第17話

 絶えず聞こえていた喧騒は静寂に呑まれ、刺すような眩さは黒で塗りつぶされる。まるで今までのは全て夢幻だったかのよう。

 だが、三週間の内にどうにかできれば。


「これが冥霧の中……」


 真横でサラが呟く。だが、その声は弱々しく、息苦しそうだ。


「どうやら、追っ手はここまで来ないようですが……」

「どうした? 呼吸の回数が多くなってる」

「冥霧に入ると、しばらくの間、体調に異常が現れると習ったことがあります…… おそらくそれかと……」


 サラは今にも倒れてしまいそうな程にふらついている。

 だが、そんな症状は初耳だ。ウルカヌと何度も冥霧に入ったが、彼がそんな風になっている所は見たことがない。


「あぁ、最悪な気分だ。うっ、まずい、口から何かが……」


 オレスが口を広げる。大量の花が出てくる。彼はそれを手に持つと、クルリと回って、謎のポーズを取った。

 彼は大丈夫そうだ。たぶん。


「リゼ、お前は大丈夫なのか?」

「うん」


 人によって症状に差があるのだろうか。


「それで、これからどうするのかな? 三週間がどうのって、話だったけど」

「エルピスが今一番欲している物はなんだ?」

「え?」


 サラが辛そうな顔を上げる。


「エルピスで最重要の何かを大量に持ち帰れば、全て帳消しになるかもしれない。村ではそうだった」


 手土産さえあれば、村長は文句は言いつつも、大抵のことはなあなあで済ませてくれた。


「僕たちの有用性を示す訳だ。良い案なんじゃない? でも、何を持って帰ろうか」

「それなら…… 灯晶が最適ではないかと」


 サラが恐る恐る言う。


「数十年前の度重なる遠征で、灯晶の数は激減しました。灯晶は天然には存在せず、加工することも不可能なため、増やす手立てもありません」

「なるほど」

「ここから数百キロ西に、かつてはコリントという小国が存在したという話があります。当初プロメテウス隊が、灯晶塊に光を灯すために目指していた場所です。そこなら、かなりの灯晶が保管されているかも」


 それは耳寄りな情報だ。


「なら、そこに向かおう。光を灯すこともできれば、一石二鳥だ」

「はい!」

「でも、数百キロっていうと、一日中歩き詰めでも十日以上はかかるよ」


 オレスの言葉で、前途に見えていた光が一気に遠ざかる。それでは到底三週間まで間に合わない。


「そんなにか」


 考えあぐねていると、ふと耳に異音が届く。何か低い唸りのような。奥の藪の方からだ。

 皆が注意を向けると、藪の中から数体の大きな冥獣が、ゆっくりと姿を現した。頭には鋭い結晶がツノのように生えている。


「大きい…… まさか、あれが冥獣?」

「ああ」


 冥獣は計四体。

 と、先頭の一体が気味の悪い咆哮を発し、真っ直ぐ突進してくる。他の個体もそれに続く。


「来ます!」


 アドニスの左右から二種類の光が、冥獣目掛けて飛んでいく。サラたちの灯晶術だ。

 それらは冥獣の頭部を吹き飛ばした。が、二体の冥獣はなおも突っ込んでくる。


「なっ!? 倒れない!?」

「おっと、これは子どもには見せられないね」

「冥獣は核を破壊するまで再生し続ける。核を狙え」


 言っている間に、冥獣の頭部はどんどん再生していく。

 

「しかし、その核はどこに……」

「右の奴は左胸のやや上部、左のは右腕の辺りだ」

「えっ…… ?」


 アドニスの指示通りに、結晶が着弾する。すると、その冥獣は突然体を硬直させ、転がっていった。頭部の再生もない。


「本当に倒せた……」


 口をぽかんと開けるサラ。


「残りは俺がやる」


 アドニスは迫り来る二体に単身で突っ込んでいく。

 まずは、一体の頭上を飛び越え、その背中に乗ると、手を捻じ入れる。そして、相手の反撃が来る前に、すかさず核を潰す。

 耳に届く、小さな断末魔。


「体が軽やかになった気がする…… これも師匠のおかげか……」


 もう一体が遅れて、こちらに向き直る。

 だが、それが動き出す前に、それの真横に跳躍するアドニス。後頭部に手を入れ、躊躇なく核を握り潰した。

 ものの十数秒で戦闘は終わった。


「お見事」


 オレスが拍手で出迎えてくれる。


「あの程度、他愛もない。まだ小さな群れだったからな」

「多い時はどのくらいいるの?」

「一度、数十体の群れに遭遇したことがある。あの時は、運良く逃げおおせることができたがーー」

「あ、アドニスさん」


 不意に、サラに呼びかけられる。


「どうした?」

「あれ……」


 サラが指の先を辿り、振り返る。そして、目を疑った。

 目に入るだけで、三十体以上の冥獣の群れ。それが今にも走り出さん勢いで、地面を蹴っていた。


◆◇◆◇


「んん……」


 脇に抱えていたペイルが体を動かす。


「ペイル、気がついたのですね」

「その声はサラ? うぅ、頭痛いし、気持ち悪い…… ていうか、どこここ? なんか揺れてるし……」


 ペイルは寝ぼけた様子のまま、頭を左右に動かした。すると、彼の体がビクリとする。


「ちょっと!? なんかたくさん来てるけど!?」

「冥獣です」

「え!? なんで!? どういう状況!?」

「あまり体を揺らすな。落ちたら死ぬ」


 アドニスが忠告すると、ペイルは息さえも止めた。

 真後ろからは、今も冥獣の群れが追いかけてくる。少しでも速度を下げたら、串刺しにされるのは必至。


「あれがレウケの木だ」

「何という大きさ…… 自生しているものは初めて見ました……」


 サラが驚くのも無理はない。中には、高さ百メートルを超えるものすらあるのだ。

 アドニスたちは木の幹に飛びつくと、結晶を引っ掛けて木を登る。真下では、冥獣が次々に幹に体当たりしていく。

 

「ひいぃ!」

「大丈夫だ。奴らは木に登れない」


 アドニスたちは途中で横に伸びる太い枝に移動すると、そこでようやく一息ついた。

 だが、すぐにまた一難がやってくる。


「教えてよ。どうしてこんなことになってるのか」


 ペイルは下に群がる冥獣を見ながら言う。


「それは……」


 サラはペイルが気絶した後のあらましを説明した。


「じゃ、じゃあ、隊長と先輩は…… ?」

「おそらく既に捕らえられ、審問を受けている頃かと……」


 ペイルは大きく目を見開くと、力なくうな垂れていった。


「ですが、三週間以内に灯晶を持ち帰ることができれば…… !」

「何言ってるんだよ!」


 ペイルが突然叫ぶ。下の冥霧がそれに呼応するように鳴いた。


「今まで何人ものプロメテウス隊員が冥霧に行ったけど、戻ってきた人はほとんどいないんだよ!? それを僕たちみたいな未熟で、しかもたったの四人で、何ができるっていうの!? 一人は殺人犯だし!」

「リゼがいるから五人だ」

「違う! 君は人じゃないだろ!?」

「アドニスさんも私たちと同じです! それに、あなたを助けてくれたのはアドニスさんなんですよ!」

「そもそも、こんな奴が来なければ、死にそうになることもなかったんだ! こいつが全ての元凶だよ! こいつがいなければ、今も普通の生活を送れてたんだ!」


 ペイルの言う通りかもしれない。自分があの場で死んでいれば、今頃こんなことにはなっていなかった。たとえ隠匿しようとしたのが、アルネブたちであったとしても。

 アドニスは頭を下げた。


「ごめんなさい」

「ごめんなさいって…… それはどういう気持ちで言ってるの……」


 アドニスはほんの少し反応が遅れる。なんせ、謝罪をした上で、さらに追及されたのは初めてのことだ。


「気持ちも何もない。だが、自分が悪いことをしたら謝るのが人間だと教えられた」

「そんな形だけの謝罪に何の意味があるんだよ!」


 ペイルは立ち上がると、こちらに詰め寄ってきた。


「本当は自分がどれだけ大変なことをしたかわかってないんでしょ!? 責任なんてこれっぽっちも感じてないんでしょ!?」

「自分に非があることは理解してる」

「そうじゃなくて…… !」


 ペイルの荒い呼吸が、急激に弱まった。


「隊長も先輩も、僕の数少ない信頼できる人たちだったんだ…… 友達だったんだ…… 二人を、元の生活を返してよ……」


 友達。その単語が、アドニスの頭の中で何度も反響し、やがて何かの形を浮かび上がらせた。アネモネの姿であった。

 強く握られたペイルの拳は、プルプルと震えていた。


「彼の幼稚で自分一辺倒な考えに耳を貸す必要はないよ」


 口を挟んできたのは、幹に寄り掛かっていたオレスだ。


「な、なんだと…… ?」

「君の研究を決断したのは彼らの方だ。リスクを承知の上で。それに、彼だって自分で早期に手を打てば良かったんだ。殺すなり、方法はあったのに。自分の怠慢を棚に上げて、他人に責任をなすり付けるなんてーー」

「貴様はそれ以上喋るな」


 横から、鋭い声でサラが咎める。オレスは澄ました顔をして、肩をすくめた。


「ママをいじめないで」


 そう言って、アドニスとペイルの間に割って入ったのはリゼだ。


「ママはリゼの大事な人。ママに酷いことしたら、リゼが許さない」


 表情にほとんど変化はないが、その目はペイルをしっかりと見据えている。

 そんな時、どこからかキュルルという高いくぐもった音が聞こえた。


「あっ」


 リゼは驚いたようにお腹を押さえる。そして、こちらを向くと、そそくさとアドニスの背中に戻った。


「お前の腹の音か」


 リゼは答えない。

 その事で、皆毒気を抜かれたように表情を緩めた。


「お腹が減るのは当たり前のことです。恥じることはないですよ。竜のように勇ましい音でした」


 サラが言うが、最後のはフォローになっているのだろうか。

 いや、それよりも。アドニスは彼女の言葉に引っかかりを覚えた。


「それにしても、あの時、なぜアドニスさんは冥獣の核の位置がわかったのですか?」

「前から薄ぼんやりとだが、目に見えるんだ。これは親父が仕込んだことじゃないらしい」

「生まれ持った性質ということですか……」

「たぶんな」

「そのお力を持ってしても、冥獣は容易く倒せない…… もし大型の冥獣が現れでもしたら……」

「ん、そうか」


 突然アドニスが声を上げる。


「どうしたんだい?」


 オレスが興味津々という風に尋ねる。


「数百キロを移動する方法。一つだけ考えがある」


 期待のこもった視線が集まる。


「そのためには、お前の力も必要だ」


 アドニスが目を向ける。ペイルは未だ怪訝な目つきでこちらを見ていた。


「確かに、俺は人間とは程遠い存在で、さっきの謝罪も人間の真似事に過ぎない。だが、俺はあの二人を助けると決めた。だから、力を貸してくれ」

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