第81話泥棒猫



 洋菓子専門店の中へ入り、知努が隣の喫茶スペースを一瞥する。既に青山含む数名の男女が集まっており、2人は遅刻していると理解した。



 集合場所しか教えられておらず、厳密には常識を考慮さえすれば誰からも咎められる必要がない。従姉の姿がすぐ見えた。



 彼は挨拶し、スクールバックの中から普段使っている黒の長財布を取り出す。ショーケースから見える品揃えがほとんど変わっていないため、染子はすぐ欲しい商品を選ぶはずだ。



 横にいた彼女はケースを見ておらず、挨拶代わりの煽りで他人の親族を攻撃していた。染子がいつか親という身分になってしまう事は少し恐ろしい。



 「かりんとうから作ったクリちゃんと、染子内親王の神聖な体から産まれた嫡男といつか股間の槍で競わせたいわ」



 「勝手に皇族を名乗るな。後、夏鈴ねぇの尊厳を踏み躙ってんじゃねぇぞ」


 彼女の脇腹に後ろから片腕を回し、知努は耳元で脅迫し、やや強めに圧迫していく。乳房を狙われると感じたのか、彼女は謝罪しながら左腕で隠した。


 染子が皇族になった場合、恐らく特権乱用し、横暴な振る舞いばかりしそうだ。四六時中、人目を警戒する生活も彼女が好まない。



 猫のように軽やかな振る舞いをする彼女は、自由な環境下で魅力が最大限、活かされる。束縛という名の鎖に繋がれていれば凶暴性ばかり目立つ。



 将来、彼の従甥じゅうせい従姪じゅうていになる子供を化物呼ばわりされる事は不憫だった。



 絹糸のように艶やかな黒く長い髪を持つ彼女と対峙する夏鈴もまた違った美しさを持っている。



 大人の女性らしさと美しい青年らしさを兼ね備えた不思議な人間だった。程よく膨らんだ胸、長い脚、色白で繊細な指は人を魅了する。



 染子が言葉を喋り始めた頃からそう呼ばれている夏鈴は、余裕綽々な態度で煽り返していた。



 「随分、自分と他者に格差があるけど、君はそれ程、優れた人間なのかい? 容姿が良いからチヤホヤされているように見えるよ」



 助け舟を出さなければ拗ねた凶暴な猫にまた強く殴られるため、すぐさま知努はおべっかを使う。


 

 「俺は染子の精神もディーちゃんのように綺麗だと思う。対極的に見えても2人の本質は同じ。優しさを隠しているか、凶暴性を隠しているかの違いに過ぎない」



 詳細に話すと嘘を取り繕っている印象が出てしまうため、このような褒め方だった。夏鈴はまるで彼女自身が褒められたかのように喜んでいる。



 「そうかもしれないね。ボクはチー坊を心身共に大好きだよ。自慢の弟だからね」



 彼女から見えない位置で知努が足首を何度も蹴られた。家族愛に嫉妬する事は恥ずかしいという認識のようだ。



 数分後、知努が注文したモンブランと染子が厚かましく2つも注文したティラミスの代金を払った。



 彼はケーキとフォークが載ったトレーを隣の喫茶スペースへ運び、ちょうど向かい合わせに2人分空いていた席へ座る。



 染子が反対側に座ると横の席から制服を着た男子は待っていたかのように話し掛け、モンブランを盗み食いした。



 「チャンソメのブラン、ウマそうじゃん。ちょっと貰うわ」



 フォークで抉られたモンブランを見て、染子は食事中に到底言うべきで無い発言をする。



 「大分前に見た〇カトロものレストランのミートクソースに似ているわ。これは夏鈴の巻きグソかしら?」



 『G線上のアリア』が知努の脳内に流れ、穏やかな音色の中、次々に辺りから吐きそうな声は広がる。



 2日前に鶴飛の家で食べた昼食がミートソース・スパゲティだった。その時、彼女は同じ事を思い出していたのかもしれない。



 世界の中心のような振る舞いをしていた染子が未だに教室で孤立していない事は不思議だった。傲慢不遜な容姿端麗の女が孤立する末路は創作物の定番だ。



 彼女が行った行為に対する批判は1言も喋らず、本を取り出そうとしていた知努へ向けられる。



 「三中! お前、周りの空気を読まないから友達が全く出来ないんだぞ。ちょっとは自覚しろよ」



 青山は濡れ衣を着せても周りの人間は全く気にしない相手に罵るという手段へ出た。このような行為で彼の脳はドーパミンが分泌されている。



 同調する男女も同じく分泌しており、動物の本能に従順だった。彼は無視し、モンブランを食べる。



 2つ目のティラミスの先端付近をフォークで切り崩しながらほくそ笑んでいる染子は唐突に質問した。


 

 「知努にとって腹黒大食いぼっちブサイク女は何? 血の繋がりもなく、肩入れする理由なんてないわ」



 大友絹穂の事を思い出すと彼の頬が上気し、赤く染まりながら顔を逸らす。凡そ男子高校生らしからぬ反応だ。



 生まれ持った性別など些細な事のように思えた彼女の告白が聞こえる。あの一瞬だけ知努の精神は女子へ変わっていた。



 「多分、ちーちゃんが女の子だったらと慕っていたし、好きになっていたと思う女の子」



 彼女の口の中で広がるココアパウダーの甘さがいつも以上に感じてしまう程、うら若き乙女のような感情だ。



 倉持久遠が彼の植え付けた心の闇すら打ち消してしまう。絹穂と勝負している訳でもない染子は敗北感に打ちひしがれる。



 「お、お姉様って呼ばれる程、あの女、年食ってたかしら?」



 「その逆、夏織と同い年だから1歳差しか無いぞ。やっぱり女の子は成熟する時期が早い」



 10年近く彼女を同学年だと勘違いしていた染子は驚きのあまり、フォークを皿に落としてしまう。



 明後日に控える大阪旅行は、知努の元交際相手と後輩が参加するようだ。染子より悪目立ちするだろう。



 面白い話題ばかり持っている知努は、周りにいた男女から全く相手にされておらず、染子が話題共有出来ない。



 動揺している事を隠すため、彼女が祇園京希の家で飼われている猫に対する苦言を呈した。



 「それよりもどうしてお前の元カノが飼っている猫はカナコとヨリコって名前なの? 平成のカナコである私を馬鹿にしているのかしら」



 「妄想の世界から早く帰ってこいや、下品なカメコ。可愛い白猫だったからケーキがその名前にした。今もすくすくとケーキの部屋で育ってます」



 スマートフォンで撮影した大きな土鍋の中で2匹が丸まっている写真を見せる。今も根強く流行っている所謂猫鍋だ。



 人間の都合で鍋へ入れなくとも自発的に猫の方から来る。猫は狭い所へ入る習性があった。



 「猫は狭い場所に入ると安心するらしい。段ボールとか洗面器とかどこでも」



 猫が魚好きのよく飛び跳ねる動物程度の認識しかなかった染子は、意外な1面に感心している。



 この2匹が野良猫でよく見かける雑種の日本猫だ。彼女が思い描く猫らしい自由奔放な姿に思わす微笑む。

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