第16話 古い塾へ  

「二人とも無事か?」

しゃがれ声が飛び込んできた。

「まあ、傷だらけ」

「あれ、おかしいや。食べ物の欠片かけらもない」

清水探偵と先生、勉がやってきた。


「鼠たちはどうなった?」

光一の問いに、勉が鼻の穴をふくらませた。

「すごかったよ、まるでダムが決壊したみたいだった。一階の非常口からどっと出ていった。けど、どうやって追い出したの?」

「つまり・・」

光一は壁のポスターを指さして説明した。


「鼠の脳を刺激するなんて、ちょっと思い付かないよ。それを実行したひかりちゃんもすごいや」

勉はもちろん、先生たちも感心したように唸った。ひかりは照れたように下を向いた。飾り気のないめ言葉など、体験したことがなかったのかもしれない。


「二人とも傷口を消毒しなければいけないわ。消毒薬はこの部屋にもあるけど、薬も飲んでおいた方がいいわね」

先生がジーンズのポケットに手を突っ込んだ。出てきたのは数種類の錠剤の入ったピルケースだが、

「私には薬は不必要。光一殿も望まれるならば」

そう言って、ひかりは光一に手を差し出した。彼女の言いたいことは分かった。はたして電撃が、消毒の役を果たすのかは疑問だったが、光一は白い手を握った。

ズクン!

全身をハンマーで打ちえられたようだった。

「い・ま・の・は、き・い・た」

ふらつきながら光一が、血で濡れているはずの耳の付け根に触れてみると、既にそこには瘡蓋かさぶたができていた。ひかりの肌に見えていた無数の傷は、跡形もなく消えていた。


「さてと、わしらにはこれからも仕事がある。坊や達はどうするかね」

清水探偵が聞いた。

「こんな所でやめるわけにはいかないです」

光一と勉が同時に言った。先生は苦笑いしている。

「二人とも、明日というか、今日も学校はあるのよ。大丈夫かしら」

「そっちこそ平気なの?僕らは授業中に居眠りできても、先生はそうはいかないんだよ」

にやりと笑った光一の足を、清水探偵の尾がくすぐった。

「はは、そんな心配をするぐらいなら大丈夫だ。さあ、行こう」

一行は静かに寝息をたてている信二をあとに病室を出た。


ロビーでは看護師が、ソファーから立ち上がったところだった。壁の時計は一時を指している。先生のかけた催眠暗示が解けたのだ。

「あなたたち、こんな遅くまで起きていたの。まあ、犬が」

黒い影にぎょっと目を見張った看護師に、清水探偵はオチンをして手?を振った。


一階の廊下では、十人以上の職員や消防士らとすれ違った。皆、引き潮のように消えていった鼠の大群に首を傾げていた。

駐車場には、あちこちに水溜まりが残っていた。車のタイヤ止めの周囲には、小さな塊がたくさん転がっている。激しい放水に打たれ、死んでしまった鼠たちだった。

光一の左手が小さくうずいた。隣を歩くひかりの気持ちだ。表情こそ変えていないが、奪われた小さな命に心を痛めているのだ。


「さあ、乗って」

先生に続いて、光一らは車に乗り込んだ。清水探偵が鼻先でハンドル横のスイッチを押した。カーナビ、いや、潜水艦のレーダーのような緑色の画面が明るく点灯した。

「坊や、発信器の装着はうまくいったみたいだぞ」

画面の端に小さな赤い点が点滅している。止まって見えるが、わずかに動いている。

「じゃあ、いくわね」

軽く言った先生がアクセルを踏み込んだ。前をのぞいていた光一らは後部シートに転がった。


「ひかりちゃん、さっき、リーダー格の鼠の心が読めるといったけど、鼠を操っている精霊は見えなかったのかい?」

光一は黙り込んでいるひかりに聞いた。

「いいえ残念ながら・・しかし」

小さな命の死という心の引っかかりから解放されたように、黒い瞳がしっかりと光一に向けられた。

「・・奇妙なものを目にしました。それは、二つの信二君の映像。一つは写真のように動きのない顔。もう一つは暗がりで動く全身像。彼は鼠に食物を与え、空腹の鼠は、食物の味の染み込んだ包み紙にまでかじりついておりました。その紙には、星印のグラフと数字が並んで印刷されておりました」

「それだ。それがこの事件の原因なんだ」

光一はひらめいたような気がした。


「坊や、説明してごらん」

清水探偵が助手席から顔をのぞかせた。

「信二は、塾が転居した後に残っていたパソコンに願い事をしていたんだ。

それを成就させるために、何故だか分からないけど、そこにいた鼠たちに餌を与えていた。ひかりちゃんが見た包み紙というのは、食物の味を染み込ませた自分の試験の悪い結果だと思う。ああいうのって、親には見せたくないし、捨て場所にも困るし・・」

光一は病室で信二から聞いたことも含めて説明した。


「僕も一つ思い付いたよ、パソコンと鼠の関係は分からないけど・・」

勉が口を挟んだ。

「・・ひかりちゃんが見た動きのない信二君の顔というのは、塾のパソコンに入力されている個人データじゃないかな。誰かが、試験の点が平均未満だった信二君の写真や個人情報を、鼠に見せて、食物がもらえると吹き込んでいたんだよ」

「そうね。それにパソコンがネットで繋がっていれば、信二君の入院した病院の情報までわかるかも知れないわね」

勉の言葉にうなずきながら、清水先生はハンドルを切った。


車は町の中央に向かっていた。レーダー画面の赤い点滅も、中央に移動していった。これから向かう所は、以前、英才ゼミナールがあった所に違いない。


「でも、僕たちは精霊の問題を解決しようとしているんでしょう。パソコンを使うなんて、人間の仕業なのではないの」

「光一君、普通の人間が、地図データを見せて鼠を操作できるかしら。もし可能なら、各国の軍事産業がこぞって採用したがるほどの高度な技術を使っていることになるわ」

「坊や、探偵としてのわしの鼻は、そこらへんに精霊の臭いを嗅ぎつけておるよ。しかしはて、パソコンと鼠の餌づけとの関係は、どのようなものになっているのやら・・」

清水探偵が喉を鳴らした。考えを巡らせることを楽しんでいるようだ。


しばらく車中は沈黙のまま、町を走っていった。様々な色のネオンライトに照らされた飲み屋街を抜け、人気のないビルの谷間に入っていった時、レーダーが高いブザー音を鳴らし始めた。赤い点滅が画面の中央にきた。

「到着したわ」

車を降りた一同があたりを見回すと、数匹の鼠が鉄格子の降りたビルの中に走り込んでいくのが見えた。

「このビルね」

先生が懐中電灯で照らし出すと、コンクリート壁にペンキの剥げかかった文字があった。

・・英・ゼミ・ール・・

「まったく、わしとしたことが肝心な事を見逃していた。今の英才ゼミナールの真新しい建物を見て気付くべきだった」

清水探偵が前足で自分の頬をパンチする間に、先生は髪からヘアピンを抜き、鉄格子の鍵穴に差し込んだ。

「まだ新しくて、かなり頑丈よ。ビルの管理者が付け替えたんだわ。でも無理に開けようとした傷が・・」

指先の感覚に集中しながらも、先生の横顔は悲しそうに歪んでいた。

「絶望の淵にある信二君の心の気配が、今もここに残っている」

ひかりのつぶやきに、光一は息がつまった。目の前に、息を荒立てながら、必死に鍵を開けようとしている信二の太い影が見えたような気がした。


カチリ・・微かな音

先生が立ち上がりながら鉄格子を押し上げた。金属のかち合う鈍い音が、立ち並ぶビルの壁に大きく反響した。


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