57話 復讐者の独奏

 リズムの悪い音楽がして、シルヴィは目を覚ました。

 ショールームのような明るい部屋に流れているのは、電子ピアノの音だった。

 弾いている人物はマスクのうえにつばの広い帽子を被って、お世辞にもうまいとは言えない旋律を奏でていた。


「ねこ、ふん、じゃ、った。ねこ、ふん、じゃ、った」


 ずれたリズムに合わせて歌っている。

 シルヴィが座らされているのは、椅子の上だった。

 目の前には、豪華な飾りつけがされたテーブルがあった。長い食事用テーブルには、八人ほどののっぺらぼうマスクが席についていた。

 どういうわけか、同席のかたちとなっている。


「ねこ、ふん、じゃ、った、ら……死ん、じゃった」


 突如、そこで演奏が終わった。

 すると、のっぺらぼうのマスクたちが一斉に拍手をした。

 シルヴィは、そのぶきみな光景にぞっとする。


「ハハハ、愉快だな。まったく今夜は愉快……ン、目が覚めたか、アルミラくん」


 スマイリーはこちらに気づくと、すっくと立ち上がった。


「気分はどうかね。九龍アパートでは、少々ハデをやりすぎたようだからな……鼓膜でも破けていたら困るが、果たして」


 スマイリーが無造作に鍵盤を叩いた。

 バーンと鳴り響いた低音に、シルヴィが反応する。


「うむ、聞こえているようだな。ハッハッハッ」


 わざとらしい笑いかたをする男に、シルヴィは警戒心をあらわにした。


「いいな――この状況で泣き叫ばない人間はいい。パニックになられると、こちらも興が削がれるからな。ハハハ、さすがは名家の淑女といったところか」

「スマイリー……あなた、わたしをさらってどうするつもりなの?」


 シルヴィには疑問だらけだった。

 スマイリーの動機が不明な以上、なぜアルミラ・M・ミラーを狙っていたのかも判明していない。それに加えて、こちらの作戦を読んでいたかのような奇襲である。

 だいいち、ここはいったいどこなのか。


「ハッハッハッ。どうするつもり、か。そりゃあ気になるだろう。アルミラくんは上客だ。今年の収穫でいっても、一番か二番といったところだな。ある程度はきちんと理解してもらったほうが、こちらとしても都合がいいか」


 スマイリーが、ひとりののっぺらぼうマスクをひと息に脱がせた。

 あらわれたのは、およそ生気というものを感じさせない、まるで人形のような表情をした男だった。

 マスクを剥ぎ取られたことにも、スマイリーとシルヴィが見つめる状況にも、まるで興味がないといった様子だった。


「この人物は……えー、たしか。もともとは、ココ・ルック社の社員だった男だな」


 そんな説明に、シルヴィは困惑する。

 スマイリーが、つぎつぎにのっぺらぼうたちのマスクを取っていく。

 若い女、青年、壮年の男性、老人、若い女、老婆――。

 しかし、だれもが同様に死んだような表情を浮かべており、まるで反応がない。


「端から十二番街の郵便社員の娘、八番街のフリーター、四番街の退職した連盟関係者、十五番街の土木業者、あとは……ハハハ、忘れた。さすがに、これだけいると覚えていられないな」

「どういうことなの……」

「その話をするには、私の砂塵能力について教えなければならないな。聞いただけでは信じられないだろうから、あとで実践する時に身を以って知ってもらいたいが……わたしは、生物の人格を交換することができるのだよ。人間であれ動物であれ、なんであれ。そして、この少年の身体のなかにいるのは、なんと! あの醜悪なスナダカドリなのさ」


 スマイリーが高らかに笑った。

 ぶきみな雰囲気の室内に、しばらく笑い声が響き渡る。こちらの反応がないことに気づくと、スマイリーは急に笑うのをやめた。


「おや、驚かないな。冷静すぎるのもあまり面白くないぞ。まあ、緊張するのも無理はないが……私が作ったオリジナルのカクテルでも振舞おうか? いや、あまり気が進まないようだ。ハッハッハ」


 シルヴィは黙りこみ、状況について考えていた。

 この異様に陽気で笑い続ける男が、ほかでもないチューミーの復讐相手だ。

 どうにかして、ここを報せなければ。


「まあいい。ともあれ、この人のかたちをしたスナダカドリだが、どうしてあの獰猛な害鳥が、こうもおとなしくてしているかというとだね」


 スマイリーが解説を続ける。

 

「私の唯一信頼の置く友人……きみをここまでさらってきてくれた、モンステルという男だが、彼には優れた調教の才能があってね。スナダカ鳥の精神を宿した人間を、このように完璧に手なずけることができるのさ。ハハハ、愉快だろう?」


 シルヴィは、スマイリーに売られた人間は死ぬよりもおそろしい目に遭わされるというマザーの言葉を思い出した。どうやら、その噂は真実であったようだ。


「スマイリー、あなたの目的はいったいなに? あなたのリストの人物というのは、どういう基準で選ばれているの」


 それは同時に、いったい自分がなにをしたのか、という意味の質問だった。

 アルミラ・M・ミラーが、どういう罪を犯したのかという質問だ。


「186人」


 と、スマイリーが指をさしてきた。

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