第34話昼下がりの佳人



 放課後を迎えてユーディットと知努は動物病院へ向かっている。学校の敷地から離れるにつれて下校している学生の姿が少なくなった。



 両肩に2つのスクールバックの持ち手をかけている彼は、ユーディットが持っているペット用のキャリーケースを持つと提案する。



 「その気持ちだけ受け取っておくわ。チー坊は本当に甘いんだから。でも、そういうところが好きよ」



 いきなり出て来た彼女の好意を敢えて避けるように知努は躾の話を切り出す。しなければいけない躾が多くある。



 知努は鶴飛家で飼われているロットワイラーのシャーマンを子犬の頃に躾けているため一家言あった。



 持っていたペット用のキャリーケースの重さに両手首が疲れてしまった彼女は持って欲しいと頼む。



 苦笑しながら彼が立ち止まってキャリーケースを受け取り、落とさないように慎重な足取りで歩く。



 ケースの中でいる秋田犬の子犬、俗称クーちゃんは暖かい日差しを背中に当てながら大人しく寝ている。



 すぐそばで水とドッグフードを入れている小さい2つの容器が置いていた。半年もすればクーちゃんはこのケースに入れない大きさへ成長する。



 日本犬種で唯一の大型犬種の抱き上げる事が容易な時期はとても短く貴重だった。来年からリードに繋いで動物病院へ行かなければならない。



 彼女は知努の中で自分がどういう人間と思われているかを訊く。唐突の質問に唸りながら悩んでいた。



 「言い方がとても悪いけどごめんね。少し愛に関して暴走気味だけどいやらしくて外見内面共に色んな人間を魅了するお市の方の生まれ変わり」



 初めて4年間、関わっている彼からユーディットに抱いていた印象を聞かされ頬へ左手を添えながら無言になる。



 急に彼女は知努の前に出て振り向き、進路を塞いでから上目遣いで見つめた。彼の顔が唖然としている。



 「Can I eat you out(チー坊をお持ち帰りして堪能したいわ)」


 

 「Your Germanic mom`s body was amazing(ドイツ人のお母さんの成熟した体、ごちそうさまです)」



 隣へ戻って来たユーディットに拉致監禁して生意気な口が利けなくなるまでいじめ抜くと脅された。



 動物病院にあと数分で到着する所まで来ると後ろから鉄パイプが地面へ擦られる音を聴く。



 2人は音がする方向に向き驚いた。ユーディットと同じ服装の女子は片手に鉄パイプを持って近づいている。



 キャリーケースと2つのスクールバックを床に置いてから知努は制服のポケットから鎖らしきものを取り出す。



 両端に小さな錘が付いており、彼の後ろに逃げ込んでいたユーディットは怪訝そうな顔をする。



 謎の女子は鉄パイプを知努の顔へ勢いよく振りかぶった。彼が両手で伸ばした鎖らしき物の中央へ受け止める。



 右側から鉄パイプに巻き付けそのまま手前へ引っ張り強奪した。唐突の出来事で驚いているのか謎の女子は身動きが取れない。



 一連の出来事を野次馬が写真撮影しており、今回ばかりはそれに助けられる。何故かゆっくりと女子が後ろに下がった。



 「おい、忘れもんだよ、誰にも言わないからよ、これ持って帰れ」



 無表情の彼は鎖らしき物から解いた鉄パイプを渡そうと近づく。低い声に何か勘繰っているのか謎の女子は背を向け逃げ出した。



 軽く投げてから床に置いていた2つのスクールバックを肩にかけ直しキャリーケースを持つ。



 「気を付けろよ」



 知努が両手を震わせている彼女に後ろから抱き付かれながら動物病院へ訪れる。先客はいなかった。



 いつ包丁を持った強盗が入って来るか分からない動物病院で愛犬の狂犬病予防接種を予約する物好きはそういない。



 ユーディットはカバンから必要な書類を出して受付へ提出する。ソファーに座る間もなく呼ばれた。



 診察台の上に置いたキャリーケースから知努が大きなあくびをしているクーちゃんを出す。まだ動物病院の恐怖は知らない。



 診察室へ入り部屋の奥でいた2人の若い女性獣医看護師がまじまじと見ていた。傍から見れば交際している男女だ。



 「あのポニテの子、この前来た包丁持った強盗をボコボコにしてたわ。意外と血の気が多そう」



 「内面クズでもいいから合コンであんな子にお持ち帰りされたくない? 最近草食のハズレばっかだし」



 注射の痛みで暴れ出し診察台から転げ落ちないように注意しながら知努はクーちゃんの喉を撫でる。



 注意が彼の方へ向いているうちに中年の男性獣医師は片手で首の肉を摘まみ注射した。痛みのあまり子犬の悲鳴が響く。



 「クリメント・ヴォローシロフ・アヂーン、か。そういや大分前によチー坊、 KVー1カーヴェーアヂーンの鹵獲仕様のプラモを模型屋で見つけたんだよ」



 「あーそれ、俺も大分前に買って作った。ベージュのカラーリングと鉄十字がそそる」



 2回り程、離れている男2人が意気投合しユーディットと若い獣医看護師は付いて行けなかった。



 次の予約客がいないのか彼はクーちゃんを抱き上げている知努とユーディットに昔話をする。



 小さい頃から彼は模型が好きでそれだけのために幾度も少ない小遣いでやりくりしていた。



 やがて成長し彼が高校生になり、模型好き男子生徒達の大きな派閥争いを巻き込まれる。



 戦闘ヘリの模型界隈は洋画の影響で冷戦の世情を色濃く表すように米ソ製の2強だった。



 しかし先の大戦、大東亜戦争、冬戦争、継続戦争に登場した兵器を模型として販売された事で様々な派閥が生まれる。



 やはり戦車模型の派閥も洋画の影響か米陸軍製が強かった。それに対抗し赤軍、大英帝国製も勢いを増していた。



 活躍に比例し兵器の模型が年々増えていく中、やはり枢軸国の戦車好きというだけで周りから白い目で見られる。



 教室の連合国側戦車信奉者達が跋扈ばっこしていた。周りから聞こえる戦車の話は赤軍、米陸軍関連がほとんどだ。



 ある日、彼が当時付き合っていた恋人は近所の駄菓子屋から模型を万引きしたと吹聴していた男に奪われてしまう。



 その男は赤軍戦車が好きな様で何度も盗み出した KVー1カーヴェーアヂーンの模型を仲間に配っていた。



 恋人だった彼女に真面目過ぎて彼のような刺激がないと言われ破局する。それから20年経った。



 恋人と破局するきっかけになった男は特殊詐欺で逮捕されている。



 「嫌いだったアイツが好きな KVー1カーヴェーアヂーンに鉄十字を付けた事で俺はもう苦しまなくて済むんだ」



 昔話を語り終えた中年の獣医師は若い獣医看護師に促され仕事へ戻っていく。2人も診察室から出た。



 待合室の壁にかけている時計がけたたましく時報を知らしている。

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