第15話

「ペイルくん、大丈夫!? 怪我は!?」

「大丈夫です、なんとか……」


 咳き込みながら答えるペイルの声が、すぐ間近でする。ここまで吹き飛ばされてきたのか。


「何の音だ? 何が起こった?」

「攻撃を受けました。負傷者はゼロ。ですが、早くここから離れないと追っ手が……」


 サラが言う側から、コツコツと悠長な靴音が近づいて来た。


「やっぱり。こっちから臭って来たんですよね、反逆者共のドブみたいな臭気が」


 中性的な男の声。

 皆の動きが一時停止する。


「みんな走って!」


 ローザが叫ぶと同時に、袋が大きく揺さぶられる。辛うじてわかるのは、方向が反転して、階段を勢いよく下っていることだけ。自分の手脚が、何度も顔にぶつかる。


「まさか、よりによって、プローチカ家の若君が現れるとは!」

「端から話し合う気ゼロってことかな!」


 サラとローザが言う。


「ていうか、ペイルくんは逃げなくてよかったんだよ!? あなた何もしてないし!」

「だ、だって! そういうの区別してくれそうな人に見えなかったですし!」

「まあ、そうだけど! このままじゃ、あなたも罪人認定されちゃーー」


 再び鼓膜を揺さぶる、強烈な衝撃音。皆の悲鳴がした後、一瞬体が浮かぶ感覚に襲われる。


「副隊長! このまま下に追い込まれれば、私たちは袋の鼠です!」

「わかってる! けど、今はとにかく距離を取らないとねっ!」


 先ほどとは別の大きな音。続いて、瓦礫が崩れてくるような音が響き渡った。


「ひぃぃぃ! 天井崩れてきたらどうするんですか先輩!」

「大丈夫! あんまり崩れてないから!」


 それからは何事もなく、階段を下ることができた。

 ある所で、揺れが止まると、不意に袋の口が開いた。そこからサラの顔が覗く。


「今お出ししますね」


 サラの手が伸び、視界の端から手脚が取り出されていく。


「あっ、リゼちゃん!? 大丈夫!?」


 突如聞こえてくる、ローザの叫び。

 リゼの身に、何か大変なことでも起きたのか。アドニスは、サラに運び出されるのを待たずに、袋から飛び出した。


「なんだ、リゼがどうした? 怪我か?」

「あ、ううん。ただ、ちょっと目を回しちゃったみたい」


 ローザに肩を掴まれ、リゼはその場で頭をふらふらさせて立っていた。

 

「とりあえず、廃棄物作戦はバレてて、私たちはここまで追い込まれてしまった。控えめに言って、絶体絶命」


 ローザは軽い口調で現状の報告を済ませる。結局、アドニスたちは牢屋のある階に戻ってしまっていた。

 アドニスは一人会話から外れ、四肢の結合を行なっている。


「いや、そんなニコニコして言うことじゃないですよね!? 僕たち、死ぬ時を先送りにできただけじゃないですか!」

「大丈夫。ペイルくんが無関係ってことは、私が命を賭けて証明してあげるから」

「いや、そういうことじゃなくて……」


 ペイルは倒れるように座り込み、膝の間に頭を埋めた。


「当然、地上に繋がる階段は抑えられているでしょうし…… こうなれば、正面突破でしょうか…… ?」

「無理無理。相手は特別機動隊の副隊長だし。正直、勝てる気がしない。それに、死人は出したくない」


 サラの顔にも暗い影が差した。

 辺りは急にどんよりとした空気に包まれ、誰一人として声を発する者がいなくなる。


「今からでも投降すれば、お前たちは死なずに済むのか?」


 突然アドニスがそんなことを言い出したので、皆が驚いたように目を向けた。特にペイルの目には、希望の光がチラつく。


「そ、そうですよ! 今ならまだ間に合うかもーー」

「それはないかな。少なくとも、私は許可なしに灯晶術使っちゃったし。ていうか、既に反逆者扱いされてた」

「そうか」

 

 アドニスとしては、これは単純な疑問であった。

 だが、仮にイエスが返って来たら、自分はどうしていたのだろう。


「それに、まだ終わった訳じゃないよ」


 ローザはアドニスのすぐ前に歩み寄る。


「私はエルピスの外側を見てみたい。アドニスくんだって、まだやらなきゃいけない事、たくさん残ってるでしょ?」


 そうだ。

 山積する諸々の問題。自分はまだ何一つ成し遂げられていない。


「じゃあ、アドニスくん。そこの壁に穴を空けて」


 ローザが指差したのは、アドニスが軟禁されていたあの牢屋。その奥の壁だ。


「どうするつもりだ?」

「いいからいいから。あ、私の合図があるまでは、完全に穴を空けないで。岩盤が落ちて、二層に被害が出ちゃうから。私たちは入り口を塞いで、少しでも時間を稼ぐよ」


 後半はサラへの言葉だ。

 よくわからないが、アドニスは言う通り壁を掘り進めていく。右手を使えば、岩の壁もどうにか削り取ることができる。


「ママ砂遊び? 楽しい?」


 背中に乗るリゼが尋ねる。


「わからん」

「リゼもやっていい?」

「だめだ。危ない」


 リゼはそれ以降喋らなくなる。彼女はアドニスの言うことなら、何でも従ってしまうのだ。利口というより、従順という言葉が先に浮かんでくる。

 その代わり、彼女は彼の顔をつまむ遊びを始めた。そちらは好きにさせてやる。

 しばらく掘り続けていると、急に指を当てた時の音が変わった。明らかに高い。


「もう一度殴ったら壁は壊れるが。どうするーー」


 ローザに聞こうとしたその時。地面が揺れ動くような衝撃が走った。衝撃の発生源は、おそらく入り口。


「全く。意味ないですよ、そんなガキ同然の低レベルな方法では」


 さっきの男の声だ。

 通路から顔を出してみると、扉の周りを紫色の結晶が覆っているのが目に入る。ローザの灯晶術だろうか。だが、既に大きな亀裂が走っている。


「な、なんという威力……」

「あれ、おかしいな…… これで十分くらいは大丈夫だと思ったのに……」


 サラとローザの反応からしても、状況はかんばしくないようだ。


「おい、こっちはいつでもいけるぞ」

「まだ待って。合図が出るまで、ここで耐えないと」

「それはいつだ?」

「もうすぐかもしれないし、一生出ないかも」


 ローザの奥歯に物が挟まったような物言いは、何を意味してるのか。

 ただ、こうしている間にも、地鳴りのような音が断続的に鳴り響いている。亀裂はどんどん広がる。このままでは、結晶が破壊されるのも時間の問題だ。

 その時、隣の牢屋から、硬い物がぶつかるような音が聞こえた。視界に映るのは、鉄格子の間に挟まる頭。


「あ、花のおっさん」


 リゼはなぜかその呼び方をする。花をもらった時は意外と喜んでいた。

 アドニスはその牢屋の前まで近づいた。


「オレス・ティアーズか」

「んんん、んんんん、んん」


 何か喋りたいようだが、猿ぐつわが邪魔をして全く聞き取れない。以前のように、自ら抜け出せないようだ。手足にも枷が付き、鎖で椅子に括り付けられているのだから無理もない。


「助けてくれると言うのか?」

「んん! んん!」


 オレスは目を見開き、頭をガタガタを動かす。正解らしい。


「勘だったが、当たっているとは」


 もしオレスが何か解決策を持ち合わせているのなら、ぜひ力を借りたい。しかし。


「嘘をついていないか? お前は人を殺したと聞いているが。人殺しは悪だ。悪の言葉は信じるなと、親父が言っていた」

「んん! んんん! んん!」


 何か必死に訴えようとしているが、やはりわからない。

 迷っている間にも、結晶の破壊が進み、皆の取り乱す声が大きくなっていく。


「お前を信じよう」


 アドニスは鉄格子を無理矢理こじ開けると、急いで拘束具を外していく。最後に猿ぐつわを取り除くと、「ぷはぁー」とオレスは大袈裟に息を吐いた。


「あぁ、息が苦しくてね。できればこれを先に外して欲しかったけど」

「ごめんなさい」

「いや、いいよ。助けてもらったのに、贅沢は言えない」

「それより、次はこっちを助けてくれないか? 人は殺さない方法で」


 オレスの顔がこちらに急接近し、ニヤリと笑う。初めて気づいたが、彼はアドニスよりも背が高い。


「他でもない君の頼みだ。お安い御用さ」


 オレスはゆったりとした歩調で入り口に近づいていく。


「花のおっさん、花欲しい」


 オレスは華麗にターンをすると、右手をリゼの前に差し出した。そこには紫色のあの花が握られている。


「どうぞ、お嬢さん」


 リゼが花を受けると、オレスは軽くお辞儀をして、くるりと前に向き直った。体はだいぶ痩せ細っているが、本当に大丈夫だろうか。


「なっ!? なぜ貴様が外に!?」


 オレスの存在に気づいたサラが身構える。


「ちょっ、アドニスくん!? 彼を逃したの、あなた!?」

「ああ、力を貸してくれるらしい」

「力って…… 知らない人の言うこと信用しちゃだめ」

「あぁ、ダメダメ。観客の方は静かに観ていないと」


 軽く注意すると、オレスは入り口の目の前に立つ。そして、両手でその長い髪をたくし上げた。再び降ろされた彼の各指の間には、いつの間にやら、複数のキラキラ光る刃物が。

 髪と同じ深緑色のそれは、灯晶術だろうか。


「ほら、もうすぐ開演だ」


 ついに入り口に張り付いていた結晶が砕ける。衝撃波が土煙を舞い上がらせ、通路に勢いよく流れ込んできた。

 その煙の中から、一つの影が近づいてくる。


「余計な労力を使ってしまいましたよ、このクソみたいな小細工のせいで。次は大人しく捕まってくださいね、ドブ人間共ーー」


 男の声は、高い金属音によって中断させられる。

 ようやく視界が晴れた。入り口のすぐ奥に、青い髪の男が見える。手にしているのは、向きを反転させた二つの鎌の、底同士をくっつけたような面妖な得物。色は黄緑。


「また悪足掻きですか?」

「それはどうかな?」

「全く、次から次へと。いい加減にーー」


 また声が止む。

 オレスが刃物の一つを男に投げたのだ。

 男が警戒するように目を細める。そして、彼が僅かに片足に重心をかけたその時。その反対側の足に向かって、刃物が飛んでいく。恐るべきスピード。彼はそれを弾いたものの、結局動けずに元の体勢に戻っていた。


「ドブのくせに、調子にーー」


 また、男の動きが中断される。

 一見、デタラメな投げ方。だが、刃物は正確に男の動きを止める。

 その後も、オレスの投げる刃物は、男を完全に掣肘せいちゅうしていた。


「あの特別機動隊の副隊長を、完全に抑えている……」


 信じられないというような顔をするサラ。


「ウザイですね、それ。なんなんですか?」

「いやね、職業柄人間がどういう風にナイフを躱すか、それが手に取るようにわかるんだよ。特にこんな狭い場所じゃ、取れる行動も限られてくるし。後はそこにナイフを投げるだけ。これにはタネも仕掛けもありません」

「ああ…… 誰かと思えば。あのドブジジイを殺した道化師でしたか、あなた」

「ドブジジイじゃないよ、カゴートさんだ」


 にわかにオレスの語気が強まった気がした。


「ご立派なことですね、殺した奴の名前を覚えてるなんて。贖罪しょくざいの真似事ですかーー」


 男の元へ、また刃物が飛ぶ。


「こんな場所じゃ、派手な灯晶術は使えないよね」

「ええ、そうですね。ですが、僕が上に戻らなければ、いずれ他のアホ共がここに駆けつけてきます。いい加減理解してくださいよ、自分が無意味なことをしていると」

「意味はあるよ。僕は友人の約束を守ってる」

 

 友人とは誰のことだろう。

 だが、確かに男の言い分は正しい。彼を退けないことには道は開けないし、そのためには最悪彼を殺すことになる。これでは本当にただの悪足掻きだ。

 と思った、その時だった。どこからか、獣の雄叫びが小さく聞こえてきた。


「ん、なんの音だ?」

「来た、合図!」


 ローザが叫ぶ。


「アドニスくん! 壁をぶっ壊して!」


 今はローザを信じるしかない。

 アドニスは頷くと、壁の前まで走り、力一杯拳をぶつけた。灰色の壁は砕け散り、その向こうに真っ青な空が広がる。全身に吹き付ける風。その一面の青の下方から、突如赤い何かが猛スピードで上がってきた。

 竜だ。


「おいおいおい、いきなり派手に散らかしやがって! 回収に手間取っただろ!」


 聞こえてきたのは、自分を見捨てたはずの人物の声。


「師匠……」

「ハッ、待たせたな! 助けに来てやったぜ、坊主!」


 青い空に浮かぶその赤は、さながら八方を塞ぐ闇を照らし出す、太陽の輝きであった。

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