第23話 死出の旅路②
「……一体、どこの誰かしら?私の専属護衛に、余計なことを吹き込んだ馬鹿は」
「……皇城を歩けば、自然と耳に入ります」
ロロの言葉に、ミレニアは悔しそうな顔で押し黙る。おそらく、口さがない貴族たちが、好き勝手に噂しているのが耳に入ったのだろう。あるいは、嫌味ったらしく、皮肉たっぷりに、誰かが悪意を持ってロロ本人にそんなことを伝えたのか。
「俺を買い取った金額は――姫の、結婚支度金だったと聞きました。さらに、俺を伴うと明言したために、なかなか縁談がまとまらないと」
「全く、本当にくだらないことを吹き込んでくれたわね」
「……姫。――俺を、また、売ってください。――きっと、奴隷商人は、俺を買い戻せるというなら、全財産を払う奴も――」
「ふざけないで」
ぴしゃり、とロロの世迷いごとを冷たくはねつける。
確かに、ロロをもう一度奴隷市場に売りに出そうとすれば、かなりの高額がつくだろう。彼を手に入れられれば、その後の剣闘で、買った以上の唸るほどの金が入ってくることは請け合いだからだ。
「私の傍で、一生、ずっと、私を守れと命じたはずよ。逆らうつもり?」
「ですが――」
「大丈夫よ。支度金ですべてを支払っているわけではないわ。今でもいくつか、政策をお父様に上申しているの。昔ほど、そればかりに時間を掛けられないから、数は多くないけれど――もし、その中で有用な施策があれば、それによる税収の何割かを補填してもらうように伝えているわ」
「……」
「その税金が、私の支度金になる。――別に、無一文で行くわけではないもの。私の努力次第で、いくらでも用意できるわ。見くびらないで」
「――――それでも」
言いながら、ロロは痛ましそうに目を眇める。ゆっくりと、指先をミレニアの目元へと触れさせた。
「そのために、姫が、身を削るのは、見ていられない。――俺なんかを買ったばかりに、苦労をさせている」
触れられた目元には、十一歳の愛らしい姫には似つかわしくない隈が、うっすらと垣間見えていた。
「っ……そんなこと、従者のお前が心配することではないわ!」
一瞬息を詰めた後、ミレニアはぱっと顔を背けて、ロロの指から逃れる。
「私は、お前を手放す気なんてないの。――そんなつもりなら、最初からお前を手に入れたりしないわ。世間からどう見られるかもわかっていた。縁談がまとまりにくくなるのもわかっていたわ。――それでも、と、この私が、望んだのよ」
「姫――」
「賢い貴族は、まだ、様子を探っているだけだわ。私を手に入れることの利は、十分にある。――けれど、どのタイミングでそれを言い出すのが一番自分の家に利があるか、それをずっと冷静に見極めているだけ。お前は心配しなくてもいいの。自分は第六皇女ミレニアの専属護衛なのだと、胸を張りなさい。」
従者に心配されるような主人では、主として失格だ。ミレニアは幼さを消した横顔で、毅然と言い切る。
ロロは痛ましげにもう一度目を眇めた後――そっと、瞼を伏せた。
「では、せめて、姫の施策で得た支度金に――俺の、それまでの給金を、全て、上乗せしてください」
「え――?」
「本来の金額からすれば微々たる量なのは承知していますが、ないよりはある方が、見栄えがする額でしょう。……俺に出来るのは、それくらいだ」
「――――……」
「そして、約束してください。もしもこのまま、姫の婚約がどことも纏まらなかったら――足かせになっている俺を、必ず売り払うと」
「な――!」
「俺は、姫に命を捧げると決めています。――俺のせいで、アンタの幸せを奪うことは我慢出来ない」
ドキン……
不意に青年の素の口調が覗き、ミレニアは驚きのあまり一瞬言葉に詰まってしまう。
「俺は、この一年、たくさんの物をもらった。全部、金なんかには換算できない、価値のある宝物ばかりだ。――俺は、この首飾り一つ共に持たせてもらえれば、どこへ売られようと、構わない」
「――――!」
チャリッ……とロロの首元で、微かな金属音が鳴った。
「虫けらのように扱われる貴族の家でも――再び枷を嵌められる不自由な奴隷小屋でも。この石があれば、どんな理不尽にも耐えられる。姫は、俺に、それだけの物をくれたんです」
「私は――何も、与えてなどいないわ」
「いいえ。――俺に、名前を、くれた」
ふ……と、いつもはピクリともしない口角が、ほんのりと緩んで笑みの形を作る。
ドクン……とミレニアの心臓がざわめいた。
いつもは凍り付いたような無表情のまま、寡黙を貫く男が、今日はやけによく喋る。
ミレニアは、ドクン、ドクン、と心臓が音を立てるのを静かに聞いていた。
「死出の旅路に、俺が持っていくのは、これだけでいい。――姫にもらった名前と、この石を胸に抱いて死ねるなら、本望です」
「……お前……」
ミレニアはぐっと眉間にしわを寄せる。何かがこみ上げてきそうな予感があったが、それが何だかはよくわからない。
公式の神が存在しない帝国領内において、一般的に、死はそのまま魂の消滅を意味する。
この国で最も広まっている死生観では、肉体が死亡すれば、魂が抜け出て、死出の旅路を辿っていく。その道の先には、『消滅の門』と呼ばれる門があり、そこをくぐれば、魂は完全に消滅してしまうというのだ。
だが、それは恐怖ではない。帝国民にとって、死は苦しみの生からの解放でもある。
彼らの死生観の中に、生まれ変わりなど存在しない。死出の旅を終えて消滅の門をくぐりさえすれば、もう苦しいことは何もない、というのが通説だ。
だが、その旅路は、決して楽な道のりではない。
それは、生前恨みを買った者たちが襲い掛かってくる過酷な道。肉体の死を迎えたあとで、その人生の断罪を受けるのだ。死後、善人は平坦で穏やかな旅路を、悪人は苦しく辛い旅路を行くというのが、イラグエナム帝国における死生観だった。
「俺は、奴隷時代にたくさんの人間の命を奪った。たくさんの恨みを買った。きっと、死出の旅路は、過酷になるでしょう。――だから、せめて。姫の色と共に歩むことをお許しください」
そう言うロロの顔は、酷く穏やかだった。
きっと、どんなに過酷な人生も、死出の旅路も――その胸に、敬愛する少女の瞳の色を抱くだけで、どこまでも強くなれる。
生まれて初めて、名前をくれた。
"人"として扱ってくれた。
世界の肥溜めで無様に足掻くだけだった自分を買い上げ、枷を外し、自由をくれた。
――忌まわしい瞳を、美しいと、言ってくれた。
(これ以上――何も、望まない)
きっと、今この瞬間に、首を討たれようとも。
心から、「幸せな人生だった」と胸を張って言えるくらいに、この一年で少女から与えられた物は大きすぎて――
「……駄目よ」
「姫……?」
「駄目。駄目よ。――待っていなさい」
「?」
少女は、ぎゅっと眉根を寄せて、何かを堪えるような表情をした後、そっとロロの袖をつかむ。
「ずっと、一生、私を守れと言ったでしょう」
「はい。ですが――」
「もしもお前が先に死んだとしたら――勝手に独りで消滅の門に向かわないで。私が追いつくまで、待っていて」
「――――」
紅玉の瞳が、驚きに見開かれる。
ぎゅっと唇を引き結んだあと、ミレニアはゆっくりと震える吐息を吐き出し、言葉を紡いだ。
「私だって、皇族だもの。知らないうちに、色々な人から恨みを買っているわ。きっと、無傷で死出の旅路を歩むなんてできない」
「姫――」
「お前は、私の、専属護衛でしょう。そんな危ない道を、私独りで歩かせるつもり?」
「――!」
「ちゃんと、最期まで、守り切りなさい。消滅の門をくぐるその瞬間まで――何者からも、守りなさい。勝手に独りで逝くのを、許しはしないから」
あぁ――どうして。
どうして、こんなことしか言えないのか。
ミレニアは悔しさでぎゅっと唇をかみしめる。
どれだけ大切だと伝えても、どれだけ傍にいてと伝えても、この青年は、すぐに自分の命を軽んじる。ちっぽけな翠の石ころ一つで満足だと、誰もが生まれながらに与えられてしかるべき名前をもらえたんだと、そんな小さなことで幸せを感じて、誰もが恐怖し忌避する死すら、従順に受け入れてしまう。
もう、わからない。
彼を大事だと伝える術が、わからない。
彼を”生”に引き留める術が、わからない。
彼に、傍を離れないでと――ずっと、死ぬ瞬間まで傍にいて、一緒に生き抜いてほしいんだと伝える術が、わからない。
だから――こんな言い方をする。
きっと、これなら彼も、受け入れてくれるから。
「――はい。わかりました。そのときは、いつまでも、姫が来るのを、お待ちしています。――必ず」
案の定、ふわり、とロロは嬉しそうに笑った。
こんなことを言われた時にしか笑えない彼に、無力感が押し寄せ、胸がぎゅうっと痛みを発する。
「……約束よ」
「はい。――決して、姫を独りで恐ろしい道を歩かせたりなどしません。必ず、俺が、守ります」
普段の無表情からは考えられぬほど、嬉しそうに破顔した青年は、見惚れるほどに美しかったが、ミレニアの心は晴れない。
「……お前ほどの忠臣はいないわね。誇りに思うわ」
「俺は、姫の物ですから」
半分皮肉を込めても、当たり前のように穏やかな顔で返されては、それ以上何も言えない。
(とにかく……早く、縁談をまとめないと、この男、本当に勝手に自分を売り払って金を作りかねないわね……)
ミレニアは大きく嘆息して、次の建国祭までにするべきことを頭の中で一つ一つ挙げていくのだった。
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