幻想インベイディド
右中桂示
第一章 ボーイ ミーツ シューティングスター
第1話 海に生きる火龍の子
何処までも続く青い空。果てのない青い海。
その青い空間で否応なく目立つのが、陽光に鱗を煌めかせる真っ赤な
そして鞍には乗り手の少年。
金の瞳。潮焼けした肌とそれなりに締まった筋肉、精悍と言うには若すぎる顔。海の男へのなりかけといった風情の、正に少年である。
愛竜に空を旋回させながら彼──ハイトがじっと睨んでいるのは、漁の仕掛けの目印である浮き。仕掛けに誘われた魚とそれを狙う海鳥が集まる海面だった。普段ならとっくに網を回収しているところだが、今日の獲物は違う。特別な漁だったのだ。
それが、ようやく来た。
不意に表れた影に気づき、喜色を湛えて叫ぶ。
「………………来た!」
それから急いで手にしたのは、翼竜の骨を用いて作られた笛。決められた旋律を吹き、他の仕掛けを見ている仲間の漁師を呼んだ。
しかし彼らが到着するより早く、ハイトは一人と一頭で動き出す。
「……行くぞローズ!」
緊張の面持ちで降下する先では、海を割って影がその正体をあらわにしていた。
小島のような、丸みを帯びた体。一本一本が大の大人以上もある、吸盤の付いた足。翼竜よりも遥かに巨大な生物。
海の怪物、恐るべき魔物。クラーケンである。
「っ! ……ローズ!」
初めて見る威容を目の辺りにし、ひきつった顔で息を呑むハイト。しかし愛竜の名を叫び、直ぐに気合いを入れ直した。
彼は若くも一人の漁師として、果敢に挑む。
速度を上げて一直線に急降下。標的が餌に夢中になっている内に集中。狙いを定め、飛行の勢いを乗せ、深々と銛を突き込んだ。
手応えあり。通過して再び上昇しながら口を緩める。
その緩んだ隙を、彼並みに大きい足が襲った。
「危なっ!?」
至近距離の暴威。間一髪でかわし、なんとか体勢を立て直す。
遅れて来た恐怖に心臓が暴れ、しかし成功した事による喜びもある。どちらにせよ平常とは言えない。安全な空中で乱れる息を整える必要があった。
ただ、そうしているところに、突然怒号が飛んできた。
「何やってやがる! そんぐれえの腕で勝手に先走んな半人前が!」
「うるせえ親父! そっちこそトロいんじゃねえのか!?」
「はんっ! 口だけの半人前は引っ込んでな!」
逞しい肉体に潮焼けした肌、ハイトに似ている顔立ちの彼は父親のイーサンだった。互いに宙で翼竜に乗りながらの親子喧嘩である。
そんな騒がしい父親に続き、他の先輩漁師達も苦笑いと共に到着した。
「とにかく見てろ! これじゃもう無理だろが」
「……分かったよ」
父親の言に渋々ながら納得するハイト。
クラーケンはハイトの一撃により警戒し、空中へその巨大な足を伸ばしている。この状態に突き進む実力は、半人前の彼にはまだなかったのだ。
それを頭であるイーサンを先頭に、先輩達は易々とやってのける。
安全な道を見極め、その通りに辿る。単純に言ってしまえばそれだけなのだが、当然至難の技だ。
死をもたらす腕を恐れず、軽やかに相棒と空を駆けては銛を突き込む。それも翼竜と繋がる縄が結ばれたもので、刺さった数が増える毎に飛行し辛くなっていくのにもかかわらず、だ。
端から見れば危険な場面は多々あるのだが、当人達は楽しげですらある。
時に旋回し、時に宙返りし、時に風より速く加速して、足を潜り抜けていくのだ。
「……確かに、まだまだだな」
見れば見るほど思い知る己の未熟。だが落ち込んではいられない。むしろ燃え、せめて技術を盗もうと熱心に注目していた。
やがてイーサンが笛を吹き、漁師達の動きが変わる。
今までに突いた銛によって、今やクラーケンは数々の翼竜と繋がっている。それを使い、漁の本番を始めるのだ。
ハイトもまた、先輩の銛とクラーケンを繋ぐ縄の一本を掴んだ。
そうして準備が整ったところで、頭目が新たな指示を出す。
「っしゃ! ドンドンッ、ソーラァ!」
「ドンドンッ、ソーラァ!」
「おれたちゃ
「魚も
縄を引きながら口を揃えて歌う、漁師歌。
力強く勇壮なそれは、単に己を鼓舞するだけでなく、仲間達の息を合わせる為の導でもある。翼竜の羽ばたきと縄を引く時機を、頭目の歌の拍子で調整するのだ。
人と翼竜。人と人。全てが一体とならなければ、ちっぽけな漁師達は強大なクラーケンには渡り合えない。その為に編み出された知恵だ。
クラーケンを海底へ逃がさずに疲れさせ切るまで、引っ張り合いは続けられる。その間は常に精神の張り詰めた耐久戦。
彼らにとっては、一種の神聖な戦いであった。
しかし、その時間に、思いもよらぬ所から水が差されたのだった。
「…………ローズ?」
突然空を見上げた愛竜の様子を訝るハイト。
見渡せば他の翼竜も同様だった。クラーケンすら今しがた戦っていた漁師達よりも、遥かに上空の方を警戒している気配がある。
そこで遅れて、気づく。
確かに、何かが、空から来ていた。
上空にある小さな点。それがどんどん見やすく、大きくなっている。つまりは猛烈な速度で、何かが迫ってきていた。
「お前ら引けえぇぇぇっ!」
切迫感のある号令が轟く。
瞬間、全員が縄を切り離して必死にクラーケンから離れていった。
一目散に逃げ、見苦しく逃げ、そして、爆音。
「うおおおおおぉぉぉっ!?」
とてつもない衝撃が、盛大に海水を跳ね上げる。それは広範囲にまで届く突発的な土砂降りになり、漁師達をズブ濡れにする。
海からのにわか雨は当然すぐに止む。それでも尚、どよめきは収まらず、逃げ続ける者もいた。誰もが初めての経験に混乱していたのだ。
そこへ響く、高らかな笛の音。
イーサンが吹いた、聞きなれた音色が漁師達の平常心を呼び覚ます。
やがて混乱は収まり、揃って流星が落下してきた地点へ戻っていく。
そこには動かなくなったクラーケンと、流星ーー空から降ってきた見慣れぬ物体があった。
それは翼竜より二回り程大きく、表面は金属質であり、形は太った鳥のような物だった。青の世界に似つかわしくない、落ちてきた星にも見えない、明らかな人工物である。
漁師達が不安げに興味深げに観察する中、流星の一部が、扉のように開いた。
そして、人影が内部から姿を現す。
それが漁師達をポカンとさせた。
妙に膨らんだ見慣れない素材の服に、大きな頭には布や革ではない硬質な素材の帽子を身に付けている。その姿は人だが、顔は人とは呼べない異形だった。
大きな瞳はほとんどが黒目。丸く妙にツルツルした顔は青みがかった白。誰もが見た事もない珍妙な存在が姿を現したのだ。
「……なんだこりゃ?」
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