第35話

 塔から外を眺めていた時間は、せいぜい五分くらいだっただろう。だが、アドニスにとってそれは、濃密でゆったりとした時間の流れに思えた。気のせいだろうが。

 ただ、他三人の穏やかな表情、風を受けた時のすやすや眠る子どものような顔。あれらは彼の脳裏に強く焼き付いた。


「さて、そろそろ灯晶を探しに行こうか」


 オレスが提案すると、皆は早速手分けして灯晶を探すことにした。

 冥霧がなくなった今、危険はないと思われたが、念には念を入れ二組で行動することになった。アドニスの相手はペイルだ。因みに、導灯盤は個々の灯晶に反応することはないらしい。完全に手探りのスタートであった。


「あった! あったよ!」


 ペイルがそう叫んだのは、探索開始から三時間あまり経った頃。当初から、灯晶は王宮等の重要施設に保管されているだろうと当たりを付けていたが、それが見事に的中した。

 場所は半壊した王宮の地下。おそらく灯晶を保管するためだけに作られた部屋で、堅牢な扉によって塞がれていた。長い間、誰も足を踏み入れていなかったようで、落盤した瓦礫にすら埃が積もっていた。


「かなりあるな」


 部屋には、扉の面を除いた壁面に、数段の棚が設置されていた。そこに灯晶が一つ一つ大事そうに置かれていたのだ。

 数は合計五十個程。形は疎らで、角ばったものから、まん丸なものまで。色は総じて乳白色だが、光の反射で表面が虹色に見えた。

 アドニスは他の二人を呼ぶと、途中で見つけた麻袋に灯晶を詰め込んだ。


「これで足りるか?」

「はい! これだけあれば、十分過ぎるくらいです! エルピスもきっと認めてくれます!」


 サラは興奮気味に言った。

 それから、他に有用な物がないか探してから、アドニスたちはコリントを出ることにした。先に進むのは後回しだ。すぐには進めない理由もある。

 最初に通った門ーー 地図には東門と載っていたーー に到達する。ちょうど門を潜くぐった先が冥霧との境界線だ。


「今更だけど、そのアルカ隊長の言葉、信じてもいいのかな…… ? たしかに、あの人ってかなり発言力はあったはずだけど……」


 ペイルが不安そうに尋ねる。


「かと言って、ここで五人だけの国を興す訳にもいかないでしょ?」


 オレスの言葉に、ペイルはぎくりとする。

 おそらく、ここで生活することも可能だろう。冥霧の方から食料や水は調達できるし。だが、誰も安住の地を求めてここまで来たのではない。


「あいつは一度約束を守ってくれた。今回も守ってくれるはずだ」

「私もあの方の言葉を信じています。いつもヘラヘラしてますが、やる時はやる方ですから」


 アドニスとサラがアルカを支持する。それで、心配性のペイルも、納得したように頷いた。


「そうだね…… 二人を助けないと」

「ああ、ここで立ち止まる訳にはいかない」


 アドニスたちは揃って冥霧の中へと踏み出した。

 城壁の手前では、ラードーンが退屈そうに皆が来るのを待っていた。光を灯す前に、安全圏まで退避させておいたのだ。その背中からは、あの丸い冥獣が飛び出してきた。


「ミロ」


 ミロはアドニスの足を上り、リゼの下へとたどり着く。相当懐かれたらしい。


「そいつはどうする?」

「リゼが飼う」


 即答だ。

 それを聞いて、微妙な顔をするサラ。


「で、ですが、それって元は人間なのでは……」

「えぇ!? 人間!?」


 腰を抜かす勢いで驚いた後、ペイルはなんだか物凄い形相でミロに近づく。


「そ、それ、ちょっと僕にも触らせてくれない…… ? 本当にちょっとだけ…… 優しくするからさ…… あ、僕小さい頃何て呼ばれてたか知ってる…… ? "組み手で虫に負けそうな人"、ほら大丈夫でしょ…… ?」


 ゆっくりと接近するペイルだが、その指だけは一本一本高速でうねっている。


「うわ……」


 かつてないほどドン引きするリゼ。


「その変態的な動作でリゼさんに近づかないでください。それ以上こちらに近づいたら、あなたの身柄を拘束します」

「ち、違う、誤解だよ! 僕はあくまで紳士的に動いてただけで! どこにも変態要素はない!」

「では、その指の動きは何ですか?」


 サラに指摘されると、ペイルは「はっ!?」と愕然とした様子で自分の手を見た。


「そんな…… ! 僕は一体いつから…… !」

「さあ、自分の本心をここで白状してください。そうすれば、罪は軽くなりますから」

「ぼ、僕はあの冥獣を、自分の欲望のままにこねくり回したいと、そう思ってしまいました……」


 ペイルはその場で崩れ落ちる。そこへ、サラが何やら諌めるように声をかけている。


「あいつらが何をしてるのか、俺には理解できない」

「大丈夫。僕にもわからないから」


 オレスはお手上げといった様子。


「ねえ、あれは僕が適当に言ったことだよ。何の根拠もない。それなのに、姫君はすごく清い心の持ち主だね」

「き、貴様は…… !」


 サラは悔しそうに唇を噛んだ。だが、当初二人の間にあった、剣呑けんのんな雰囲気はすっかり払拭されていた。


「ママ、飼っていい?」

「いいだろう。だが、しっかり育てろ」

「うん!」


 リゼは心持ち明るい声で答えた。

 その直後、急激に視線が下がる。ガタンという音と共に、降下は収まった。


「ママ?」

「俺も灯晶術を使い過ぎたか」


 灯晶術で補っていた手足が消えてしまったのだ。思考が弱まったのが原因か。

 急きょ、アドニスを担ぐ係がペイルに、リゼを背負う係がオレスに決まった。


 それからすぐにラードーンに乗り込むと、今まで来た道を引き返していく。エルピスまでの道のりは大体わかっているため、行きよりも順調な進み具合だ。それに、陰鬱とした薄闇の中でも、この五人にはそれを感じさせない程に溌溂はつらつとしていた。

 最初は脆く儚げだった希望が、往復の間に、随分と大きく育ったものだ。


 ほんの三日程で、エルピス付近まで来た。休息の時間を極力省いたため、ここまで日にちを短縮できたのだ。


「導灯盤が反応しました!」


 サラが告げる。

 導灯盤内の光虫がのっそりと動いている。エルピスまでもう数キロ圏内だ。


「見えてきた! 光だ!」


 ペイルが指差す。

 その先には、光の柱。コリントのものとは比べ物にならない程巨大だ。

 あの向こうで、アルネブとローザが待っている。


 アドニスたちはラードーンから降りると、光の方へと進む。皆がお互いの顔を見合わせると、力強く頷いた。

 そして、光の中へと入る。

 鮮烈な光に目が慣れてくる。草原の奥にそびえる、高い高い城壁。初めてここに来た日のことが思い出される。


「し、侵入者だ!」


 壁の方から、男のがなり声。

 壁の隙間からは、慌ただしく矢の先端が顔を出した。以前よりも対応が早い。


「いや、よく見ろ! あの男の格好、騎士団のものではないか!」

「本当だ! あれは…… 逃亡したはずのサラ・フラム、ペイル・ミセルフ! それに、囚人のオレス・ティアーズもいるぞ!」


 騒がしくなった壁の方へ、サラが一歩踏み出した。


「あの、聞いてください! 我々に敵意はありません! エルピスへの忠心も消えてはいません! その証拠に、この袋の中には灯晶が入っています! ですから、どうかお話をーー」

「黙れ! 貴様ら、そこを動くなよ! 一歩でも動けば、この場で射殺するぞ!」


 向こうは取り付く島もない。


「鐘だ! 急いで鐘を鳴らせ!」


 男が命令したすぐ後、甲高い鐘の音が四度響き渡る。その音が届いたらしく、二層、一層の壁からも同様の音が連鎖的に鳴る。

 皆の顔に緊張の色が表れる。ペイルに至っては、また腹痛を起こしたらしい。

 最悪の事態に備えて、すぐ一歩引けば冥霧に戻れる位置にはいるが。果たして、どうなるのか。


「今の鐘の音は?」


 アドニスが尋ねる。


「半鐘が四回…… たしか、緊急性を要する事態を知らせる時の音です。敵襲の際は三度の半鐘なので、とりあえず敵とは見なされていないようですが……」


 サラが答えた直後。今度は一層の方から重い鐘の音が下ってきた。回数は、こちらも四回。先程とは異なる種類の鐘だ。

 彼女の目が見開く。


「今の音は…… !」

「なんだ?」

「三層会議…… つまり、この国の需要事項を決める際に開かれる会議。それの招集に関する鐘の音です。ただ、四回鳴るのは初めてで……」


 壁の方でも、さっきまでの怒号はすっかり鳴り止み、なんだか忙しなく動き回っているのがわかる。


「その会議内容っていうのが、僕たちのことだろうね」

「おそらくは……」


 と、正面にある門の隣。そこにある小さな鉄扉が、そっと開いた。そこから出てきたのは、白髪の老騎士。


「サラ・フラム、ペイル・ミセルフ、オレス・ティアーズ、それからそちらの両名もこちらへ」


 老騎士は慇懃な口調でそう言う。


「そっちに行ったら殺されるとか、そういう罠じゃないよね?」


 オレスが軽い調子で聞く。


「その点に関しては心配無用だ。デルファイ・エルピス様の寛大なお取り計らいにより、今述べた五名及び収監中の二名の命については、会議の決断が為されるまで保証されている」

「収監中の二名って…… !」


 今まで顔色の悪かったペイルが、急に声を上げる。老騎士は何も答えないが、アルネブたちのことと見て間違いないだろう。


「なるほどね。その決断の如何によっては、僕たちは死んじゃうかもしれない」

「当然だ。貴君らは現在、反逆罪、灯晶術の無断使用等、複数の疑いが掛けられている。本来ならば、第三層の管轄区域であるここにいる時点で、貴君らは即刻殺されていても文句は言えない。自分の立場を弁えることだ」


 老騎士はにべもない。


「だってさ」

「それなら、進むしかないな」


 アドニスが真っ先に答える。


「そ、そうだ。僕たちが行かなきゃ、隊長と先輩は助けられない。僕たちはそのために戻って来たんだ。進むしかないよね…… !」

「端から、ここまで来て引き返すつもりはありません。それに、皆と一緒なら怖いものなど何もありません。進みましょう」


 ボロボロの姿とは正反対に、太陽の光を受けた皆の顔には、爽やかな力がみなぎっていた。踏み出された一歩は力強く、何の迷いもない。行進する彼らの後ろ姿は、まさしく凱旋を果たした英雄たちのそれであった。


 扉の方まで近づくと、数人の騎士に取り囲まれ、全員に手枷を付けられた。オレスだけは猿ぐつわを追加だ。

 扉の向こう側は、すぐ地下へと続く階段になっていた。それを下り切ると、今度は狭い地下道をしばらく進む。そして、ようやく上り階段。

 上がった先には、木製の箱型ゴンドラが、蛇腹式の鉄扉を開き待ち受けていた。各階層の中心部には穴が空いていて、そこからゴンドラで上下に移動する仕組みのようだ。扉には隙間があって、そこから外の広大な土地が一望できる。それに揺られること数分。

 扉が開くと、老騎士の後に続き一列に進む。前後左右に騎士がぴったり付いていて、逃げる隙はない。

 それから馬車に乗り継ぎ、ようやく一つの建物の前に到着した。


「エルピス宮殿……」


 サラがポツリと呟く。

 第一層の中心部に建つ、異彩を放つ立派な宮殿。ちょうど大地の穴の縁に沿って建っているらしい。迫り出した正面玄関から、弧を描くように左右の壁が伸びている。

 そして、その穴の上にはもう一つ大地が存在し、そこに一回り小さな宮殿がある。二つの宮殿の間には一本のロープが張られ、専用のゴンドラのみで行き来できるようになっているらしい。

 あの中に、エルピスの王がいるのか。


「ここからはくれぐれも粗相のないように。印象を悪くすれば、それだけ自分の首を絞めることになる」


 壮大な庭園を通り抜け、正面玄関から中に入る。それから一度客間のような所で待機させられ、数十分後にまた移動が始まった。一階の長い廊下を渡り、途中の両扉の前で止まる。

 老騎士が合図すると、扉が開かれた。部屋の中からは、多くの人がざわめく音。

 アドニスたちは、部屋中央にある演台の前に並ばされた。左右には階段状に座席が設置され、その全てが人で埋まっている。そして、前方には長い階段が伸びていて、その先に豪奢な椅子。そこに座し、こちらを冷たい目で見下ろしている人物。あれこそがデルファイ・エルピスだろう。


「皆さま! 静粛に願います!」


 なんだか芝居がかった、よく通る男の声によって辺りは静かになる。聞いたことのある声だ。

 見てみると、王の脇に立っていたのはアルカであった。彼はこちらの視線に気づくと、小さくウィンクをした。そんな彼の反対側には、背の高いネレウスの姿も。


「それでは、これより反逆の嫌疑がかかった七名の処遇に関する、臨時会を始めさせていただきます」


 アルカの宣言で、三層会議が幕を開けた。

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