第92話旅行前日



 知努が2階の部屋に入ると染子の脱いだ靴下が幼少期に初めて出来た友人の両手に嵌められていた。



 オランウータンのぬいぐるみの両手から急いで脱がし、クローゼットに入れていた消臭スプレーをかける。



 脱がされたズボンとスクールバッグを片付け、散らかっている足元へ目線を向けた。染子の性格らしい光景だ。



 床に彼女が明日から使う青のキャリーケースと寝間着一式が置かれている。渋々、彼の分と一緒に持ち、脱衣所へ運ぶ。



 幼馴染の下着や寝間着を持っていた最中に脱衣所の前で母親が話しかけてくる。あまり見られたくない姿だ。



 「残念だったね。ちーちゃんはそーちゃんに勝てないから行くしかないよ」



 彼女の言う通り、染子の頼みを彼は無碍に出来ない。しかし、目先の問題が解決しただけだ。



 祖父からの絶縁が解けなければ2人の不仲は改善されない。少なくともきっかけが無ければ解けないだろう。



 「残念なのは俺じゃなくて染子から小遣いせびられる憐れな老人だぞ」



 色んな人間を困らせる事で有名な染子が来る事により、母方の祖父母はかなりの苦労を強いられる。



 街金の取り立てと同じ恐怖があった。その状況を眺めているだけで良い楽な立場の知努は苦笑しながら脱衣所へ入る。



 30分が経ち、2人分の頭と体を洗い終えた知努は湯船に浸かりながら目を閉じた。水が嫌いな犬の如く、暴れていた染子が原因で疲れている。



 向かい合わせで彼の膝の上に座っていた染子は誰も訊いてもいないユーディットの行動を予想していた。



 「今頃、ゲルまんじゅう顔はケツ掻きながらバームクーヘン食っているわ。あんな品の無い女が従姉なんて知努もツイてないわ」



 「俺が知っている女子の中で1番下品な奴、染子だぞ。靴下はどこでも脱ぐ、俺と知羽のパンツを頭に被る」

 


 ユーディットや倉持家の人間より劣っていると思われたくない彼女が両手で彼の前髪を引っ張る。



 手入れしたばかりの髪を気にしている女々しい知努が、わざとミッションスクールに通っていそうな女学生の真似をした。



 彼の中で上品な女学生は読んだ小説のせいか、ミッションスクールに通う印象を持っている。



 「わたくしの大事な髪が痛むのでやめて下さいまし! 少々、粗相が過ぎませんこと!?」



 更に石頭の彼女がユーディットへ暴力を振るった出来事をからかいながら数回、頭突きした。



 ただでさえ激痛を感じる頭突きを数発も受けた腹いせに彼が左右の頬を軽く引っ張る。



 「頭突きはめっ! 分かった?」



 犬の躾のような注意を受けた染子は、両手で彼の頭を押し付け、湯船へ沈めようとした。


 

 抵抗して怪我をさせたくない彼が両手を背中に回し抱き寄せる。驚きのあまり、彼女の手は止まった。



 動揺を隠すため、4日後の斎方の家に行く話題で脅迫する。素直に頼めない性格だ。



 「斎方のジジイから誕生日の祝儀を回収するわ。知努も来ないとまたモン吉が神隠しに遭う」



 「はいはい、行けばいいんだろ。染子はやり方が汚い、見た目すら悪かったら絶対友達出来て無さそう」



 昼間、ユーディットや青山から殴られた彼の横腹を染子も同じく殴る。幸い、肋骨に守られている臓器は無事だ。



 入浴を済ませた知努は部屋で明日の準備に取り掛かっている。3日間の必要な物をボストンバッグに入れた。



 その後ろのベッドの上で寝間着姿の染子と知羽が勝手に彼のアルバムを見ている。ちょうど髪を短くした頃の写真が載せられていた。



 ゴールデンレトリバーが彼の両足の上に座っており、身動きが取れない様子を涼鈴は撮影している。

 

 

 元々、人に懐きやすい性格の犬種なのか、出会って数分も経っていない人間を信用していた。



 両親が敢えて辛い過去を思い出させないように配慮しているのか、所々、載せられていた写真が抜き取られている。



 しかし、彼が慕っていた叔母と一緒に映っている写真は載せられていた。どうやらある程度、知努が過去を割り切っているようだ。



 染子は隣の知羽に彼が斎方の祖父母を嫌っている理由を訊いた。大方、理由は予想している。



 アルバムの中から意図的に存在を消されている人物がいた。恐らく何らかの関連性はある。



 「お爺ちゃんに口止めされているから教えないよ。知ったらどうせ、首を突っ込むつもりだよね?」


 

 三中の祖父から秘密を訊き出す根性がない染子が脱いだ靴下を彼の後頭部へ投げ付け、八つ当たりした。



 旅行の準備を済ませた彼がユーディットと京希から送られた写真を見ている最中だったため、無反応だ。



 叔父が撮影したと思われるクーちゃんを抱き上げている彼女の写真は、どこにでもありふれていた幸せな家庭を感じさせる。



 子犬の存在が母親と思春期の娘を繋ぎ止めてくれるだろう。これからユーディットは母親へ反抗する暇が無く、新しく出来た弟に振舞わされる。



 京希から送った写真は白色の洗濯かごの中で白猫2匹が寝ている様子だった。添付されている文章は彼女らしい内容で思わず苦笑する。



 『洗濯かごはベッドじゃないよ、2人共! そこで寝られたらお洗濯物、取り込めないよぉ』



 スマートフォンを部屋の隅にある充電器と繋げてから彼は1階の洗面所に向かう。そろそろ就寝しなければならない。



 洗面所で歯磨きしている最中に意味も無く、足を踏まれながら染子から白猫2匹について訊かれる。



 「あのマリコとファナコは姉妹なの? それとも別々の親から生まれた?」



 「略したらマリファナになる呼び方やめろ。本当の姉妹だから引き離そうとするなよ」



 嫌がらせで猿とオランウータンのぬいぐるみを数年間、持ち去る厄介な人間は油断ならない。



 今日の昼間、京希の家に染子が行ったらしく、2匹は彼女を警戒していたと文句を漏らし始める。



 「ずっと布団から出て来なくてつまらなかったわ。その間、ミナカスはごま塩と遊んでいるなんて不公平」


 

 動物に対し高圧的な態度を取る染子は基本懐かれない。シャーマンですら散歩係の認識にされていそうだ。



 その事を指摘すれば暴力が待っているため、彼は黙って歯磨きに専念する。明日から小学生と猛獣の面倒を見なければならない。



 知努が構ってくれなくなった事で退屈している彼女は洗濯機の中は眺めた。すぐ意図に気づいた彼は襟を掴む。

 

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