第25話

 大通りをしばらく進むと、辿り着いたのは町の端っこ。転落防止用の柵もなく足場が途絶え、先にはただ何もない空間が広がっている。


「ミロ、誰もいない」


 "冥獣"では呼びづらいので、リゼはそれのことをミロと呼ぶことにした。名前に特に意味はない。

 ミロはさらに奥を指す。


「ん? あっち、何もない」


 いや、よく見ると、ミロの脚はとある方に向いていた。足場の切れ目ギリギリの所にある直方体の石碑だ。

 近づいてみると、その上部の表面に三日月のような刻印があることに気づく。


「何これ?」


 試しにその部分に触れてみる。すると、刻印が黒く光を放った。続いて起こったことに、リゼは目を剥いた。


「なに…… ?」


 石碑の前方にある足場の端から、いくつもの岩がツタのように絡み合いながら、奥へと伸び始めたのだ。それはしばらく伸び続け、ついには視界の利かない冥霧の暗闇を貫通していった。

 できあがったのは、長い長い橋。


「この向こう、おっさんたち、いる…… ?」


 リゼは橋へ軽やかな一歩を踏み出した。


 かなりの距離を歩いた気がする。

 だが、一向に終わりが見えてこない。それに、この橋は横幅が狭く、足元はでこぼこしている。つまずきでもしたら、最悪遥か下に真っ逆さまだ。

 それでも、ミロが一緒にいると、心細さは感じなかった。

 それからしばらくして。


「わあ」


 見えてくる橋の終わり。

 そして、その奥には荘厳な城門がそびえ立つ。左右からは高い壁が真っ直ぐ伸びている。

 

「ここがコリント?」


 当初アドニスたちが目指していた場所。だが、壁一面に張り付いている、太い根のようなものは何なのだろう。

 呆然とそれを眺めていると、門の方から何かが走ってきた。人のようにも見えるが。

 いや、違う。あれは二足歩行の大きな冥獣だ。

 

「あ、どうしよう……」


 ここは狭い一本道。逃げ道は後ろのみ。だが、あの速度からして、すぐに追いつかれてしまう。

 リゼは思考停止してしまい、その場で立ち尽くす。地面を踏み鳴らし、接近してくる大きな冥獣。それは大きく腕を振り上げた。彼女は堪らず目を閉じる。

 しかし、何の痛みも感じない。それどころか、冥獣の気配を真横に感じる。そちらにあの巨体が立てる空間などないはずだが。

 目を開けると、すぐ横を、冥獣が前のめりで落下していくのが見えた。


「あれ…… ?」


 何が何だかわからず、リゼは目をパチパチさせる。だが、前を向くと、なんとなく合点がいった。


「ミロ」


 そこには踏み潰されたミロの姿。リゼは急いで駆け寄り、抱き上げる。


「また、リゼのこと助けてくれた?」


 おそらく、自らが下敷きになって、あの冥獣のバランスを崩してくれたのだろう。自分より小さいのに、頼もしい味方だ。

 リゼはふと思い出して、膨らみ始めたミロの頭を撫でてやる。


「いい子いい子」


 リゼはもう冥獣がいないことを確認すると、城門を抜けた。

 視界に飛び込んできたのは、荒れ果てた町並み。あらゆる建物が倒壊している。そして、それらの上を、先程の根のような物体が縦横無尽に覆い被さっていた。

 とりあえず先へ進もうとした矢先。


「ミロ、こっち」


 リゼは突然近くの建物の残骸に向かって走る。そして、その影に身を屈め、息を潜めた。

 数秒後、地面を杖で突くような音が、何重にもなって聞こえてきた。その音は徐々に彼女の方へと近づく。そのまま建物を登っていき。


「……」


 彼女のすぐ真横で何かが動いた。見てみると、そこには節目が沢山ついた、黒光りするロープのような物が垂れている。しかも、それはうねうねと動いているではないか。

 顔を上げる。建物の上に、巨大な大顎を持つ、大量の脚がついた冥獣が見えた。垂れているのは、その触覚だ。十本以上は生えてる。


「あっーー」


 声を上げようとする手前で、ミロに口を塞がれる。

 冥獣はその長い触覚を自在に操り、リゼの周辺に這わせていく。鼻先に触れそうになるのを、彼女はすんでの所で顔を背けた。

 数十秒程して、冥獣は顔を引っ込めた。カタカタという音が段々と遠のいていく。そこでミロがようやく口から離れた。


「危なかったね」


 まだ心臓がドキドキしている。どうやら、通りを堂々と歩くのは無謀そうだ。

 リゼは建物の間の、小さな路地を進むことにした。瓦礫等が邪魔で歩きにくいが、背に腹はかえられない。

 

「おっさんたち、どこら辺にいる?」


 途中聞いてみたが、ミロ自身、王都のどこにいるかまでは知らない様子。

 この調子で本当に見つかるのだろうか。もし、駆け付けた時には、もう二人とも死んでいたら。

 だが、リゼの不安をよそに、怪しい場所はすぐに見つかった。周囲の荒廃から隔絶されたような、異質な空間。

 赤や白のドレスの縁を思わせる花々。綺麗に舗装された一本道。その先には、傷一つない白い壁の、立派な屋敷が鎮座していた。


「ここかな?」


 近くの瓦礫から顔を覗かせながら、リゼは言う。

 だが、どうなっているのか。

 美しい蝶が自由に飛び回り、どこからか鳥のさえずりが鼓膜を心地よく揺らす。冥獣の姿もなければ、大きな根っこもここには張っていない。ここだけ風化が及んでないのか、あるいは最近新しく建てられたのか。

 こんな場所に? そもそも、誰がそんなことを?

 考えていても仕方がない。


「行ってみる」


 リゼは周囲に注意を向けつつ進んだ。正面の門戸を開け、敷地内に足を入れる。手入れの行き届いた前庭。小さな池には白い翼の生えた奇妙な魚。

 何とも不思議な空間を通り抜け、彼女は玄関の両扉を開けた。


「おっさん?」


 驚くことに、中は明るかった。

 だだっ広いエントランスホール。その至る所に設置された燭台に、真新しいロウソクが燃えている。だが、そこには人っ子一人いない。代わりに奇妙な物があった。


「お人形?」


 数メートル先に、紳士らしき服を着た人形が、こちらに頭を下げていた。まるでリゼの訪問を歓迎しているかのようだ。

 他にも人形はあり、その全てが高価そうな衣服を着用している。

 

「花のおっさん」


 再度呼んでみるが、物音一つ返ってこない。やはり、ここではないのだろうか。

 と、リゼは肩に乗るミロが小刻みに震えているのに心づいた。


「どうしたの?」


 ミロの震えは止まらない。

 なんだか嫌な予感がして、リゼはミロを両手で抱えた。とりあえず探してみよう。

 まずは玄関の正面に続く部屋を見てみた。そこは大広間になっていて、大きなテーブルやら、椅子やらが整然と並んでいた。

 右側は厨房。調理器具に加え、新鮮な果物が無造作に置かれていた。気になって、鍋の蓋を開けてみると、いい匂いのする白い湯気が立ち上った。

 左側に行くと、螺旋階段が上に続いていた。他にも部屋があったが、先に上ってみることにした。

 上った先の、短い廊下に来た時のこと。


「いい匂い」


 どこからともなく、紅茶の香りが漂ってきた。廊下にある四つの扉の内、左奥の扉だけが開け放たれていた。たぶん、そこが匂いの元だ。

 リゼは誘われるように、その部屋に向かった。壁から中の様子を見てみる。

 部屋の中央には、フードを目深まぶかに被った人が椅子に座っていた。丸テーブルには、カップが二つと、薄い本が一冊。


「待ってましたよ。可愛い子」


 明るい女の声。

 その時、ミロが腕の中から飛び上がり、リゼの背中にしがみついた。ミロが怖がっているのは、どうやら彼女のようだ。


「ペットも一緒なんです? いいですよ」

「誰?」

「お話の前に。お茶にしましょ」

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