4-4 復讐者の独奏
やけに歯切れの悪い音楽が聴こえて、シルヴィは椅子のうえで目を覚ました。
高級なショールームのような明るい一室に流れるのは、電子ピアノの音だった。
弾いている人物は、笑顔を浮かべたマスクにつばの広い帽子を被って、お世辞にもうまいとは言えない旋律を奏でていた。
「ねこ、ふん、じゃ、った。ねこ、ふん、じゃ、った」
演奏者は、ずれたリズムに合わせて歌っていた。
シルヴィの目の前には、やけに丁寧な飾りつけがされたテーブルがあった。長い食事用テーブルには、八人ほどののっぺらぼうマスクが席についていた。
「ねこ、ふん、じゃ、った、ら……死ん、じゃった」
突如、そこで演奏が終わった。
すると、のっぺらぼうのマスクたちが一斉に拍手をした。
シルヴィは、そのぶきみな光景にぞっとする。
「ハハハ、愉快だな。まったく今夜は愉快……ん? おお、目が覚めたか、アルミラ君!」
スマイリーはこちらに気づくと、すっくと立ち上がった。
「気分はどうかね? 九龍アパートでは、少々ハデをやりすぎたようだからな……鼓膜でも破けていたら困るが、果たして」
スマイリーが無造作に鍵盤を叩いた。
バーンと鳴り響いた低音に、シルヴィが反応する。
「うむ、聴こえているようだな。重畳だ。ハッハッハッ」
わざとらしい笑いかたをする男に、シルヴィは警戒心をあらわにした。
「いいな。この状況で泣き叫ばない人間はいい。パニックになられると、こちらも興が削がれるからな。ハハハハ。さすがは、かの名家の淑女といったところか」
「スマイリー……あなた、わたしをさらってどうするつもりなの?」
シルヴィには疑問だらけだった。
スマイリーの動機が不明な以上、なぜアルミラ・M・ミラーを狙い、どうするつもりなのかは、依然として判明していない。それに加えて、粛清官が待ち伏せしていたことを読んでいたかのような奇襲爆撃である。
だいたい、ここはいったいどこなのか。
「ハッハッハッ、どうするつもり、か。まあ、そりゃ気になるだろうな。アルミラ君は上客だ。今年の収穫でいっても、一番か二番といったところだな。ある程度はきちんと理解してもらったほうが、こちらとしても都合がいいか」
スマイリーが、ひとりののっぺらぼうマスクをひと息に脱がせた。
現れたのは、およそ生気というものを感じさせない、まるで人形のような顔をした男だった。
マスクを剥ぎ取られたことにも、スマイリーとシルヴィが見つめる状況にも、まるで興味がないといった様子だった。
「この人物は……えー、たしか。もともとは、ココ・ルック社の社員だった男だな」
そんな説明に、シルヴィは困惑する。
スマイリーは、つぎつぎにのっぺらぼうたちのマスクを取っていく。
若い女、青年、壮年の男性、老人、若い女、老婆――
しかし、だれもが同様に死んだような表情を浮かべており、まるで反応がない。
「端から順に、十二番街の郵便社員の娘、八番街のフリーター、四番街の退職した連盟関係者、十五番街の土木業者、あとは……ハッハッハ、忘れた。さすがに、これだけいると覚えていられないな」
「どういうこと……?」
「その話をするには、私の砂塵能力について教えなければならないな。まあ、聞いただけでは到底信じられないだろうから、あとで実践する時に身を以って知ってもらいたいが……、わたしはね、生物の人格を交換することができるのだよ。人間であれ、動物であれ、なんであれ。この少年の身体のなかにいるのは、なんと! あの醜悪なスナダカ鳥なのさ」
スマイリーが高らかに笑った。
ぶきみな雰囲気の室内に、しばらく笑い声が響き渡る。こちらの反応がないことに気づくと、スマイリーは急に笑うのをやめた。
「おや、驚かないな。冷静すぎるのもあまり面白くないぞ。まあ、緊張するのも無理はないが……私が作ったオリジナルのカクテルでも振舞おうか? いや、あまり気が進まないようだ。ハッハッハ」
シルヴィは、小柄なパートナーの姿を思い出した。
目の前の、この異様に陽気で笑い続ける男が、ほかでもないチューミーの復讐相手なのだ。
パートナーの持っていた本来の性格を破壊し、人道を外れた冷徹さを形成した元凶に対して、シルヴィは怒気の籠った視線を向ける。
「まあいい。ともあれ、この人の形をしたスナダカ鳥だが、どうしてあの獰猛な害鳥がこうもおとなしくてしているかというとわけがあるのだ」
スマイリーはこちらの心境など気づいてもおらず、こう口にした。
「私の唯一信頼の置く友人……きみをここまでさらってきてくれた、モンステルという男だが、彼には優れた調教の才能があってね。スナダカ鳥の精神を宿した人間を、このように完璧に手なずけることができるのさ。ハハハ、愉快だろう?」
シルヴィは今いちど、表情の失った犠牲者たちの顔を覗いた。
どの顔も、ロウノから押収したスマイリーのリストに掲載されていた人物として見覚えがあった。
スマイリーに売られた人間は、死ぬよりもおそろしい目に遭わされる、というマザーの言葉を思い出した。どうやら、噂に間違いはなかったらしい。
「スマイリー、あなたの目的は、いったいなに? あなたのリストの人物というのは、どういう基準で選ばれているの?」
それは同時に、いったい自分がなにをしたのか、という意味の質問だった。
「一八六人」
スマイリーが、くるりと振り向いて言う。
「きみで、一八六人目だ。アルミラ・M・ミラー君」
「な、なんの数字……?」
「私の、復讐相手のさ」
スマイリーは腰を折ると、シルヴィの眼前に顔を近づけた。
「私はね、きみが憎くて、憎くて、しかたないのさ。だから、ただ殺すなんてつまらないことは、ぜったいにしない。きみが、泣き喚き、許しを乞い、懺悔して、絶望するさまを見て、私は今よりもっと、笑いたいんだ……」
スマイリーの声色が、急転直下で変化した。
突然、裸足で氷の上に放られたように、シルヴィの足元が冷えた。
「本当は、きみの父君が理想だった。なぜ、殺されてしまったのか……くそ、私としたことが先を越された。一年前のあの日は、思い出すと、笑顔が……ああ、よろしくない。笑わなければ……ハ、ハハ、ハハハ、ハハハハ」
狂っている――
これまで、それなりに犯罪者に接してきたシルヴィだったが、他の追随を許さないスマイリーの狂気に、戦慄を覚えるのを隠せなかった。
「わたしの父が……ミラー家が、あなたになにをしたというのよ」
「すまないな、アルミラ君。きみの質問に答える気はない。いや、正確には答えてやりたいし、なんなら食事でもしながらじっくり君の話も聞きたいが……そろそろ、我慢ができない。いかんね、年々こらえ性がなくなって。ハッハッハッ」
スマイリーは人形たちを指して続けた。
「ところで、きみはどうしたい? きみの魂の遊びかただが、さまざまな方法がある。十八番街の浮浪者の身体と交換するのもよし、スナダカ鳥に入れて飼うのもよしだ。……どちらがお望みだ?」
スマイリーがひとりの中年の肩を叩くと、彼は立ち上がった。
幽霊のような無表情で歩みよってきて、シルヴィの前に立つ。
シルヴィはどうにかして脱出しようと試みるが、かたい拘束が解けるはずもなかった。
人格の交換は、予告されてみると、ただ銃や刃物を突き付けられるよりも、遥かに深い恐怖を感じた。
スマイリーはきっと、まるで玩具でひとり遊びでもするかのように自分を弄ぶのだろう。
シルヴィは、九龍アパートの倒壊で、瓦礫に埋もれていく最中のパートナーの姿を思い浮かべた。
スマイリーに復讐するためだけに、これまで過酷な道を歩んできたチューミーが、あれしきのことで死ぬはずがないと思った。
シルヴィは、その背景を知った彼の、これまでの険しい一人旅を想像する。
どれだけ強くても、なんの身分も持たない少女の身体には違いなかっただろう。
偉大都市の裏社会で単身活動し、ボッチと取り引きをして、なにを賭してもこの粛清案件に加わり、今日を迎えた、その長い道のりを考える。
シルヴィは、チューミーの素性を知った時、彼のまともな臨時パートナーとして、その目的に協力してやりたいと素直に思っていた。
そして万事うまくいけば、これまでずっと、ひとりぼっちで居続けなければならなかった彼に、正式に思いのうちを告げるつもりでいた。
けっきょく、それは叶わず――自分はこれまでかもしれないが、チューミーは必ず再起して、どんな手段を使ってもスマイリーに辿りつくはずだと信じていた。
だから、シルヴィも笑ったのだった。
鏡面マスクの下、フフ、とかすかに声が漏れる。
すると、スマイリーは意外そうな反応をした。
「おや、この場面で笑うケースは初めてだな。ハハハ。もう少しあとの段になれば、こわすぎて笑っちゃう、って者はそれなりにはいたが」
「今はせいぜい、笑っているといいわ、スマイリー。でもあなた、近いうちに殺されるわよ」
「ほおお」
意表をつく言葉に、スマイリーはおどけるように両手を広げた。
「それは本当かね? だれにかな。つぎなる粛清官か、それともミラー家の使用人か? いや、それはないな。古くより勤めていた使用人は、大半が例の事件で死んだという話だったからな……とすると、だれだ?」
「チューミーよ」
「本当にだれだ?」
「スマイリー。あなたは人の心を……魂を弄んで生きてきた。その背景は知らないけれど、どうあっても許されることじゃないわ。そして、だからこそ報いを受ける。あなたは、自分の業が生み出した人によって殺されるのよ」
スマイルマークが、鏡張りのマスクを見つめた。
強気な令嬢が虚勢を張っているのかどうか、真意を探る様子だった。
わずか、黙ったあと――
スマイリーは、弾けたように笑った。
「ハハハッハッ! 前言撤回だ。やはりミラー家当主よりも、アルミラ君の方が、より良い復讐相手かもしれん。なんせ、非常に面白い話だ。まずはきみが激しく狼狽するさまを眺めながら、より楽しく拝聴することにしよう」
スマイリーがインジェクターを起動しようとした。
そのときだった。
バタン、と部屋の扉が開いた。二人が見ると、そこには寡黙な巨漢が立っていた。
「どうした? モンステル。呼んでいないときに来るとは珍しいが……」
モンステルが、黙って階上を指差した。
それから、二本指を立てる。彼はどうやら無口なのではなく、そもそも話すことができない様子だったが、とにかくなんらかの異常事態を伝えていた。
「なに、だれかがここに侵入している? ハハハ、どうせまた浮浪者のたぐいだろう。それならば、自動的にカタがつくさ」
しかし、モンステルは首を振ってスマイリーの発言を否定した。
スマイリーよりも先に、シルヴィが直感で事情を察する。このタイミングということは、考えられるのはひとつだった。
「あら、だれかお客さん? だとしたらきっと、今わたしが言った人ね。チューミーは、強いわよ。真っ向から戦えば、あなたたちなんか目じゃないわ」
諦念の浮かんでいたシルヴィの表情に、にわかに生気が宿った。
「残念だったわね、スマイリー。御託を並べずにさっさと進めていれば、最後にわたしをどうこうするくらいはできたかもしれなかったのに」
意図を計りかねるかのように、スマイリーはこちらに目線を向けた。
「意味がわからないかしら? あなたは今日で終わり、って言っているのよ」
そのとき、スマイルマークの向こう側の笑顔が、はたと消えたのが伝わった。
スマイリーが、細い腕を頭上に振り上げた。
握り拳で殴りつけられるかとシルヴィが思った直後、すっ、とスマイリーは帽子のつばを持って、その位置を正した。
「アルミラ君。なにか勘違いしているようだから、断っておくが。べつに、この場所にだれかが来たからといって、それでなにかが変わるわけではない。きみに希望など、ほんのわずかにも残されていないよ」
スマイリーが扉のほうに向かった。モンステルと並ぶと、出て行く前に振り向いて言う。
「ただ、様子を見る必要があるのは確かだ。きみは、ここで少し待っていたまえ。ああ、それから、もうだれと換わりたいかを考える必要はない。代わりに、あらゆる精神的な苦痛を想像しておいてほしい。必ず、私がその上を与えると約束しよう。ちなみに、私はこれまでいちども約束を破ったことはないが……それも、すぐに身に染みて理解することになるさ。――モンステル!」
パチンッ! とスマイリーが指を弾く。
ふたりの男が、部屋を出て行った。
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