1-10

 部屋に入るなり、腹の虫がグウグウと威勢よく鳴いた。


 思えば今日も朝から何も食べていない。不規則な生活をしていると、まず食事を摂ることを忘れてしまう。腹が減っては戦はできぬ、戦の予定は無いがとりあえず夕食を摂ることにした。


 マシロは冷凍庫にギチギチに詰まった冷凍パンの耳を一袋手に取った。凍ったそれらを耐熱皿に並べ、電子レンジで温める。以上である。


 焼かないのか? 揚げないのか? せめて砂糖か何かをかけろという声が聞こえてくるが、マシロのずぼらさと適当さは筋金入りである。彼女の辞書に料理という二文字は掲載されていない。


 彼女は金欠で困り果てた時などは、この温めただけのパンの耳で一日一食、一か月間乗り切ることもある。


 マシロはホカホカと湯気が立ち上る皿と水道水が入ったコップを座卓に置き、質素な夕食の時間を迎えた。KUDOUベーカリーのパンの耳は絶品であるが、流石に二年間ほぼ毎日食べ続けていてはその感動も薄れている。


 彼女はパンの耳を一口食み、たっぷりと時間をかけて咀嚼する。固いパンの耳を口腔ですり潰し、ドロドロのゲル状になるまで嚙んだ後に、水道水と一緒に流し込む。こうしてよく噛むことによって自身の満腹中枢を騙すことにより、少ない食事量で十分な満足感を得ることができるのだ。


 少なくともマシロはそう思っている、思い込んでいる。


 パンをドロドロにする作業をしながら、マシロは部屋の中を見渡した。


 そして、


「はあ、美味しいなぁ。ここのパンは耳まで美味しいなぁ」


 言いながら、チラチラと視線を泳がせた。


「これを独り占めするなんて勿体ないなぁ、誰か一緒に食べてくれたらもっと美味しいのに」


 言いながら、チラチラと視線を泳がせた。


「いつも独りで食事、寂しいなぁ。誰か話し相手になってくれないかなぁ」


 言いながら、チラチラと視線を泳がせた。


 と、ガラクタの山の中からカスタネットが一つ、転がり出でた。カスタネットはドロンを白い煙を上げて、一匹のタヌキへと姿を変えた。ポン四郎である。ポン四郎は怪訝な表情で、へらへらと笑っているマシロの顔を睨んだ。


「用があるなら、普通に声をかけてほしいんですけど?」


「あ、いや、部屋に居るか分からなかったもんで……」


 ポン四郎は短い足でポテポテと歩き、座卓を挟んでマシロと向かい合って座った。腰を下したポン四郎に「どうぞどうぞ」と、マシロはパンの耳を勧めた。


 これはどうもと頭を下げて、ポン四郎はパンの耳を手に取った。


「ところでお姉さんさ、いつもこんな生活してるの?」


「マシロ、です」


 言いながら、マシロは自身を指さした。


「名前、一戸マシロです」


「はあ……。じゃあ、マシロさんはいつもこんな生活してるの?」


「こんな、とは?」


「目覚まし時計もかけないで昼まで寝て、出かけたと思えば夜まで散策してるだけだし、食事はパンの耳だけだし。マシロさんはいつも、こんな破滅的な生活を営んでいるの?」


 そう言って、ポン四郎はパンの耳を頬張った。「美味しいなコレ」と呟いて、タヌキは短い前足を伸ばして二本目のパンの耳を手に取った。


 問われたマシロは、心に深刻なダメージを受けていた。ポン四郎の言う通り破滅的なのだが、冷ややかな声で改めて言われると身に詰まるものがある。胸を押さえながらマシロはへらへらと笑った。


「いつも、じゃ、ないんっすけど、ハハハ、たまたま、たまたま……今日は……」


「ふーん」


 とりえず相槌を打っているが、ポン四郎の顔には疑いの念が色濃く出ていた。実は昨晩、マシロが寝静まった後に、ポン四郎は部屋の中を物色していた。彼女を監視するにあたり部屋にどんな物があるのか、潜伏するのに適した場所はないか、マシロが外部と連絡手段は何があるのか調べるためだ。


 色々と見て回った結果、この部屋はとにかく物が多く、それらがまるで統一感が無く渾然一体になっているという事が分かった。どう考えても暇を持て余して様々な物に手を出しては飽き、手を出しては飽きるという事を繰り返している人間の部屋で、まともな生活を送っているようには到底見えなかったのだが、それを言葉にしないのはポン四郎の優しさである。彼は紳士であった。


「それで、そんなマシロさんは私になんのご用で?」


「あ、あの、話し相手が、ほんとに、欲しかったんです。いつも、独りで食事してるので」


 マシロの言葉を聞いて、ポン四郎は眉間に皺を寄せた。


「忘れてはいないと思うけど、アンタ私に監視されているんだよ? 監視されてる相手と仲良く食卓を囲んで、会食しましょうって言いたいんですか?」


「屋外だったら、難しいかも、ですけど。部屋の中だったらいいじゃないですか、私たち二人きりだし。一緒にご飯食べてても、その、監視、できるじゃないですか」


 ポン四郎は眉間の皺をさらに濃くした。マシロの言葉に嘘は無い。この物で溢れ返った六畳一間で、食卓に着いていようがいまいが彼我の物理的な距離に違いは無い。さらに彼女の言うとおり、一緒に食事をしていても監視はできる。


「なるほどな、とりあえず、納得しておきましょう。それでこの化け狸と会話して、一体何が聞きたいのかな? 変化の術でも教えてもらいたいんですか?」


 言いながら、ポン四郎は三本目のパンの耳に手を伸ばした。ポン四郎との会話を望み、何を得ようとしているのか。核心に迫った質問にマシロは居住まいを正した。


「あの、昨日チラッと聞こえたんですけど、ポン四郎さんたちって、何か、その、うまく言えないですけど、何か大きな事、しようとしてるんですよね? それってどんな……」


「ストップ」


 言葉を重ねようとするマシロを、ポン四郎は手で制した。


 ポン四郎はようやく得心がいった。目の前に座っているこの人間は、自分達化け狸兄弟やザリガニ男達が一体何をしようとしているのか聞き出そうとしているのだ。このパンの耳は、お近づきの印というやつだろう。なお、費用はゼロ円である。


 それを聞いてマシロは何がしたいのか、自分達から情報を集めて警察にタレこむつもりなのか。ポン四郎は思案してみたが、目の前の人間がそういった策を弄するようなタイプにはどうしても思えない。


 ポン四郎は化け狸である。化け狸は人を化かすのが本分であり、人を化かすから化け狸なのである。人を化かす以上、彼らは人の心を読むことに長けていた。


 ポン四郎はマシロの語調や所作をつぶさに観察していたが、コチラを騙そうとか出し抜こうとかいう気配は感じられなかった。今こうして質問しているのは、純粋な興味からくるものであろう。


「いいかい、マシロさんよく聞きな」


 故に、ポン四郎はマシロの質問を諫める事にした。


「昨日ザリガニ男さんが言った通り、貴方が大人しくしている以上コチラは危害を加えないし、事が済めば私はこの部屋から出て行って、貴方は一昨日までの日常に戻れる。つまり、貴方にとっての最善は、何もせず、何も知らず大人しくしている事だ」


「それだと困るんです」


 食い気味に放たれた言葉に、ポン四郎は虚を突かれた。


「な、なんだって?」


「今まで通りの日常に戻ると、困るんです。それだと困るんです」


 マシロの言葉に先ほどまでのオドオドとした感じはまるでない。相変わらずのか細い声だが、その言葉は真っすぐで迷いが無い。一瞬気圧されたポン四郎だったが、さらに言葉を重ねる。


「あのね、マシロさん。もし万が一警察やギャラティカルセブンに目をつけられた時、何も知らない怪人に脅されていただけの今の貴方なら保護してもらえる。でもね、その一線を超えてしまったら、私達の計画の内容を聞いてしまったら、貴方は怪人の関係者としてエージェントから厳しい尋問をうける事になるんだ。興味本位でそんな事を聞いたらダメだ」


「それでも良いですよ」


「なんて?」


 マシロはポン四郎の目を真っすぐに見ていた。彼女は不健康で青白い顔をしてるが、両の目だけが獲物を狙う肉食獣のそれのようにギラギラとしていた。その瞳に射すくめられ、ポン四郎は背中の毛が逆立った。


「皆さんの仕事を手伝わせてください。私を、皆さんの仲間に入れてください」


 マシロの口から放たれた予想外の言葉に、ポン四郎は手に持っていたパンの耳を取りこぼした。

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