土曜日 その五

葉月は髪を投げた。無数の髪の毛は槍となりお爺さんを攻撃している。お爺さんが髪の毛を両手で持ったメスで切断し続けた。この隙を狙って葉月はお爺さんの後ろに回した。そして、背中を目掛けに髪を投げた。お爺さんの目の前で髪の毛がまだ攻撃しているため、避けることはできなかった。


お爺さんはかまわず目の前から自分に飛んでくる髪の槍を切り続けた。


葉月はこの機会を逃さず髪を投げ続けたが、お爺さんはちょうど空から降りてくる髪を全部切った。すぐ、身を回し葉月が放った髪も全部切った。


「お嬢さんよ。年寄りはいたわるものだよ。あんな物騒な髪を投げたら、いけないよ。しつけが必要だね」


言ってから、お爺さんは自分の背中に刺さった髪を後ろ手で引き抜いた。そして、右手のメスを葉月に向けて投げつけた。葉月はうまくかわした。お爺さんは葉月が避ける路線をわかっているかのように、そっちに向かってもう片方のメスも投げたが、これも葉月はかわした。


投げ道具なら葉月には髪がある。髪を抜いてなげようとすると、お爺さんはまたメスを投げ出した。お爺さんのメスは減ることなく、立て続けに葉月にに飛んでいった。投げる速度もますます速くなった。


お爺さんのメスをかわしながらも、葉月は髪を投げるチャンスをもらった。髪の槍は葉月の前で一面の壁となった。無数のメスは髪の壁に突き刺ささっては消え、その繰り返しが続きている最中、ついに髪の壁に穴を開けてしまった。


葉月はまた髪を抜いて防御の壁を作ろうとしたとたん、動きを止めて二、三歩よろめいた。葉月の背中に、何本のメスが刺さってあった。


背中に刺さったメスは消え、ただ赤い血のあとを残した。


葉月は体をバランスをなおし、お爺さんに髪を投げつけた。今度、お爺さんは髪を切らないまま、避けて葉月の前に飛びついた。切るとその動作で葉月に次の攻撃の隙を与えると思ったのだろう。葉月は避けられずお爺さんに掴まれてしまった。葉月の両手を握ったお爺さんは葉月を地面の押し倒した。


その瞬間、かわされたはずの髪は戻ってきて、お爺さんの背中を刺した。お爺さんは右手を上げたとたん、メスが現れ、そのメスを握ったお爺さんは葉月の右肩を思いっきり突き刺した。自分の背中に刺さったままの髪の毛は気にもせずに。


葉月は叫びもせず、ぐっと痛みを堪えていた。


お爺さんはすぐ左肩にも同じくメスを突き刺した。地面に固定しようとしている。


お爺さんは両手を開いた。するとまたメスが現れ、そのメスを使って背中の髪を切り刻んだ。


背中の髪の処理が終わってから、お爺さんは右手のメスを葉月の身体を滑らせて、最後は腹のところで止めた。


「お嬢さんの臓器はきっとお嬢さんのようにきれいだろう。いい値段になれそうだね」


人それぞれは自分にしか知らない心の闇がある。それは決して誰かに見せてはいけないもの。


ある人は黒魂にのまされ、ある人は黒魂を利用して、ある人は黒魂とわかれて。誰もが自分の欲望を解放したいという本能はある。ただ、人には自制心があって、その欲望を抑制している。


僕が一人、くだらない事を考えていると、お爺さんが話し出した。


「お嬢さん、ちょっと、内臓を見物させてもらうね」


メスは葉月の腹を切った。腹に赤い線が現れたと思うと、お爺さんはメスでその傷を開けようとしている。


叫んではいなかったが、葉月は確かに呻いている。僕はもう見切れなくて走り出した。


僕はお爺さんにぶつかり、身体を強く抱いて地面を転がった。回転に回転を重ね、止まったときは僕はお爺さんの身体をまたがり、両手を掴んで地面に押し付けた。


お爺さんは別に驚きもせず、ただ優しい眼差しで僕を見つめているだけだった。


僕は葉月の方に視線を投げた。葉月の身体のあちこちに白い光が輝いていた。傷を治しているのだろう。少しは安心した。


再びお爺さんに目線を向けた。


「お爺さん、なぜ攻撃するんですか?黒魂がいいものでないことを、お爺さんはわかっていないでしょう?」


「分るとも」


「ならなぜ、なぜ黒魂で抵抗するんですか?このまま黒魂を吸わせて正常な人に戻りましょう」


お爺さんは首を横に振った。


「悪い物は百パーセント悪いわけでもないよ。いいところに使えばその価値は変わってしまう」


お爺さんの言っている事の意味は僕には理解できなかった。


「分らないみたいね。……なら簡単に説明してあげよう。体育の先生はなぜ学校へ来なかったと思う?」


「病気じゃないですか?」


「違うよ。わしが殺したんだから。学校へ来れるはずないでしょう。さすがに体育の先生だけあって、臓器はすばらしかったよ。いい買い手も見つけた」


僕は心の中に湧き上がってくる無名の怒りを感じた。体育は嫌いけど、先生まで嫌ってはいない。


「お爺さん、なぜ体育の先生を殺したんですか?体育の先生を殺さなければならない恨みでもあるんですか?」


お爺さんは乾いた笑いを漏らした。


「ないよ」


「なら何で殺したんですか?!」


お爺さんの顔には優しい表情が現れた。僕を見つめる視線はどこか優しかった。


「君のためだよ」


「僕のため?!」

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