先には学生達が使用する下駄箱や傘立てがある。そこを少しいけば二階、三階へと行くための階段があって、それぞれ先輩となる生徒達、後輩となる生徒達、担当する学年の教師達がいる。
三階が一年生、二階が二年生、一階が三年生の学生生活の場で、みんながそれぞれの思いで青春の日々を送っている。高校生活にまだ慣れない生徒、部活に励む生徒、進路に悩みながら最後の高校生活を送る生徒と様々であった。
そんな学生達が日々を送っている校舎、その二階の二年生達の教室から複数の女子達の乱暴な怒鳴り声と、声を詰まらせながら謝る一人の女子の声が聞こえてくる。
その教室は廊下の一番端、階段を上がった近くにある二年七組の教室。二時限目の終わりの休み時間だというのに教室内には窓際に追い込まれながら怯えている女子と、それを複数の女子達が獲物を追いつめた獣のように囲む光景があった。
男女共学で男子生徒も当然いるのだが、男子達はまるで「蚊帳の外」といったように無関心に眺めているだけ。他の女子達は「さわらぬ神に祟りなし」といったように、その言葉を顔の表情にあらわしていた。
その時、さっきの怒鳴り声を上げていた女子達の中の一人が再び声を荒げながら言う。
「田辺! あんたさぁ、なんでそんなにこの私をイラつかせるのかしら? 昨日の集会に来いって言ったわよね?」
そう声を荒げながら言ったのは、郡山市内では有名な不良グループである「
望美の同級生で、気の強さをそのまま見た目にあらわしたトゲのある顔立ちをしていて、切れ目の目に薄く尖った唇、髪は金髪に染め、襟足のところどころに白のメッシュを入れている。顔の化粧はどう見ても水商売。十七歳の小娘には似つかわしくない夜の女といった感じの危険な雰囲気を漂わせていた。
「ご、ごめんなさい! 高崎さん」
望美は窮地に立たされた小動物のように怯えひきつった顔をしながら言った。
「ワビの言葉なんかいらねぇんだよ!」
グループの一人である女子が男勝りの口調で言った。
「いいから、いいから。あんた達はもう黙ってなよ。ここからは私が話すからさ」
美那子はそう言って、グループのメンバーを制した。
「で? どうして集会をバックレたのよ?」
「ごめんなさい……高崎さん」
「だーかーらー、バックレた理由を訊いてんのよ!」
「ひ、だって、だって」
「てか、苗字じゃなくて名前で呼びなってこの前言ったよね。なに、嫌なのかしら?」
「美那子……」
望美が恐る恐る言った直後に怒声が教室に響きわたる。
「テメェ! せめて美那子さんだろうが! 舐めてんのかよ!」
さっきとは別のメンバーがそう言った。
「だから、あんた達は黙ってなって」
美那子がなだめるように両手を前に出して再び制する。
「田辺、私のことは呼び捨てでいいからね。いちいち『さん』とか付けなくていいから」
「う、うん、わかった」
「てか、私もあんたのこと田辺って呼んでるわね。望美って呼ばせてもらうわ。改めてよろしくね望美」
「いや、私はどうでもいいけど」
「そう。で、話を戻すけど、どうして昨日の集会をバックレたのかしら?」
「そ、それは」
「この前言ったわよね。今度うちのグループの集会があるから来いって。望美、来てくれるって言わなかったかしら?」
「言ったけど」
「なんで来ないの?」
数秒の沈黙のあとに望美は言った。
「わ、私は……不良グループの人達とはあんまり……その」
直後、美那子の平手が望美の頬を激しく叩いた。
望美は後方に倒れ、顔をおさえようとしたが、その間もないままに美那子の脚が腹部を襲う。うずくまり呼吸もままならない望美の髪の毛をメンバーの一人が鷲掴みにした。
「リーダー。この女はシメましょうよ」
そう言われて美那子はコクリと合図を送る。その後、十分間ほどの暴力というリンチが始まり、やがて望美はボロ雑巾のような姿で教室の窓際で横たわる。
「せっかくメンバーに入れてあげようと誘ったのに、望美ったら残念だわ」
望美に冷たい視線をぶつけながら、美那子はそう言ってため息を吐いた。
「望美の青春、悲劇の舞台よね」
そう吐き捨てて、美那子はメンバーのみんなを連れて教室から出ていった。
スグあとに、登場するタイミングがズレたという感じに次の授業を始めようと担任の教師がチャイムの音と同時に入ってきた。
放課後、部活へと向かうべく学生達は校舎内をワタワタと移動していた。意気揚々といったように顔にやる気を浮かべながら廊下を走り抜けていく運動部の生徒。物静かに歩いていく手芸部や読書部の生徒。コンクールに向け、例年通りに優秀な成績をおさめようと特にやる気を込めている合唱部の生徒達は列を作りながら歩いている。
そんな中、他の生徒達の間をヨタヨタとしながら歩く望美の姿があった。痛々しくアザになっている身体は制服で隠れてはいるが、その苦痛は顔にあらわれている。
望美は二時限目の終わりの休み時間のあと、一階にある保健室へと連れていかれ、放課後の今の今までベットの上で横になっていた。警察沙汰にはしたくないという大人の都合を含んだ学校側の考えに気がついた望美の配慮で、この一件は保護者への連絡だけでとりあえず落着した。
今、望美が痛む身体で廊下を歩いているのは下校するためではなく部活に行くため。望美は演劇部に入っていて、来月に控えている夏の演劇コンクールに向け熱心に部活動に励んでいた。
望美の頭にいつもあるのは「主役」になりたいという願望。
青春を華やかな舞台上で輝かせたかった。
他にはなんのとりえのない望美であるが、演技だけは違う。演劇における演技力は他の生徒達よりは上回っている。一年生の頃は先輩達の手伝いや雑用で表舞台に出る機会がなかったのだが、二年生になった今年、望美にも「主役」になれる機会が巡ってきた。
来週には配役の発表が控えており、望美にとっては今が一番大事な時期であった。そんな中での「咲乱華」による絡み。大きな大きな障害が望美の前に立ちはだかってしまった。
フラフラになりながらヨタヨタと廊下を歩き抜け、演劇部の部室の前まで到着した望美は静かに部室の扉を開いた。
部室内では後輩の一年生達が小道具の用意やら証明のセッティングをしていた。三年生達はまだ来ておらず、二年生は望美ただ一人しか来ていない。
この高校の演劇部の部員数は三十名近くおり、男子部員もいるのだが、女子部員が八割を占めている。
望美は軽く会釈程度に後輩達に挨拶をし、衣装に着替えるためにロッカールームへと向かうのだが、その時に後輩の一人が望美に声をかけてきた。
「田辺先輩。なんか凄く大変だったみたいですね」
言いながら駆け寄ってきたのは一年生である後輩部員の「
「大丈夫でした?」
「う、うん。なんとかね」
「んー、そうは見えないですよ。顔が腫れてますもん」
「あ、うん、これは大丈夫。スグに元に戻るから」
美那子に叩かれた頬を擦りながら言った。
「そうですか。ところで一体なにが原因なんですか?」
「それは……まぁ、なんでもいいじゃない」
「はぁ。でも心配ですし、気にもなります」
「気にしないで。それに大丈夫だから」
「はぁ、わかりました」
熊田は諦めたように言った。
「それじゃ、私は衣装に着替えてくるわね」
望美はそう言って、ロッカールームへと入っていった。
その後、部室内でコソコソと話す後輩達の会話がロッカールームにいる望美の耳まで聞こえてきたのだが、なんら気にすることもなく着替えを済ませ、ドレスの衣装で早々と戻ってきた。
望美が戻ってきたのとほぼ同時に部室の扉が開き、三年生達と他の二年生達が入ってきた。望美を含めみんなは挨拶を交わし、それぞれは演劇の準備を始めていった。
そんな中、先ほどの熊田と同じように今日の出来事を二年生や三年生達が望美に訊いてきた。望美は熊田に言ったのと同じ返答を相手にし、ただ話をはぐらかすだけであった。
そうこうしてる間に時間は過ぎ、演劇部顧問の「
上野はどこの学校にも一人はいるようなスパルタなタイプの顧問で、髪は後ろで全て束ね、ジャージの似合う、いかにもといった感じの見た目だ。
部員達に向けて指示を出す中、望美と目が合った。みんなと同様に望美の今日の出来事を耳にしていたのだが、上野はなにも言ってこなかった。
上野の目には可哀想という感情が宿っていると望美は感じとっていた。しかし、なにも言ってこない。その理由がわからない望美であるが、自分なりの解釈で「あえてなにも言わない」のだと答えを出した。
そんな、小さく考え込んでいる望美を尻目に、上野は再び両手をパンパンと大きく叩き、一拍おいてから口を開く。
「それぞれ用意が出来たみたいだから、シッカリ気合いを入れて始めてちょうだい!」
「はい!」と、全員が腹から声を出し言った。
内気で気弱な望美にしてみれば、このような雰囲気は本当なら大の苦手なのだが、部活動だけは一生懸命に気持ちを入れかえて頑張っていた。
「夏のコンクールはもうすぐよ! 来週の水曜日にその配役を決定するわ。みんな、それぞれの演技を上達させて役を手にしてちょうだい」
上野のその言葉を聞いて、望美は改めて「主役」の座を手に入れる決意を固めた。
「今さらだけど、今年の夏のコンクールで披露する劇は我が演劇部のオリジナル。それぞれの個性を出して演じるのよ」
三十名近くいる部員達が役を手にしようと、その意気込みをあらわにしたように喉をゴクリと鳴らした。
「じゃ、みんな始めてちょうだい!」
そう上野は力強く言い、部員達はまた「はい!」と大きな声を上げた。
それから全員はそれぞれに行動を開始し、コンクールに向けての熱のこもった特訓を始めていった。
今年の演劇部の披露する劇は「ミドリの導火線」というタイトルで、演劇部のオリジナル舞台劇。この「ミドリの導火線」はミュージカル形式の劇で、メルヘンチックな要素が盛り込まれている。
主要な役は全て女子が演じ、もともと男子の役どころは脇役しかなかった。女子達が演じる役は花のつぼみ。少数の男子達が演じるのは人間。物語の舞台は野原である。
物語は、花のつぼみが夏の季節に花開く時を待ち望みながら過ごしている日々の様子から始まる。
女性目線ならではの喜怒哀楽。そんなドラマが展開していく中で、ある日、男子部員が演じる人間達が野原に現れる。飲み食いして捨てたゴミ、タバコの吸殻、つぼみのままの花を無情にも摘みとる行為、それらのせいで野原は荒らされていってしまうことになる。
そんな中での逆境にも負けじと生き抜く「自然の生命」を描いた物語。地面から伸びる緑色をした導火線の先端に花を咲かす「自然の輝き」を描いた物語。
望美や他の部員達は花のつぼみに見立てたドレスなどの衣装に身を包み、熱のこもった特訓を続けていった。
この「ミドリの導火線」で、最後に唯一花を咲かせることの出来るのは「主役」だけ。
望美にとって、青春の舞台を華やかに飾るためには絶対に譲れないイス。
(花を咲かすのは私よ)
野心的に頭の中で呟いた。
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