第31話 別離の日②

 第六皇子ゴーティス――

 彼は、完璧超人として、国内の支持が厚いことで有名だ。

 ひとたび戦場に立てば、『軍神』と称えられるほどの才覚を発揮し、兵士として参加する貴族はもちろん、末端の民兵たちも彼の軍に配備されたことを喜ぶ。戦場では、苛烈な性格をいかんなく発揮する、現皇帝の右腕としてふさわしい、ナショナリズムの塊のような男である。

 だが、皇城に戻れば、苛烈な性格は鳴りを潜め、穏やかで冷静な切れ者へとガラリと性格を変える。会議中の彼と、戦場に立つ彼は別人だと、両方の彼を知る上級貴族たちは皆口を揃えて言うものだ。

(まぁ――本当に、別人なのだから、当たり前なのだけれど)

 顔に出さないように気を付けながら、ミレニアは扇をはためかせつつ考える。

 第六皇子ゴーティスが、実は双子の兄弟だということを知る者は少ない。――弟の第七皇子ザナドは、生まれてすぐに死んでしまったと、公式には発表されているからだ。きちんと国を挙げて弔いまでしているから、疑う者は少なかっただろう。若い人間は、ザナドの存在自体を知らないものも多いのではないだろうか。

 だが、事実は非常にシンプルだ。

 ゴーティスとザナドが生まれてすぐ、ギュンターはそっくりだった二人のうち一人を”影”として育てることに決めた。皇位継承権争いから遠いところにいる彼らは、次世代の王の側近になっていく可能性が高い。万が一、どちらかが死んでもその才を失わぬように、と両者に同等の教育を施し続けた。

 だが、顔は見分けがつかぬほど瓜二つな二人は、成長するにつれて、性格は大きく乖離していく。一人は苛烈で極端な、ナショナリズムの塊たる軍神として。一人は、冷静沈着な有能な切れ者へ。

 勿論、お互いがお互いを真似して成り代わろうと意識することは可能だったが、やはり正反対の性格を演じれば違和感が生じるのは仕方がない。どちらも同等の武勇を誇り、同等の国政を学んでいたため、能力はほとんど同じだったため、そのうち二人は、戦場に立つ役目の「ゴーティス」と執政の会議の場に立つ「ゴーティス」として生きることになる。

(この秘密を知っているのは皇族と一部の限られた者だけ――カルディアス公爵はもちろん、この公子殿が知っているはずもないわね)

 正直、あまりにも顔が似すぎていたため、本人たちも、どちらが本当のゴーティスでどちらがザナドかわからないと言うが、あまり苦労はしていない。皇族の身内では、国民にも広く知られている軍神の方を「ゴーティス」執政の場に現れる方を「ザナド」と暗黙の了解で呼んでいた。

「ゴーティスお兄様が難色を示されたというのは、何故なのですか?」

 ミレニアは、静かにヴィンセントに問いかけながら、冷め切ってしまったカップを手にして傾ける。

 今後の執政について話し合う会議に出席していたとすれば、それはザナドの方だったはずだ。冷静で穏やかな性格である彼は、ミレニアの才を客観的に認めてくれている。上申内容に否を唱えるとは思えなかった。

「……ミレニア様が、赴くのが気に入らない、と」

「……私が?」

「はい。……そもそも北方地域は、異民族といっても差し支えないほど、帝国民とは何もかもが違う。肌の色も、話す言語も、文化も価値観も、何もかも」

「ええ。そうでしょうね」

「その異民族を――同じく、異民族の血が入った元皇族が治めるのは、帝国領にしたとは言い難いのではないか、と――」

「あぁ――……なるほど。本当に『ゴーティス』お兄様らしいお話ですわね」

 嘲笑にも似た笑みが漏れそうになり、ミレニアは必死になんとか口の端のそれを苦笑へと変える。

(ザナドお兄様ではなく、ゴーティスお兄様がご出席されていた、ということ……ザナドお兄様の体調が悪かったのかしら)

 ゴーティスは、ザナドと同様の能力を持っている。ミレニアの施策の内容自体の利はしっかりと把握したことだろう。

 ただ――彼の性格は、強烈なナショナリズムをこじらせた厄介なものだ。

 冷静沈着にミレニアの才能を認めるザナドと異なり、ゴーティスは彼女の血に交じる異民族――エラムイドの血を疎んじ、ミレニアを皇族にふさわしくないと何度も糾弾してきた男だった。

「今や、ゴーティス殿下の支持は、ギーク殿下に勝るとも劣らない勢いです。その彼が難色を示したということは――」

「勝るとも劣らない――?ふふっ……」

「何がおかしいのですか!!!」

「いえ……別に」

 支持率調査など行えば、圧倒的大差をつけて、ゴーティスが勝つのは自明の理だ。それを、次期皇帝たるギークに忖度した物言いになるヴィンセントの滑稽さに、ミレニアは失笑する。

「とにかく!――『軍神』たるゴーティス殿下が、北方侵略に対して難色を示していらっしゃるのです!軍部の最上位たるあのお方がそうおっしゃる以上――」

「嫌ですわ、公子。言葉は正しくお使いください。――ゴーティスお兄様が難色を示したのは、私が北方地域を治めることだけ。北方侵略そのものについては、異を唱えていないのでは?」

「な――」

「それとも、そんなこともわからないのでしょうか?まったく――武芸を磨くことも良いですが、私と結婚なさるのなら、もう少し、学を身に着けてくださるかしら」

 呆れたように嘆息した後、冷ややかな視線を送ると、カッ……とヴィンセントの頬が怒りに赤く染め上げられる。

「このっ――!」

 流石の公爵家の教育も、明らかな侮辱の言葉を聞き流せるほどではなかったらしい。

 ヴィンセントは、握り締めた拳を振り上げ――それと同時に、ふっ……と、ミレニアの視界の端を、黒い風が横切った。

 バシッ……

「――――――その拳を、どこへ振り下ろすつもりですか?」

「っ――!」

 ぞっ……と肝が冷えるような声で、静かな問いが発せられる。気が付けば、振り上げた拳は、右手首をがっちりとつかまれ、拘束されていた。

「いつの間に――!」

 ギリッ……と奥歯を噛みしめ、己の右手を拘束した相手へと鋭い眼光を飛ばすと、黒衣をまとった紅玉の瞳が、冷ややかな炎を湛えて、静かに見下ろしていた。

「離せっ……!」

「この拳を、どこへ振り下ろすつもりか、答えていただけない限り、離せません」

 必死に力で振り払おうとするも、つかまれた右手はピクリとも動かない。

「奴隷風情が――!」

「俺は確かに元奴隷だが、今は姫の専属護衛だ。――姫に危害を加える可能性がある奴を見過ごすわけにはいかない」

「な――っ!」

 帝国の三大貴族であるカルディアス公爵家の三男に対する口の利き方とは思えぬ発言に、思わずヴィンセントは絶句する。

 ロロは、いつもの通り表情を動かさぬまま、静かに口を開いた。

「この拳を、激昂に任せて振り下ろす先が――机だったというなら、解放しよう。己の腿だったとしても、解放しよう。――だが」

 ギリギリギリッ

「ぐっっ――い、痛い!!!はっ、離せ!!!」

「ヴィンセント様!」

 少し遠くに控えていた、ヴィンセントの従者が蒼い顔で飛んで来るが、ギロリ、と紅の鋭い眼光にひと睨みされただけでたたらを踏む。

 禍々しい、血と炎の色が、殺気に近い怒気を放っていた。

「これを――姫に振り下ろすつもりだったというなら、容赦はしない。たとえアンタが――姫の、未来の旦那なのだとしても」

「ぐぁああああっ」

 万力のようにギリギリと締めあげられていく右腕に、ヴィンセントの口から苦悶の声が上がる。額には脂汗がびっしりと吹き出し、それが演技でもなんでもないことを示していた。

「――ロロ。その辺りにしておきなさい」

 凛とした声が響き、ぴたり、と野太い叫び声が止む。

 ロロが、手に込める力を緩めたのだろう。

「ですが、姫――」

 今にも握りつぶさんとしていた右手首から手だけは離さないまま、チラリ、と視線だけを送って問いかける。

「良いわ。放してやりなさい。――もう、骨身に染みたことでしょう。文字通り、しっかりと骨身に、ね」

「……かしこまりました」

 少しだけ不服そうに瞳を伏せてから、そっ……と静かに手を離すと、ヴィンセントは蒼い顔で右腕を庇いながらバッと立ち上がった。

「っ……失礼する!」

「ええ。また次の機会に」

 吐き捨てるように言った未来の夫に、ミレニアは余裕の笑みを顔に湛えて見送る。

 従者を引き連れて去っていくのを見送り、完全にその姿が見えなくなった後、ミレニアはふぅっ……と小さく吐息をついた。

「お前は、本当に優秀な護衛ね」

「……姫の御身に傷一つ付けぬというのが、俺の仕事ですから」

「仕事――……そうね。お前は、よく働いてくれているわ」

 ふ、と笑みを漏らしたミレニアの横顔は――何故か、少しだけ、切ない色を宿していた。

 

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